小学校の卒業式


今日は、亮佑の卒業式だった。休日出勤の振替休日をとって、卒業式に行った。私学の卒業式と異なるのは、家族の入場を規制していること。ちょっと信じがたいが、晃志は入場できないといって追い返された。なのに、晃志の友達とか、何人かは親といっしょに入場している。対応に差があるのだ。

かわいそうに晃志は、ひとり家路についた。

そういうこともあろうかと、実は伏尾台のおばあちゃんが留守番してくれたのだが、しかしあまりにも気遣いのない小学校の対応に唖然。

式が始まって、ふらふら倒れそうな児童が何人かいる。大丈夫か? ちょと心配だったが、最後までがんばった。

子どもたちはステージの上手下手から登場し、ステージ前の雛壇に設置されたイスに座る。校長が卒業証書を渡す演壇は体育館中央に設置されており、子どもたちは一人ひとりそこまで歩いて、将来の夢をかたって、卒業証書を授かる。保護者の席は、その両側に、演壇に向って用意されている。目の前を児童たちが、颯爽と歩いていく姿は、見ていてきもちいい。

そのあと、校長の「はなむけことば」があった。どんなことをお話してくれるだろうと期待したのだが、開口一番「本日はこのような立派な式を挙行できましたのも教育委員会云々」といいだした。この校長、向いている方向がちがうようだ。教育委員会で出世したいのだろうか。

校長の言葉、来賓の言葉が終わると、児童が「お別れとはげましのことば」を皆で分担して述べるのだ。学習発表会のようで、楽しい。だれか総代が答辞を述べるスタイルより、小学校はこういうのがいいのかもしれない。

実はその「演技」の合間に保護者代表の言葉がある。今年はママに白羽の矢があたった。

思い起こせば6年前の6月。あの附属池田小学校事件に対する小学校の対応に、抗議のメールを出したのは、パパです。すぐに校長から電話がかかってきた。あの頃、担任と校長に不信感を持ったが、今となってはとってもいい先生方だった。でも御多分に洩れず、良い先生はどんどん転勤していった。そのあと残った先生方の大変な思いは計り知れない。

ママのスピーチを聞きながら、上記のようなことを思っていた。話の内容は命の大切さを訴えたもので、感動的。何回きいても涙がでてくる。


金 - 3 月 16, 2007   10:03 午後