闇のエウリュディケ


阿刀田高は『ギリシア神話を知ってますか』の中で、オルペウスとエウリュディケのエピソードの中には、歓喜のなかに忍び寄る死の気配、という哲学的世界観が漂っている、としている。

そのエピソードを題材にした映画『黒いオルフェ』がリオのカーニバルを舞台にしていることは、まさにその世界観を表現したからだそうだ。
カーニバルの熱狂は、生命感溢れる人間の讃歌にほかならないが、その燃焼が激しければ激しいほどどこかむなしいところがある。命あるもののひとときの狂乱、そんな印象がなくもない。

エウリュディケとの婚礼をあげて歓喜のなかにあるオルペウスを襲った、エウリュディケの突然の死については、そうだと思う。しかし、ハデス(冥王)に許されてエウリュディケを冥府から連れて帰るときに、振り返ってしまったのは、オルペウスだ。彼の意志で振り返ったのであって、その結果エウリュディケを連れて帰ることが出来なることくらい、十分承知のうえだった。

再び歓喜とともに再会できるのを待ちきれなかったのは、どうしてなのだろう。

ボクはむしろ、このオルペウスの行為こそ、人間の弱さを象徴しているように思う。

つまりオルペウスは、本当にエウリュディケがついてきているのかどうか、確かめたかっただけ。それがエウリュディケの命取りになるのは知っていても、確かめたかった。それほど、自分に自信がもてない状況に追い込まれていたと思う。気弱になってしまったオルペウスは、どうしても振り向いて、エウリュディケがそこにいるのを見たかった。

その瞬間、エウリュディケは闇の世界に戻されてしまう。それは、運命ではない。まして祭りの喧噪のと対比される静寂ではない。自信を失った男の気弱な判断が、招いた結果にすぎない。

自分の行為が引き起こす未来を、十分に予測できながら、ついそのときの感情の高ぶりに支配されてしまったわけだ。もう少し冷静になれ。


火 - 5 月 22, 2007   02:53 午前