マイフェアレディ


仕事のBGMとして、気分転換にミュージカル映画「マイフェアレディ」を引っ張り出してきた。台詞が多いのでBGMになるか? とおもったが、やっぱり見入ってしまった。

それにしてもいい曲がいいっぱいだ。何度聴いてもあきないのは確か。映像なしで曲だけ聴いていればよかったのだが…

何度も見た気がするが、詳細を忘れている。話の筋はわかっていても、きっと今までは感情移入はできなかった。オードリーの美しさだけで見ていたようにも思う。それしにてもオードリーは美しい。

ヒギンズとイライザの間に生まれる恋物語。ただ単にそう思っていたのだが、いま観ると、ヒギンズの家を飛び出すイライザの気持ちが痛いほどよく分かる。いやむしろ、その気持ちが理解できないヒギンズの気持ちがよくわかる。

「スペインの雨は主に平原に降る」の歌の直前に、ヒギンズがイライザに「キミならできる」というとき、初めて人としてイライザに接したヒギンズ。なぜ突然発音できるようになったのかはヒギンズに分からない。わかるもんか、相手はいつまでもたっても研究材料にすぎない。

それにしても、それまでのイライザの努力を支えてきた気持ちはなんだったのか。「一晩中踊り明かしたい」と歌ったのは、立派な花屋の売り子になりたいという思いが叶えられるとおもったからに違いない。

結局、ヒギンズの家を出たイライザがヒギンズの母の家で「あなたなしでも春は来る」とイライザが歌ってもヒギンズはそれに気づかない。自分が育て上げたと、自分の研究成果に酔う。一生懸命なって教えたからこそ、一人前になったからこそ、自分が手をかけたおかげだと思いたい。

ま、映画はここからお互いに自分の気持ちに気づいてハッピーエンドになるだが、現実はこうはいかないだろう。どうしてイライザがヒギンズに恋心をいだくことができよう。ここで別れて終わりのはず。

ヒギンズとしては失ってから初めてわかる大切な存在ということだろうが、それは人生の伴侶という意味においてではないのは、一方的に教える立場としての関係しかなかったことからわかる。単にピグマリオン効果を実証する対象がいなくなってさびしいだけだ。

イライザは自分自身の目標に向って新しい人生を歩み始める。その道を切り開いた協力者としてのヒギンズの存在は大きいが、ヒギンズとしては、音声学の教授としては、それ以上彼女の人生に関わりを持つべきではないだろう。傍から成長を見守ればいいのだ。

それにしても、この映画でオードリーの歌声が聴けないのは残念だ。2曲だけ特典映像としてDVDに収録されているが、全曲オードリーの歌声で観たかった。


日 - 11 月 25, 2007   10:12 午後