プルートウ


浦沢直樹×手塚治虫。先日、本屋で第3巻が発売されているのを目にして、そういえば以前から読みたいと思っていたことを思い出して買った。当然、第1巻、第2巻は読んでいないが、古本屋で買おうと思ってその場では買わなかった。しかし、はやく読みたい。結局新品の1・2巻を買ってきた。

手塚治虫の原作『史上最強のロボット』をしらない。たぶんテレビアニメで観ただけだと思う。ほとんどおぼえていない。しかしアトムが10万馬力だったのに対してプルートウは20万馬力とか100万馬力とか太刀打ちできる相手ではなかったような記憶ある。アトムごっこをして遊ぶとき、黒光りする巨大ロボットになりたがった。似顔絵も書いたようにように思う。そのくらいの記憶しかない。

浦沢直樹の『プルートウ』についてもまったく予備知識がない。はじめて単行本化されたときに新聞広告をみたくらいだった。しかし浦沢直樹の作品だけに期待しない筈がない。といっても浦沢直樹をずっと読んでる訳ではない。『パイナップルARMY』と『YAWARA』しか読んだことがない。しかも雑誌連載中に読んだだけだから、大昔のことだ。大友克洋的な映画的劇画調でありながら、いわゆるマンガ的デフォルメされた柔らかい線によって描かれる人物は、妙にリアリティがあり、好きだ。なんといっても彼の作品は脚本がいい。ずっと読んでいないが、それでも好きな作家の一人だ。

読み始めて、一気にその世界に引きずり込まれてしまった。想定された社会背景が違和感なく受け入れられる。なぜなら現代の現実社会を基盤とした近未来社会だからだ。それにアトム以降に発表されたさまざまなSF作品(手塚治虫の作品だけでなく様々な作家の作品)が、オマージュとしてちりばめられていて、読みながら一人でほくそ笑む。登場人物たちも、変にリアリティがある。田鷲警視も御茶ノ水博士も、そしてアトムやウランでさえも、手塚がデフォルメする以前はこんな顔だったんだと納得する。

SF的世界観は映画「マトリックス」や「ブレードランナー」に通じるものを感じる。しかもそれらは渾然となって、ごく当たり前のように受け入れられる。ブレードランナーはフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』が原作で、人工知能が発達して人間らしくなったときの苦悩を描いている。アトムやウランの涙、ゲジヒトの悪夢など、それそのものだ。

逆にいうとそういう世界を構築できるほどの原作だったということだろうか。

「ナルニア国ものがたり」を読み進んで、第2巻『カスピアン王子のつのぶえ』、第3巻『朝びらき丸 東の海へ』を読み終えたが、「ゲド戦記」ほど哲学的ではないので、それこそマンガを読んでいるようだった。しかし『プルートウ』はマンガでありながら哲学的で満足。


土 - 5 月 6, 2006   04:56 午後