こわれた腕環(ゲド戦記II)


亮佑が新しく借りてきてくれたのはゲド戦記の続編だった。図書館にはゲド戦記シリーズが揃っているらしい。後半の3巻は本の表紙の絵がちがってて最初の3巻のような切り絵じゃないと言っていた。興味はあるようだが、自分で読もうとしない。

さて、物語は「影との戦い」から数年後か、ゲドが頼もしく成長して登場する。だが総ページ数の半分くらいまでは、まったくその気配がない。ゲドの物語だと分かって読んでいるので、おそらくこうなるというストーリーの想像は難くなく、またほとんど想像どおりの登場の仕方なのだが、それは突然やってくるのだ。 こわれた腕環

最初から、いったいこの少女はどうなるのと思いながら読んでいく。いつまでも少女の話なので、いつゲドが登場するのか待ちくたびれる。ふと、本の半分近くも少女の生い立ちと生活について語られていることに気づくのだ。まだまだつづくのか、とおもったとたん、とつぜんゲドが登場した。われわれはゲドについては「影との戦い」で充分に知っている。それに匹敵するくらい少女についても丁寧な描き込みがある。だからこそ、その後のゲドの行動や思考がそのまま素直に受け入れられるのだ。

いわゆる勧善懲悪の痛快活劇ではない。いかに悪と戦ったかという描写はまったくない。それでいて「戦記」と題するのはおかしい。表題が内容を正しく伝えてない。これは戦記としないほうがよかっただろうに。(原題は「アチュアンの墓所」)

影との戦いが最終的に自分との戦いであったのと同様に、今回戦うのは闇の力そのものよりも、むしろテナーの心の葛藤である。テナーがテナー自身を取り戻し、テナーとして行きていくための手助けをするのがゲドである。読者はそれを見届ける役目。そのさい悪とされる側にいる者が、どうしてそれが悪ではないと思えるのか、つまり洗脳というものがどういうことかを見事に描き込んでいる。長年の間に自分の名前を忘れるほど。ゲドがテナーと呼ぶ時、読者でさえその響きにドキッとする。それほどその世界に没頭していまっていたのだろう。


日 - 1 月 29, 2006   04:40 午前