点と線


ご存知、松本清張の『点と線』(新潮文庫)は、東京駅の列車運行に関するスキマを活用した時刻表マニアの犯行を刑事が解明して行く物語。30年前にはじめて読んでいる。初出は1957年の雑誌連載だから、はじめて読んだ時点ですでに小説中のダイヤは現実離れしていた。

先日、ふと手に取って冒頭を読み始めて、その昭和の世界に惹き込まれて行った。鉄道ダイアだけでなく、なにもかもが空想物語のように感じる。それは、たとえば夏目漱石が記述する銀座を見るようだった。松本清張さえも時代を感じさせる作家になってしまった現代に、あらためて自分の年齢を感じてしまう。

中1の長男がいま鉄道にハマっている。阪急電車の各駅の時刻表を集めている。いわゆる鉄道研究会は、模型を走らせることばかり考えているので嫌いだという。彼に冊子になったJRの時刻表を渡した。そういえば私も昔、ひとりで時刻表を読んでは勝手な旅をしていた。

『点と線』はその時刻表トリック。息子がよろこぶだろうと思って、実家の書架から持ってきていた。茶色く変色したページから年代を感じる。むかしはこのように変色した親父の本を読んでいた記憶が蘇る。

すっかり内容を忘れていた。冒頭、とても魅力的に描かれた割烹料亭の女中のお時さんが、すぐに死んでしまうというショック。それが事件の発端。安田がからんでいるだろうことは察しがつくが、どうやって? と思う。しかし読み進むうちにトリックをすぐに暴いてしまった。いったいこの小説が書かれたときは、読者も小説のなかの刑事(三原)と同じように、なかなかトリックを暴けないのもだったのだろうか。あらゆることが、現代生活にくらべて、時差がある。

都会でしか味わえないコーヒー。混雑した喫茶店での相席。雨の日は入口で傘を預かる。今の若い人たちからすると、すっかりスタバ化したカフェ事情から、この当時の喫茶店は想像できまい。

この小説の面白さは、トリックそのものよりも、それを解明していく二人の刑事の姿の描写にある。福岡の鳥飼と東京の三原。三原の行動を支える上司の笠井。こんな物わかりのよい上司がいるのかと思ってしまう。

最後は鳥飼と三原の手紙で締めくくられるのがちょっと残念。犯人を追いつめて行いく三原の勢いと、犯人側の悲壮感をもっと描いてほしいとおもった。


土 - 2 月 23, 2008   06:52 午後