馬と少年(ナルニア国物語)


子どもらしい失敗をするから面白いと『銀のいす』のことを書いたが、『馬と少年』も同じ様な感じかな。正しい教育を受けていない少年がひとりで判断すとき、ハラハラどきどきの原因をつくっていく。

『馬と少年』は、第5巻めにあたるが、時代的にはさかのぼって、ナルニア全盛時代、ピーターが一の王のころの話だ。これまでの巻のように「こちらがわ」の人間が登場しない。純粋にナルニアの話。だからあまり期待しなかった。実は『銀のいす』の冒頭にナルニアを救った少年と馬の話はおもしろいけど長くなるからここではしない、とういう趣旨の文があった。つまり本として独立することが予告されていた。

ナルニア全盛時代、ピーターたちの治世時代が決してずっと平穏だったわけではないことを語っている。魔女さえいなくなれば戦争はないと思っていた。

アスランはナルニアの守護神だが、この巻にいたっては、本当に神になった。物語はアスランの見守りにありながら苦難を乗り越えていくシャランの姿を描いている。ただしアスランは単に援助をさしのべるのではなく、試練を与えるのだ。読者にはすぐにアスランの御業とわかるがシャランにはわからない。ただし、この巻から読み始めた読者にはそれさえわからない。まるっきりシャランと同じ立場で物語を追っていくことになるが、たぶんその方がおもしろいだろう。

すでに第4巻まで読み終えていると面白くないかというと、そんなことはない。それがこの物語のよくできたところだろう。

アスランは最後のほうになってシャランに対して名乗り出る。アスランがシャランに向かって言う言葉が、子どもをしかるときに役に立つ。

「いいか、いまわたしが話していることは、あの子のことではなくてあんたのことだ。わたしは、そのひとにはそのひとのことだけの話しかしないのだ」

アスランは同じことをシャランの旅の仲間であるアラビスに対してもいう。ふしぎなことにシャランもアラビスも、アスランにそう言われると素直にそれを受け入れるのだ。これはひょっとして、聖書にあることばなのかもしれない。

そう、アスランはキリストなのである。


日 - 5 月 14, 2006   02:53 午前