がんがら火祭りに参加した亮佑と晃志


池田に引っ越してきて8年、がんがら火祭りは観るばかりで一度も参加したことがなかった亮佑と晃志だが、今年はじめて祭りに参加した。

池田市の伝統行事である「がんがら火祭り」は、1644年に起源をもつ伝統的な祭りだそうだ。五月山の愛宕神社のお祭りで、京都の大文字のように、五月山の山腹に大文字を灯し(西側に「大一」、東側に「大」)、その火を大きな松明につけて市中を引き回す。大きな松明(100kg、4m)を担ぐのは大人だけで、子どもたちは大松明に先行して歩き、鉦(かね)や半鐘を打ち鳴らす。その音の響きから「がんがら」の名がついたそうだ。

パパが子どものころに住んでいた伊丹市緑ヶ丘(むしろ鋳物師付近)からは池田の大文字がよく見えた。当時は花火大会といっしょだったように記憶している。

祭りに参加して初めて知ったのだが、「大一」と「大」は祭りの主体となる町内会がことなり、別々の行列だということ。毎年みてて気づかなかったが、そういえば家の前を通っていく行列と、大松明に先行する行列は衣装も異なっていた。城山町の「大一」の文字火は愛宕神社の御神火を、建石町の「大」の文字火は星の宮からの御神火をもらってともす。大松明をもって市中を引き回すのは城山町のほうで、建石町は子どもたちだけの行列だ。

それがまたややこいことに、亮佑は「大一」のほうで、晃志は「大」のほうに参加することになった。

晃志のほうは、自宅のすぐ前を通って、「大」の字の山腹まで行って低学年は待機、4年生以上が「大」の字の所まで行って火をともし、さらにその火を竹につけて、同じ道を下って麓の神社まで持ち帰り、奉納する。毎年、自宅付近で鉦の音が聞こえるのは、こちらの行列だったのだ。

亮佑のほうは、、中学生以上が愛宕神社まで登り火をもらってきて「大一」に点火。小学生以下は五月山公園で、山から下りてくる小松明を待つ。火は、油掛け地蔵のまえで大松明に火を移し、大松明の巡航を始め、約2時間半かけて町の中をめぐる。毎年、市役所前で観る大松明のつけかえは、これだ。

祭りのために早退してきたのは5時半ごろだったろうか。もう鉦の音が聞こえてきた。あわててカメラとビデオを持って表にでると、晃志たちの行列が見えてきた。それを見送りと腹ごしらえをして、亮佑たちが待機している五月山中央公園に向った。ところがもう誰もいない。見上げるとすでに「大一」に火がともっていて、山の上から鉦の音が聞こえる。それが降りてくるのを待って、あとからついていった。きっとその先に亮佑たちが待っている。

(かきかけ)


金 - 8 月 25, 2006   02:33 午前