湖北の旅 マキノサニービーチ〜長浜


この夏の家族旅行。琵琶湖で泳ぎたいという子どもたちの要望を受け入れて、ならばいっそのこと大河ドラマで盛り上がっているはずの長浜まで足をのばそうと考えた。

当初は伊賀上野の忍者村を考えていた。この種の施設は長男が小学生のうちじゃないと楽しめないだろうと思ったからだ。ところが、晃志が琵琶湖って、ため池? なんてことを聞くもんだからママが仰天して、琵琶湖を見せてやりたいということになって、さらに子どもたちは、琵琶湖で泳ぎたいと言い出し、最終的に湖北に的を絞った。

前夜、こどもたちのワクワク感といったらない。ところがこちらときたら、前日になるまで行程などいっさい考えてなかったから、夜になってからビーチ探しを始めた。伏尾台のおばあちゃんの話では、高島市がビーチに力を入れているとテレビで放送していたということなので、ネットで検索。マキノサニービーチを目的地に設定。泳いだあとに長浜城か彦根城を見学することにした。めったに行けないので両方とも行きたいが、どちらも開館時間は5時までなので、どちらか一つしか無理だろう。

あさ、6時前に起床して7時に出発。晃志は4時から起きていたらしい。当初、湖西周りでマキノまで行って、奥琵琶湖から長浜に行くよていだった。11時ごろにつけばいいだろうと思っていた。しかし当日の朝、名神高速を走っていると思いのほか空いていたので、予定を変更して、そのまま高速道路で北陸道の木之本まで行くことにした。高速を降りたのは9時半頃だったろうか。下道を走ってマキノに向う。

途中、奥琵琶湖ドライブインを発見、トイレ休憩するかどうか迷ったがそのまま通りすぎる。しかし、道を間違えて琵琶湖最北端を周遊してしまいドライブインに逆戻り。ナビがないと野生のカンにたよった運転になるが、その勘が鈍っている。まあ、ドライブインで休めと言うことだと思って小休止。焼きちくわが旨かった。

マキノビーチについたのは10時半ごろ。ネットではビーチ百選に入ったと広報していただけあって、さずがにきれいだ。ゴミが落ちていない。しかし、海水浴と言えば白浜を原体験として持つ亮佑と晃志にとって驚きだったのは、琵琶湖のビーチは砂浜ではなくて砂利浜。水の中も砂利。それも結構大きい石。歩くと痛い。ここは足裏健康マッサージ浜か?

水は冷たくなくて泳ぎやすいが、底の石がヌメヌメしている。川と同じ感触。そして浮かない。海水でないから、当たり前なのだが、砂浜で泳いでいるのにあまり浮力がないのは、なんとなく違和感がある。でも口に入ったときにしょっぱくないのが救い。なんとなく風景が静的で、どことなく海水浴場とは異なる気分なのは、気のせいだろうか。

盛りだくさんの予定のため、泳ぐのは1時間だけという約束だったが、結局マキノビーチを経ったのは2時前。すっかり琵琶湖を堪能し、楽しかったと感想をもらす子どもたち。アイスを食べたいという子どもたちに、長浜についてから、と先延ばしにする。来た道を木之本まで戻り、一路、長浜に向った。

3時前に長浜城につく。大河ドラマに合わせて一豊と千代の特別展をやっていた。無料駐車場はお城から10分ほどはなれた場所。遠かった。大阪城天守閣周りを想像して、かき氷やアイスクリーム売り場があるだろうと思っていたが、認識が甘かった。売店はあったがシャッターがしまったまま。天守閣内には休憩所はない。アイスがお預け状態になったまま数時間経ったので、さすがにくたびれている。しかしお城の展示物は結構興味深かった。

パネル前で湖北の歴史を語る学芸員の話に聴き入ってしまった。亮佑に奥琵琶湖ドライブインでなぜちくわやかまごこが名産品として売られているかを分からせるために、わざと質問してみた。「長岡は関ヶ原に抜けて交通の要所だったのは分かりますが、北に抜けて北陸につながっていたのは木之本の辺りになりますか?」学芸員は、明治時代の鉄道敷設の例を出しながら、琵琶湖を縦断する水上交通と連携して奥琵琶湖が交通の要所であったことを丁寧に説明してくれた。

この辺の山は険しくて、わたしがまだ子どもの頃は、蒸気機関車を2台連結して、しかも前後に折り返しながら登ってましたよ。

丁寧に解説を聞いていたので、彦根城はあきらめて、長浜の黒壁スクエアに滞在することにした。歩いていける距離だったが、その後のことを考えて車で移動。ところが黒壁スクエアがどこか分からない。ようやく見つけたものの、駐車場が見つからない。最終的にはまるっきり野生の勘にたよって駐車場さがし。ようやく、市営駐車場をみつけた。

アイスに餓えた子どもたちは、なんでもいいから欲しい状態だったが、そこは黒壁スクエアまで我慢させて、ようやくたどりついた黒壁スクウエア。情緒があっていいものです。町家を改造したカフェでアイスクリームにありついた。

ところが、5時半ごろになると閉店の用意をはじめた。店をでて、ガラス館をみると入場は6時まで。 ??? このあたりはすべて5時から6時くらいで閉店だったのだ。お土産をここで調達しようと思っていたアテがあずれた。ガラス館はのぞいたが、それ以外は時間切れでアウト。店のしまった通りを歩き回って、情緒を堪能した。6時半、帰路へ。

帰りは下道をひたすらゆっくり走ることにした。どこかで夕食もしたい。しかしママは自宅周辺のバーミアンで、という。彦根市内で国道沿いに見つけたバーミアンだったが、そこには入らなかった。こどもたちはどんどんお腹がすいていく。国道沿いのレストランを物色しながら進んでいった。ラーメン屋はたくさんあったが、どれも却下。

それにしても暗い国道をゆっくり走っていると、どうも同じ様な風景の連続で、とくに南下しながら橋を渡るときはいつも同じ風景の様な気がする。それを言うと、昔、丹波からの帰りに同じことを言って亮佑が泣き出したことをママが思い出した。

結局、つぎにバーミアンを見つけたのは、大津市内だった。しかしそれも見過ごしてしまった。ここまで来たら自宅周辺の方がよくない? といいつつももう8時半をすぎていたように思う。このまま行けば11時ごろになるのではないかと懸念して、京滋バイパスから茨木インターに向うことにした。

京滋バイパスは、名神の京都インター付近の混雑回避のために瀬田と大山崎間をバイパスする高速。滋賀側から乗ると必ず大山崎に向うことになるのだが、走ってきた方角から高速にのったときの方向感覚が狂ってしまって、東向きに走っている様な気がした。暗くて景色は分からないし、標識も出てないので、どこに向っているのか分からない。

「あれ? 逆戻りしてんのちゃうか?」というと、いきなり亮佑が怖がり始めた。
「え? どないするん? やめてや! こわい」
「逆向き行ってるだけやから別に怖いことないやろ」
「いいや、これはきっと狐につまされたにちがいない」とママが亮佑を脅す。
「やめてえや、ほんまに怖いやんか」

このとき晃志は熟睡状態だった。亮佑が怖がったのは、長浜市営駐車場近くにあった狐の象で遊んでいたからから、そのバチが当たったんや、と脅したからだ。調子のってどんどん突っ込むママだった。「こんなことで、こわがる亮佑がかわいいわん」とママ

結局、箕面までかえって来たのが9時半頃、王将で遅めの晩飯を食べた。ところが、王将に子どもたちを連れて行ったのは初めてだったのだ。盛り上がる子どもたち。すっかり王将が気に入ったようだ。


火 - 8 月 15, 2006   11:48 午後