晃志の卒業式


一昨日(18日)は晃志の卒業式だった。先週末の気温がウソのように暖かくて、日中は上着がいらないくらいだった。新体育館は、亮佑が卒業するときにぎりぎりで完成したのだが、学校行事で訪れるのはそのとき以来だ。

体育館に入って、2年前の記憶がよみがえる。

つい先日膵臓癌でなくなったK先生(56歳)が、体育館2階の音響・調光室から顔をのぞかせていたことを思い出す。K先生は、晃志の王子動物園への遠足でお世話になった。カミさんのピアノ発表会を毎回聴きにくれて、DVDを差し上げていた。小学校のなかでただひとり映像機器の扱いに手慣れていた先生で、旧体育館での学習発表会などではパソコンを使ったスライドを上映していた。晃志のことよりも、K先生のことがいろいろと偲ばれる体育館。

亮佑のときはカミさんが保護者代表(PTA会長ではなく保護者)として感謝の言葉を述べたので、そのリハがあったので、良い席を確保できた。今回は開場時間に合わせてノコノコでていくと、最前列の席はすでに満席。ビデオ撮影に適した席を確保することができなかった。

結局保護者席のうしろや在校生席のうしろを立ったままウロウロして撮影した。ひょっとしたら固定位置からよりいい映像ができたかもしれない。

卒業生ひとりひとりが校長の前に歩みでてきて、将来の抱負をひとこと述べてから、卒業証書を受け取る。その演出は2年前といっしょ。おそらくずっとそうであって、これらもそうなのだろう。

晃志は、中学生になったら部活と勉強を両立させて頑張ります、と言った。部活はバスケと決めているのにそれを言わないのはなぜだ?

いやそれにも増して驚いたのが、晃志の前後の生徒がまったく同じ台詞。いやそれだけじゃなくて、3分の1くらいの生徒は同じ台詞だった。なかには、まだ将来の夢が決まっていないので中学生になってから考えます、という子もいた。しかも同じ口上だ。いったいこれはどういうことだ。誰かが指導しないかぎり文言が同じということはあり得ないのではないか。

将来に夢がない小学生。あるいは当たり障りのない標準的なことしか言えない小学生。

小学校はもう子どもに夢を持たせられる様な教育ができなくなってしまったのだろうか。

なんとも情けない。


終了予定時刻の11時半をすぎてもまだまだ終わりそうにない気配で、結局12時までかかった。午後からは勤務校の卒業式なのに12時終了ではぎりぎり間に合うかどうかきわどいところ。こういうのは終了時間を記載するなら、きちんと予告通りに終了してもらわないと困る。


金 - 3 月 20, 2009   02:35 午前