SAYURI


SAYURI(原題:Memoirs of Geisha)は、2005年のアメリカ映画。太平洋戦争前、置屋に入った少女が,ある人物への想いを胸に花街一の芸者になるという話。しかし戦渦にまきこまれて疎開したまま終戦を迎え、戦後何年か経ってから永年の想いをかなえる。映像の美しさ、巧妙なカメラワーク、それに音楽がいい。ヨーヨーマのチェロが特にいい。

しかし、これは日本?

予備知識なしで期待して観たのだが、おおいに失望した。役者の問題ではない。英語を喋るからではない。映像化の背景には欧米人の東洋趣味的女性蔑視観があるのではないか?

わけの分からない日本風の世界。

京都をイメージしていることは明らかなのに、置屋の屋根から周囲を見渡したときの景観は京都とはほど遠い。京都の町が碁盤の目のように区画整理されていることは誰でも知っているのにあれはひどい。ごちゃごちゃに入り組んだ迷路のような路地。わけもなく町中に太鼓橋がかかり時代劇の江戸の町の様相。昭和初期のはずが江戸と明治も入り交じっている社会。

はしたない着付けで下品に歩き回る和服姿の女性たち。言葉では置屋と女郎屋のちがいを力説しているくせに、この身嗜みはなんだ。和服の仕立てもひどい。これはチャイニーズゴーストストーリーか。絢爛豪華な芸者の世界を描こうとしても、これでは興醒めだ。

圧巻は、「華をどり」でのさゆりの舞。のはずだった。たぶん一番盛り上がるはずだったのに、あの舞はありえないでしょう。

これが外国人が観た日本ということだ。
精一杯勉強して日本らしさを出そうとしてもこれが限界ということ?

でもなさそうだ。あきらかに、これでいい、と確信している。これが我々が作り出す日本映画だと確信に満ちている。
ジョン・ウイリアムスの音楽が明らかに中国風であることもその証拠だ。

日本文化の全否定になりますよ、って言いたい。

でも相手は日本文化を描いたとは思っていない。日本風であればいいと思っている。

見終わったあとに、残るものがない。すかっとしない。いったい何を伝えたかったのか。

日本人俳優が好演しているだけに悔しい。
とくに桃井かおりがよかった。
日本でリメイクしてほしい。


土 - 8 月 16, 2008   10:57 午後