インセプション(2)結末について


映画「インセプション」の結末について考えていたら、ひょっとして「インセプション」のネタは、「天使のくれた時間」(原題:Family Man、2000年)ではないか? と思った。

「天使のくれた時間」のジャック(ニコラス・ケイジ)は、婚約者だったケイト(ティア・レオーニ)と別れて、ビジネス界で大成功を収めた。社員にクリスマス返上で働けというような冷徹さが今の自分を築き上げて来たと信じている。

ところがクリスマスイヴに、そのケイトから電話があったことを秘書のメモで知るが、いつもの調子で無視する。そして、ふとしたことから、街中にふらつく変な天使によって、かつて別れた筈のケイトと結婚して子どもまでいるという夢の世界に連れていかれると設定で、夢物語が始まる。

ジャックは現実世界の意識のまま、夢の世界を訪れ、現実とはまったく異なる夢の中の自分を認識し、やがて夢の中の自分に慣れていき、とうとう夢の中に居続けたいと思うようになる。

その途端、現実に引き戻される。

そのとき、ジャックが取った行動は?

パリへ飛び立とうとするケイトに会いに空港まで車を飛ばし、ゲートをくぐろうとしているケイトに向かって、もし結婚していたら…と夢の世界の話を人前憚ることなく大声で叫び始めたのだ。

便を諦めて、戻って来たケイトとカフェで語らうエンディング。

そう、夢の中のケイトは、ジャックのみならず、世の男どもが、こんな女房がいてくれたら文句なし、と誰もがうらやむような理想型。現実には存在し得ないとおもいつつ、ケイトに惹かれる。

男の夢の中に出てくる女性は、常に理想型。その理想型の夫婦と子どもたちの生活を語る。

「インセプション」のコブはそれに気づき、欠点のないモルは自分が作り上げた虚像だと認識して、夢の中のモルと決別する。

一方で、モルに植え付けた意識によって、モルが自殺をしたという事実が、コブを悩まし続けていたが、唯一の解決法はコブが夢から目覚めないことだと信じ込んでいた。しかし、決意できないまま、逃走生活が続いていた。いったいコブの逃走生活はどのくらいの年月だったか。

夢は自分の意識の現れ、と説明するコブだが、コブの意識は常に家族(別れた子どもたち)に向けられ、子どもたちと一緒に過ごすことを望んでいたのなら、コブの夢は最終的に子どもと一緒に過ごすことで終演する。

ラストシーンで子どもたちがふりかえって、笑顔が見えたとき、観ているこちらも安堵した。しかし次の瞬間、子どもたちが大きくなっていないことに気づく筈。

もしコブの逃走生活が1年以上つづいてるとしたら、あの年頃の子どもが成長してないのはおかしい。

別れる前に子どもの顔をみることができなかったとしても、子どもの顔は覚えているはずで、夢の中でも子どもの顔をみることができないのは、妻モルが自殺したことへの後悔の念があるからだ。

ジャックの夢では子どもがいるが、現実にはケイトと結婚もしてないし子どももいない。だから現実のケイトは、ジャックの語る内容が夢物語だとわかる。分かったうえで、ジャックの気持ちに共鳴するのだ。ケイトにとってジャックの話は夢物語ではなく、現実のジャックの意識としての物語として聴いている。

コブの夢には死んだ筈のモルが出てくる。しかしコブは夢の中のモルと決別した。意識下においる妻への後悔の念を克服したといえる。つまり、コブの夢にはもうモルは登場しない。

駒が回り続けるかどうかは、コブの意志で決まる。ここが安住の夢のなかと決めれば、駒は夢の中でも止まる。

一緒に過ごし始めた子どもたちは、夢のなかで50年一緒にすごしたモル同様に、成長し、やがて自分も老いていく。

サイトーと異なるのは、虚無の世界でひとり寂しく老いるのではないということ。


木 - 9 月 16, 2010   12:22 午前         |