ここは楽しい映画のページです。 映画について僕の勝手なことをザックバランに書きます。

先ず映画と言えばあの「シェーン」ですね。 僕の映画のお話はまずこの「シェーン」から始まります。

映画の中の映画、それは

@監督よし

  Aキャストよし

B音楽よし

      Cその他すべてよし

と、色々な条件が「満たされたもの」でなければならないと僕は考えます(^^)


ラストシーン 映画「シェーン」についての大まかなアラスジを書いてみましょう。 僕なりに・・・です。

「シェーン」という名の流れ者(写真の左側の人物)がやって来ました。 「ジョーイ」という名の

少年(写真の右の人物)は、「シェーン」が遠くからやって来るのをジッと眺めています。 そこ

からこの映画は始まるのでした。

 背景はまだ頂上に雪を抱いたロッキー山脈(だと思う)、場所はワイオミングの草原(これも

・・・だと思う)、時代は、まだアメリカがいわゆる開拓者たちによって開かれていった、いわゆ

る開拓時代(1800年代の中ごろ〜後半としとこう)だと思う。 (だと思うが多いナ)(^^)。

 「ジョーイ」がジッと見つめる眼の前に「シェーン」はやって来てこう言いました。 「坊や。 君

は僕のことをジッと見つめていたね。 眼を離さないってことはいいことだよ」  もっとも、そこ

のところを清水俊二さんはこう訳しています。(ジャック・シェーファー作「シェーン」ハヤカワ文庫)

     「ボッブか。 おじさんが道を来るのをずいぶん長い間見ていたね」

     それは質問ではなかった。 彼の観察をいっているのだった。

     「ああ・・・」と、ぼくは口ごもった。 「見てたよ」

     「そうだ」と彼はいった。

     「気に入ったよ。 自分のまわりのことに気をくばる者は偉くなる」

 映画ではたしか少年の名は「ジョーイ」だったと思うけど、原作では「ボッブ」だったのか!    

 

 旅から旅へと宿無しの「シェーン」ですが、その夜は少年の家に泊めてもらう運びになりました。 少年は「シェーン」が持っているピ

カピカの拳銃がとても気に入りました。 ところで、少年にはお父さん(ヴァン・ヘフリン)とお母さん(ジーン・アーサー)の3人暮らしで

したが、少年にとって「シェーン」は、何から何まで「素敵に見える、憧れの人」に見えたのでした。

 おっと、「シェーン」を演じていたのはアラン・ラッドです。 アラン・ラッドはあまり大型の俳優さんではありませんが、この映画の場合

は、少し小さい目の男ながら、この「シェーン」役にはピッタリだったと思います。 これがもしチャールトン・ヘストンとか、大型の俳優

であったとすれば、映画は、また一味も二味も違ったものになっていたことは疑いの余地がありません。

     

                                 

 

 「シェーン」は、食事の時でも、座る時は必ず壁を背にします。 これは背後からの敵を警戒するために自然に身についた癖ですが、

僕もそれを真似て、どこに座る時でも、できるだけ壁を背にします(^^)。 現代のような文明社会では、誰かに背後から撃たれること

など「無い」とは思いますが、しかし、壁を背にした方が何となく「落ち着く」のは事実です。

 そうそう、この映画の主題曲(ヴィクター・ヤングが音楽担当)は、あまりにも有名な「はるかなる山の呼び声」ですが、しかし、忘れ

てはいけないのが「青い瞳」というタイトルの、もう1つの主題曲です。 こちらはあまり知られていないと思うのですが、映画では、お

母さん(ジーン・アーサー)が登場する時に、必ずと言ってもいいほど、この「青い瞳」( Eyes of Blue )が流れていましたよ。 もし、

もう1度この映画をご覧になる機会があれば、ぜひこちらの方の音楽も気にとめておいてください。

 

 一宿一飯の恩義に預かった「シェーン」は、庭に出て、その屋敷(屋敷と呼ぶか住家と呼ぶかは疑問)の庭にドッカと根を降ろして

いる巨木の株を取っ払うことに挑戦します。 「ジョー」だったか、とにかくその父親(「ジョーイ」のお父さんのこと)も、「これは!」と

驚いて・・・それからの2人は、ボッカボッカと、その根(株)を掘り起こすことに専念します。 普通なら何でもない映画のシーンです

が、やはりこの映画は、そのようなところに「人間臭さ」を(充分に)描いていたように僕は思いました。

 

                              

 

 「マリアン」だったか、要するに「ジョーイ」のお母さんですが、主人と客人が、汗だくになって大きな木の株と激闘しているのを見て

感動します。 もちろん「ジョーイ」も一緒になって頑張りますが、「ジョー」と「シェーン」は、もう、夢中になって頑張っています。

 遠くの山々はすでに暮れて、あたりは暗くなっていますが、まだ2人の「闘い」は終わりません。 「馬を使ったらどう?」とマリアンは

提案しますがジョーは聞き入れません。 「俺たちで頑張って来たんだ。 今さら馬の力を借りられない」というわけです。

 人間って可愛い「バカ」ですよね。 妙なところに意地を張って・・・こんな場合は女性の方がずっと「合理的」ですが、男性は意固地

です。 最後まで「自分たちの力で成し遂げたい」という思いですね。 その気持ちはよく分かるような気がします。

 

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