子どもを叱るのは難しい


子どもを育てるときに大切なのは、悪いことをしたときに叱ること。叱るというのは、怒ることではなく、諭すように話しかける。悪いことをしたとしても、決して責めるように捲し立ててはいけない。まして感情的に怒るのは、かえって逆効果だ。

そんなことは重々承知しているが、親という立場になると、つい感情的になって怒ってしまう。怒るというのは、自分の感情が激している状態をいうのであって、要は子どもに対して腹が立っているのである。そのとき冷静になって、叱る、ことなんてできない。

子どもに対して腹が立つというのは、どういうことかというと、自分の子どもに対する過度の期待から発しているのではないか。他の子どもと比べるとか、親の理想と比べるとか、そういう現実の我が子以上に出来のいい状態を、親の都合で勝手に想定して、それと比べるから、なさけなくなる。それだけなら、まだ怒らないかもしれないが、そういう期待に対して子どもが反応しない場合、だんだんと腹が立ってきて、怒りに変わる。

そして、日常のなかで同じことが何度も繰り返され、しまいには、ちょっとしたことでも、何回も同じこと言わせるな! と激怒する。

親から過度の期待を押し付けられた子どものほうは、たまったもんじゃない。まず親が想定している自分の姿を自分自身が想定できない。それを想定するのは子どもの想像力を超えている。だから、自分自身の思考や行動規範に素直に反応しているだけ。親は親の価値観で子どもの行動規範を想定しているのだから、それが理解できない。だから腹が立つ。

つまり、子どもは、大人と同じようには考えることができないのだから、それをわからせてあげるところから始めないと、いつまで立っても平行線で、親は子どもに腹が立って仕方ないし、子どもは怒られて泣くか逆ギレして反撃する。その繰り返し。

結局、親がおしえてあげるしかないでしょう。相手を大人と思うから腹がたつけど、子どもは子ども。ゆっくり時間をかけて親子の信頼関係が壊れないようにしてあげるべきだ。

先日、亮佑と晃志が一緒にお風呂に入っていて、何があったのか亮佑が上がってきたときに、晃志が風呂場で大泣きしてた。有無を言わさず亮佑を怒鳴りつけた。言訳も聞かなかった。ただし、手出しはしてない。中学生になったらもう手出しをしないと決めたからだ。でも怒鳴りながら顔を寄せると、一瞬身を引いて防御の姿勢。いままで殴られてきたことを怖がっている。これでは、何かを理解させることは無理だと、自戒した。

一昨日、晃志がママに怒られて反撃した。ママの立ち会いのもと、晃志に確かめた。このときはママが叱ったあとなので、パパとしてはそれ以上何も言わなかったが、ママの腕を引っ掻いたことはいけないことだった。先日の反省があるので、諭すようにおだやかに晃志に問いかけ、顔を寄せた。晃志が両腕で顔を覆った。殴られると思ったようだ。やっぱり自分が情けなくなった。怒鳴ったり、殴ったりしてきたことだけが記憶として残っていて、何に対する怒りなのかは理解されていない。

パパが中学生のとき、おじいちゃん(パパのおとうちゃん)に怒鳴られて、晃志と同じように両手で顔の前にあげて防御した。でもおじいちゃんは、殴って来なかった。それ以来、もう殴られたことがない。亮佑に対してはそれを実践しようと決めた。もう殴らない。晃志もいっしょだ。

いろいろ教えないといけない相手にたいして、これから教えるべきことをまだ知っていない、と怒ってしまうのは本末転倒。何度言ってもわからないなら、何度も言って理解させてあげる忍耐力が必要なのだ。そうでないと何も教えることができなくなる。感情的になってはいけない。激昂して怒鳴ってしまうと、相手は結局のところ離れていってしまって、何もおしえられなくなってしまう。


火 - 5 月 15, 2007   11:43 午後