謎のプリンスは半純血


昨日、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』をようやく読み終えた。最近、半身浴してても疲れて湯船のなかで眠ってしまうことがある。起きていても文字を追うスピードがとても遅い。というわけで、気が付くと発売日からすでに2週間経っていた。翻訳に文句をいいつつも、やっぱり原書を読むより早いので、翻訳者の苦労にはいちおう感謝。でもなぜ「混血」じゃダメなんだろう。

ところで最近『炎のゴブレット』のDVDを観たので、アタマの中で第4巻と第5巻がごっちゃになってしまったうえに、実は『不死鳥の騎士団』の詳細をほとんど忘れている。まあ、いい。あとでまた『不死鳥の騎士団』を読むとするか。

さて、『謎のプリンス』では、例によって冒頭のエピソードこれまでのあらすじをおさらいし、物語全般にわたって、これまでの巻を読んできた読者がおぼえているはずのことをたくさん、しかもわりとあっさりと再登場させている。ふむ、ふむ、あれはあのシーンで出てきた、などとひとりでほくそ笑む。そういう面白さがある。

そして、これまで断片的に登場したヴォルデモートことトム・リドルの生い立ちが、今回はかなり詳細に語られる。そのなかでどうしてあんなに凶悪で邪険な存在になっていくか分かるはずなのだが…

結局のところ、ホグワーツに入学するまでの幼児期、魔法を魔法と知らずに使って、その脅威のもとに他の子どもを服従させることを繰り返してきたことに由来すると判断するしかない。邪悪な者は最初から邪悪なのだろうか。どうしてダンブルドアの偉大なる慈悲と愛情をもって更生させることができなかったのだろうか。それを阻害した要因はなんだったのか。

スターウォーズにおいてダースベーダが誕生するときと同じ疑問がヴォルデモートにも当てはまる。ナルニア国の魔女のように最初から邪悪な存在なら疑問は抱かないが、アナキンはそうではなかった。最愛の妻を救うために悪の手先となったものの、それを咎める妻を自らの手で殺そうとする自己矛盾。どうしてそこまで邪悪になりきれるのか。

トム・リドルの場合はどうだったのだろう。残念ながら、それはわからない。なんか中途半端。消化不良。人格は血筋ではなく育った環境によって形成されるものではなかったのだろうか。

ホグワーツに入学させたあと、在校時に悪から救えなかったのを、卒業後は放置したのだから、ヴォルデモートはダンブルドアによってつくられたと言っても過言ではないだろう。ということは、ヴォルデモートを倒さなければならないと最も強く感じているのはダンブルドアその人ではないか。そしてハリーはダンブルドアの手助けができる唯一の存在として、ホグワーツに連れて来られたのかもしれない。

まあ、そのへんはどうであれ、第6巻は最終巻への繋ぎだ。いろんなエピソードは複雑に絡み合うことなく、これまでの物語を整理し、まっすぐと結末を目指していて、とても分かりやすい。おそらくいろんな布石が施されているのだろうが、気にならない。だから早く結末を読みたい。いったいどうやってハッピーエンドをむかえるのだろう。しかし、予想に反して、たまには邪悪な存在が勝利する話があってもいいかもしれない。たとば、ハリーはヴォルデモートを倒すが、より凶悪な存在となって魔法界に君臨するとか。きっと、ありえないね。


水 - 5 月 31, 2006   11:51 午後