バレエのエキストラ


ママがバレエの公演にエキストラで出演した。いつも習いに行っているバレエ教室のみなさんが出演するステージに群衆役として抜擢?されたそうだ。抜擢というと大げさかもしれない。ママがいうには、たまたまそこに居合わせたから、先生に声をかけれたそうだ。

演目は、バレエ「ナポリ」より第3幕の終盤。華やかに集団の踊りが繰り広げられる場面。

子どもたちと一緒に観に行った。ママの出番の3つ前のプログラムから観た。ママの出番はトリ。華やかで見応えがあった。踊りもみな上手で、観ているだけで背筋がピシっと伸びてくる。かぶりつきの席だったので、息づかいが聴こえてくるかのように、踊り子の表情もよく見えた。

上手側に立っているからねということだったが、対角線上にステージを見渡せるように下手側に席をとった。

ステージに照明が入ると、すぐにママを発見。しょっぱなから目立つ群衆A。うごきも目立つ。

おもわず「ママ、めだってんなあ」と晃志に耳打ちした。亮佑などは、笑いをこらえるために咳をしていたという。

20名くらいの出演者がいて、いっさい踊らない群衆エキストラは5名くらい。そのうちの一人がママ。衣装をみれば、踊る人がどうかはすぐに判別がつく。その群衆のなかで、ママがひとり目立っていたという感じ。

どうしてだろう? 

まず動きが速く、バレエ的なゆっくりさがなかったからだ。また、中央で繰り広げられている踊りとママの動きが合わなかったり、群衆グループとしてのまとまった動きにズレがあったりしたからだろう。

中央で踊っていた人たちが下がって群衆と化している場合、その人たちの手の動きを観ていると、中央での踊りに呼応しており、観客の注意が中央に向かうように、かつ中央ので踊りを邪魔しないような動きで、なおかつバレエ的な緊張感をもったゆっくりした動きになっていた。

ママが群衆役になったおかで、群衆のエキストラの役割がよくわかった。群衆の動きも中央での踊りと同じくらい重要であるということだ。目立ちやがりのママには向かないということかもしれない。

そもそも、最初にお話があったときは、背景としての群衆役なので、立っているだけでいいという話だったそうだ。ところが、ママが最初に参加した稽古のときには、つっ立ってるだけじゃダメ、踊りなさい、といわれたそうだ。

ということで、群衆シーンでのイタリアのおばさんってどんな動きをしたらいいのかってことになって、映画「ひまわり」の冒頭部や、歌劇「ボエーム」(これはパリだけど)の群衆シーンをみてみたらとか、アニメ「魔女の宅急便」のパン屋のおばさんとか手本にしたらとか、パパは好き勝手なことを助言した。

ママもバエレエ教室からは過去の公演DVDも借りてきて、シーンの勉強などもしていた。でも、そのときの公演はあまり群衆は動いていないということだった。

ママが参加2回目の稽古のとき、出演者の人が踊りのステップを教えてくれたのを良いことに、こともあろうかママは中央の踊りと同じように踊ったそうだ。先生は、エキストラのママに対してはやさしい口調で指示を出すそうだが、その日の稽古では生徒に向って、背景は舞台中央の踊りを注目させるためにあることをわきまえて目立つなとかなんとか、厳しい口調で戒めたそうだ。

きっと先生は、ママの動きをみて注意したに違いない。でも、ママはそれが自分のこととは思わなかったらしい。生徒のみなさんはとんだとばっちりだったかもしれない。

それで本番のときは、控えめな動きをしたというママ。でも充分、目立ってました。

舞台中央で踊るみなさんをみていても、ママの動きが目に入ってくる。と感想をいうと、ママはどうしたら群衆エキストラとしての動きになるの? と謙虚にきいてきた。

そうやなあ、舞台の進行をちゃんと把握して音楽と踊りを覚えること、その上で自分は引き立て役だということを自覚して、観客の注目が舞台中央に集まるような動作を、極力ゆっくり行うことちゃうか。

そういえば、白鳥の女王様って座って手を振ってるだけやけど、あれは引退したプリマドンナがする役やって先生が言ってはったわ。ステージ全体を把握してないとできないっということやったんやね。

と、いつになく従順にパパのいうことを聞いてくれる。

わたし群衆としてももっと上手になりたい。

それには、やっぱり踊らなあかんのちゃうか。

というわけで、ママのバレエへの情熱を喚起するパパでした。


日 - 4 月 13, 2008   11:39 午後