アースシーの風(ゲド戦記V)


「影との戦い」ではじまったアースシー物語はこれで幕を閉じるが、執筆にはゲド戦記「最後の書」からさらに11年を要し2001年に刊行されている(日本では2003年3月に初版)。完結したのはつい最近のことだったのだ。

読者はゲドとともに成長しなければならない。「影との戦い」で魔法の学院にはいって成長してくゲドは、さらにその後の物語でも魔法使いとして偉大になっていき、最後には大賢人となる。「帰還」では、魔法使いとしての力をうしなったゲドを描きながら、人間の尊厳とは何かを追求した。この「アースシーの風」では、さらに文化の違いをのりこえて、人類の調和を描いている。
アースシーの風 表紙

つまり井の中の蛙にすぎなかったゲドは成長して大賢人になったが、まだ知り得ない世界があった。その世界はあらゆる価値観を並列に扱ってアースシー全体を俯瞰しないことには見えて来ない。そんなことが可能なのだろうか。すでに魔法の力をうしなったゲドだが、ハンノキを水先案内人として、われわれに新しい世界観を与えてくれる。

その世界観は偉大で、普遍的でさえある。こうして「影との戦い」では予想だにしなかった世界へ導かれながら、読み終わってみれば、全てが初めからそこに導くために書かれたように感じる。物語は一貫しており、登場人物もそれぞれ重要な役割を持ち、すべての価値観が破綻なく、ひとつの世界を構築している。なんてすばらしい世界。

SFが構築する世界観は、空想的な世界を科学技術的に想像して描かれるが、ファンタジーに科学技術は必要ない。むしろ人工的な動力源がない世界で、人間の価値観のみがその空想世界を構築するように描かれる。だからファンタジーはどちらかいえば過去の物語のような印象をうけるが、ゲド戦記的な世界統一は、すくなくともこの地球上にはなかった。しかし未来にはありうるとして期待したい。

「アースシーの風」のゲドは案内役であり、登場場面は途中まで。すでにゲド戦記ではない。魔法使いゲドの戦いは「さいはての島へ」で終わっている。そして、どうしてそこでゲドは魔法の力を失ったのか。魔法の力とはそもそも何なのか。「アースシーの風」ですべてが明らかになるのだ。それに、「帰還」の最後に感じた竜とのつながりの重要性。それがどんなものかを詳しく知ることができる。

しかし、これ、作品の発表と同時に読み進んでいたら、読者としてここまで感動できただろうか。この歳になって、人生の半ばをすぎたからこそ、「アースシーの風」を理解することができるような気がする。冒険活劇としてもおもしろいことは確かなので、それだけの物語としても読むことができる。だから少年少女も十分に楽しめる。だが、その行間に描き込まれた人生の機微が、この物語を単に冒険活劇ではない、深みのある物語に仕上げている。いやいや、よく考えたら「アースシーの風」はつい2年前に日本語版が刊行されたばかりだ。作品の進行と人生の進行が並行しており、読者も成長してきたに違いない。

レバンネンが怒りに身を任せて行動した後で冷静になって自分の言動を反省する感情は誰もが体験しているはず。テナーが郷愁の念にかられたり、レバンネンに怒りを感じたり、ハンノキへの無償の愛情など、これは母親としての愛であり、母としてのテナーの抱擁力を感じることころ。いっぽうゲドの妻としてのテナーのゲドへの思い。いろんなところで涙がでそうになる。


月 - 3 月 6, 2006   01:24 午前