聞きたくないから聞かない


聞きたくないから聞かない、したくないからしない。それが出来ればストレスは溜まらないだろう。やりたくないことを無理にでもしなければならないから、ストレスが溜まる。ストレスを避けるには、気持ちの持ち方を変えて、やりたくないことでも楽しめるようにすればいいのだろうが、なかなかできることではない。

次男晃志の夏休みの宿題をやっている姿を見ていて、どうしても理解できないことがある。やりたくないことは、しないということだ。

漢字ドリルの宿題で、例示してある二字熟語を4回書き写すだけの練習課題。ドリルを机の上に広げながら、じっと鉛筆をもったまま、いっこうに字を書こうとしない。

書いたらいいだけやん。

と諭しても、まったく手を動かそうとしない。

そのくせ、見たいテレビ番組の時間になると、さっさとテレビの電源を入れている。そんなん見てたら宿題する時間がなくなるんちゃうん? と注意してもどこ吹く風。あとちょっと、と言いながら予告編までしっかりみている。

好きなことにはいくらでも集中できる。漫画本は何度でも読み返しているし、テレビゲームは兄よりうまい(もっとも兄より長時間ゲームをしているので習熟してあたりまえかもしれない)。

なのに一度「やりたくない」と思ったら、とことんやらない。嫌々ながらでも地道に少しずつ書き進めるということができない。ついに、やらなかったことが塵も積もって山となり、一日二日でこなせなくなって、途方に暮れる。

それを予防するために、夏休みのはじめに宿題スケジュールをいっしょに作った。まずは一日の生活時間を決めた。テレビの時間を多めにとっていたけど、勉強する時間も決めていたのでOKしてあげた。でも、一週間くらいしか続かなかった。

宿題をしないまま、学校がはじまって、宿題未提出者として名前を書き出されるのは毎年のこと。それも、恥じ入る様子もない。小学校では名前を書き出されるだけで、そのまま放置してても叱られないようだ。参観日とかに親にバレて、ようやく観念するようだ。

ドリルのせいで自由課題をする時間がなくなってしまうので、母親が見かねて手伝いをする。自分の宿題だという認識がないのか、いわれるがままに作業しようとするが、気が進まないから、だらだらしてて、それでまた叱られる。とうぜん創意工夫もない。最終的には母が仕上げた自由課題ができあがる。そして自分がやりたいことではなかったと愚痴る。

実は、これ、我が子だけの問題ではないような気がする。


月 - 8 月 25, 2008   11:02 午後