第6回 シービスケット

★★★★★

 

そりゃ、馬のHPやっているんですから、この映画は載せとかなきゃいけないでしょ?
どんな馬かの予備知識もあり、競馬というものもいやというほど味わって、映画館の
隣の席で携帯片手に行儀の悪い座り方をしているお姉ちゃんよりは、この映画を
深く味わうことができる・・・そう思っていました。

確かにそうだったんでしょうけどね、映像でやっぱり騎手が内をつくか否かの恐怖感
はそのお姉ちゃんにはわからないでしょうし、サンタアニタハンデがどんな意味合いのレースで
東海岸の競馬と西海岸の競馬のレベルの違いなんかを想像すると、すごい馬なんだな・・・・
ということがはるかに伝わってくるのでした。でも、そういう薀蓄抜きにしないとこの映画は
楽しめません。むしろ、そういった「競馬」にスポットを当てるというより、1930年代の「アメリカ」
というものにスポットがあたり、総じて今のこの2000年代の世の中にスポットがあたってるんですね

世界恐慌で人々がどん底の時代に現れた「希望」 時代に取り残されたような人々が出会い
時代と運命に立ち向かっていく。シービスケットはあきらめず努力する人々の「象徴」であり
そういった人たちがつかむべき「勝利の証」だったんですね。
今の時代の基盤を築いた、産業の目覚しい発達・・・そういった時代の流れに流されないで
自分のあり方にこだわった人たち・・・劇中何度も「家」という言葉が使われていました。

家族が暮らす場所である「家」その家が崩壊して離れ離れになった人たちや大切なものを失って
生きる意味を失った人たちが探した「家」は暖かい暖炉や食事のある場所ではなく、自分たちの運命を
切り開くため、みんなで団結し、協力し、そして分かり合う仲間がいる「家」になった・・・
劇中ではシービスケットにかかわるすべての人がひとつの「家」となりシービスケットを見にくる
階級の低い人たちの集まる内馬場が「家」であり、シービスケットそのものが、その時代の「家」だった。

現代も景気が悪く、時代の流れにどうにも抗えぬ世の中ではあります。しかし、こういったわれわれが
守るべき「家」が必ずあり、戻るべき「家」が必ず私たちを迎えてくれる。
そんなことを教えてくれたような気がしました。

日本にもハイセイコーという馬がいたそうです。どん底の人々の希望になり、勇気をくれた馬が
いたそうです、私は直接見ていません。映像でしか知りませんが、日本にも勇気をくれる馬はいます
そんな競馬と出会えて、今かかわれていることは、ある意味感謝なのかもしれませんし。
いずれ出てくるであろう現代の「シービスケット」を心待ちにしてまた馬券を外そうと心に思いました(笑)

薀蓄ばかりが先にきましたが、馬というものが「綺麗だな」と思える映画であり、騎手というものが
「華麗で泥臭い両面を持つものなんだ」ということもよくわかる映画でした。ゲイリーズティーブンス
ありゃすごいな。一流の騎手は追い方だけでも感動を呼ぶものなんだということがわかりました。
マッチレースのとき、騎手のフォームのあまりの綺麗さに感動しました。見習えよ日本の某騎手(爆)

ちなみに感動の割に点数低いよなと思われる方はぜひ一度ご覧になってください。
なぜ私の点数が低いのか、それは、この映画をちゃんと見据えるだけの力が私にないからなのです
もっともっと自分のレベルが高ければ、★の点数はもっと高くなっていたのに・・・・
映画というものの価値は映画そのものだけでなく、見る人の価値にも大きく影響されるのだな
と痛感しました。もうちょっと大人になってからもう一度見てみればもっと変わっていたでしょうね。

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