ジョー・ブラックをよろしく


1998年、米国。ブラピ出演の映画。アンソニー・ホプキンスの演技が光る。クレア・フォラーニもよい。冒頭のカフェのシーンで、喋りまくるブラッド・ピットは彼らしいキャストという印象だったが…

いきなり交通事故! しかも、はげしく2台の車に交互に当てられる。

え??? どうして? どうなるの?

そしてビル(アンソニー・ホプキンス)のところに現れた死神ジョー・ブラックの容姿はブラピ。「肉体が必要だった」という。

この映画は、この死神を信じられるかどうかで評価が別れるだろう。『天使がくれた時間』の天使と同じような道化回しだが、死神のほうが大役だったようだ。他人にも見えている。しかも人に恋して、人助けまでする。

ジョーがいようといまいと、死期を悟ったビルは、最後の数日を同じように生きただろう。ただし、突然に訪れる死ならこうはいかない。さしずめジョーは末期癌の宣告ということろだろうか。

連日、娘たちと一緒に夕食をとる。娘を気遣って嫌いなケーキをおいしそうに食べる。最後のひとときを、家族とともに過ごし、家族を思いやって死を迎える。

人に優しくなれる映画だ。

クリスマスイブにみてふさわしかった。

ただし、スーザンは気づくのが遅い。それも死神のなせるワザ?
でもそのおかげで、カフェの青年は蘇った。ジョーのスーザンへの気持ちが独占欲から愛に変わった瞬間。

実は、スーザンを愛している、スーザンも一緒に連れて行くと言い出したジョーに対して、ビルが説教していた。

「好きなものを奪うのは愛でない。愛の本質がない。愛とは生涯を懸けて相手への信頼と責任を全うすることだ。そして愛する相手を傷つけぬこと。」
「きみは正体を話したか? 自分をさらけ出して、どうなるか見るんだ。」

その直後、スーザンが恋しているのは自分が肉体を奪った青年だったこと、そして自分の正体を話すことがスーザンを傷つけると気づいたジョー。潔く身を引くジョー。

パーティの場面は、泣けるシーンの連続だった。

最後に疑問。蘇った青年はジョーなのか、もとのままなのか?

言動から判断できない。
日本語字幕をみているかぎり、「父にあわせたかった」「会いたかった」といっているので、すでに父の死を知っている。しかし英語では、"Me ,too"としかいっていないような…


月 - 12 月 24, 2007   04:33 午前