秋の行楽シーズン


毎年、紅葉のシーズンになると行楽地周辺の道路は必ず渋滞する。以前住んでいた箕面市粟生間谷は、勝尾寺への登り口なので、自宅周辺の道路は大渋滞。ちょっと車で買い物に出かけるにも、普段の倍以上の時間がかかる。そういうときは、渋滞を避けて反対方向に進んで、抜け道(住宅街の生活道路)を使って迂回するのが常だった。

池田に引っ越してきてからは、五月山の桜の季節の渋滞が激しい。秋の五月山周辺はほとんど混雑しない。しかし箕面の混雑を忘れていたわけではなかった。

23日、お昼すぎに、ママがとつぜん勝尾寺に行こうと言い出した。今年は紅葉がきれいし、明日は雨の予報なので、今日しか観ることができないと言う。しかし箕面駅前からのルートは、11月の土日祝日は交通規制がかかるほど混雑しているので、とても勝尾寺までは行けない、と反論してみても、ムダだった。一度いいいだしたらきかない。

それにしても、どうして、こういつも急に思い立って言いだすのだろう。こちらは連休明けに提出物が溜まっているというのに、いつも自分の都合だけで家族行動を言い出す。しかし、まあ、今しか紅葉を観れないというママの言い分にも納得したので、ダメモトで車を出すことにした。渋滞がヒドかったら、あきらめてすぐに帰宅すればいい。

亮佑も晃志も乗り気じゃない。晃志がいちばんいやがったが、無理矢理連れていくことにした。

というわけで、日曜日のお昼も午後2時を回ってから、ひさびさの家族四人でのドライブ。

しかし、自宅を出てすぐに、箕面駅の2kmくらい手前、ファミマのところで渋滞。箕面滝口への道路で詰まっているのが明白だった。おそらく箕面駅前のメインストリートは大渋滞なのだろう。こっちは、ほとんど動かない。前方から自転車でやってきたおじさんが、Uターンしたほうがいいと大きな手振りで教えてくれるほどだった。すでに何台かがUターンしていた。

池田市の東隣は箕面市。この季節は必ず渋滞している。通過するだけでも大変なのに、よりによってその混雑の中心地である勝尾寺に向けて中央突破しようとしている。しかも、この時間になってから出発すること自体が無謀なのだ。

とりえあず、滝口から登るのはあきらめて、小野原から粟生間谷ルートに変更。渋滞を避けるには、山沿いの道を避けて、南下するしかない。どのくらい迂回すれば大丈夫かわからなかったが、171(イナイチ)まで出ると大丈夫だろうと判断。石橋行きのバス道を南下していくと、前方には同じ渋滞からのUターン組の車が数台いた。しかし、この道も176との交差点で渋滞。ようやく抜けて、ホッとしたのもつかの間、171バイパスとの交差点を左折した途端、大渋滞。

この調子だと石橋付近が混雑してるだけでなく、171で箕面を横切ること自体が無理だと察し、さらに南下して中央環状まで出ることにした。石橋の高架下でUターン。空港へ向かう道に出ると前方に梅花大のスクールバスが「小梅祭」の看板をつけて走っていた。きっと学園祭もこの渋滞じゃ大変なので中環ルートに迂回するんだろうとか言っていると、石橋駅方面に曲がっていってしまった。あのバス、梅花大までいったい何時間かかるのだろう。

中環に出ても混雑は変わらない。最初から中環に向かっていれば10分でたどりつくところに40分かかった。この先も渋滞が続くのかとあきらめた。ところがしばらく行くと、万博公園まで15分、と表示されている。ということはこの先はそれほど混雑していないということだ。阪大(豊中キャンパス)前の坂を下った芝原駅(モノレール)あたりまでの渋滞していたが、そのさきは結構スイスイといけて、すぐに万博外周道路にたどり着いた。外周道路の手前で中環を降りて、阪大(吹田キャンパス)前を経てから小野原に向かう。

この道は千里ニュータウンの外周道路で周辺緑地帯の中を通っている。高い木に囲まれているのでまるで森の中を走っているかのような錯覚に陥る。しかし常緑樹が多いので紅葉は楽しめなかった。

20年ほど前、大阪は天満橋から深夜タクシーで帰宅した際に、新御堂筋から中央環状を通って阪大前から小野原に抜けるこの道を通ってもらったら、タクシーの運転手がいったいどこの山の中に連れていかれるのかと怖がっていた。よくみると樹木のあいだに住宅が見えるのだが、深夜だと住宅地の照明も消えて真っ暗だったからだろう。

スイスイと小野原交差点までたどり着いたが、やっぱり171(イナイチ)は渋滞。山から下りてきた車が溜まっている。それを横目に直進して粟生間谷へと向かう。途中、昔よく来たスーパー(マルヤス)でトイレ休憩。普段ならここまで30分もあれば来れるのに、迂回を繰り返して、1時間10分もかかった。ちょっと買い物もしているうちにもう3時半を回っている。日没(4時半ごろ)までに紅葉を楽しむというわけには行かなそうな気配になった。

マルヤスを出て粟生外院交差点(酒の楽市前)を右折すると、山を下りてくる車が数珠つなぎになっている。勝尾寺はもうあきらめて、箕面森町に行ってみようか、と提案。新御堂筋の延長でできた箕面有料道路(トンネル)を走ってみたかったからだ。豊能町希望ヶ丘の阪急バス営業所に行きたい亮佑はよろこんだが、ママは乗り気じゃない。まあ、これだけの車が降りてきているということは、ひょっとしたら登れるかもしれない、と思って勝尾寺に向かうことにした。

しかし考えがあまかった。西田橋の交差点を左に折れると、車が流れていたように思えたのはほんの数十m程度で、今日本日これまでの渋滞のなかでもっともヒドい渋滞だった。まったく動かない。数台の車があきらめて強引にUターンしていく。戻るなら、登り始めの今しかない。それでもなんとかなるだろうと、半ばあきらめモード。先ほど買い込んだ食料を車のなかで食べながら、渋滞を楽しむことにした。アイドリングストップしないとガソリンがもったいないくらい進まない。

しかし、ほんとうに進むのが遅いので、ついに勝尾寺はあきらめた。時間を確かめるのを忘れたが4時を回っていたにちがいない。

地図を取り出して、亮佑が行きたいという阪急バスの豊能営業所に向かうべく、道を確かめる。今どき、ナビのついてない車も珍しいが、このフィットを買った頃、ホンダの純正ナビはお粗末だったにもかかわらず20万円もする。オデッセイでナビに慣れて野生の感がなくなった経験もあって、あえてナビをつけなかったのだ。いまやケータイの助手席ナビで十分。しかしママのケータイはパケホーダイしてないし、iPhoneは無線LANでしか使えないようにしているので、それも使えない。亮佑がもっていた阪急バスの路線地図を手がかりにルートを確認した。

勝尾寺への登り道は、途中でT路路になっていて、右に行くと環境クリーンセンターを経て、茨木方面に向かうことができる。それが希望ヶ丘につながっていることを確認。皆が勝尾寺側に折れるのを尻目に、右折。なんと、他にも2台の車が同じ道を行く。しかし前の2台の車が遅い。あまりにも遅い。ようやく渋滞を抜けて、ガラガラの道路を走れるというのに…

と思っていると1台前の車が先頭の車を追い越した。追い越しどころはこれまでにも何度もあったのに、ようやく、あるいは、ついに、という感じで抜いていった。見通しの良い直線道路。対向車なし。しかし加速が悪い。おいおい、とみていると、抜き始めた直後に前方に対向車。ぶつかるかも、と皆が思った。きっと対向車にブレーキを踏ませたにちがいない。抜く時は、しっかり加速しないと、短時間では抜けない。悪いけどウチの車も追い抜かせてもらった。

それにしても、急な下り坂道。それもそのはず、勝尾寺に向かうべく、ずっと坂道を登ってきたのだから。まるで、六甲山を下る時のようだったが、亮佑の反応もそのときと同じ。つまりジェットコースターのように絶叫しまくる。後部座席に座っているにも関わらず、単に急な坂道を下るだけでこの反応。当然、ジェットコースターには載れない。どうしてこんな恐がりに育ったのだろう? いっぽう、晃志は大はしゃぎ。

山を下りて人家がまばらに見えてきて、しばらく行くと、忍頂寺スポーツ公園は左折、という看板。T字路を左折したあとは道なりに行けば豊能町にたどり着くはず。あたりは、すっかり田舎の風景になって、どこか遠くまでドライブしてきた感じになった。しばらくは、前方に勝尾寺登りで一緒だった車を何度か確認できたが、いつの間にかみえなくなった。代わりに、いつの間にか後方からは3台くらいがついてきたからだ。しかも結構スピードを出してついてくる。こんな田舎道を?

すると目の間に谷間が広がり、たき火?の煙が朝靄のように谷間に漂っていた。なんと幻想的な日本の風景。その谷間を少し行ったところに阪急バスの豊能営業所があった。その手前で路肩に寄って停止すると、後続の3台の車は営業所を前を右折して奥に入って行った。希望ヶ丘の入り口だったのだ。

亮佑には楽しい営業所。晃志も一緒になってはしゃいでいたので、バスと一緒に写真を撮ってやった。写真は明るいけど、すでに日没後の5時前。



このあと、箕面森町でもバスの営業所によって、伏尾台まわりで帰路についた。(箕面森町については、また今度)。


月 - 11 月 24, 2008   03:14 午前