博士の愛した数式


ずっと見たかったから、今日はリアルタイムでテレビをみていていた。寺尾聡の演技を見たかったのだ。

成長した息子が数学の先生になって教室で授業をしているシーンはすべて、説明的すぎて物語の邪魔。たしかに数学的知識の解説はほしいが、博士と家政婦と息子、そして姉との関係がドラマとして途切れてしまって、感情が高まりかけては、興ざめするの繰り返し。

どうしてこのように説明的にしすぎるんだろう。

映像的にも川面を写すだけの映像をカット挿入するの意味不明だったが、見続けているうちに季節の表現だとわかる。しかしわざとらしい。もっと自然に表現できないものか。

寺尾聡 もっと良い演技してると期待したが、ふつうだったなあ。
親父の宇野重吉とダブルけど、宇野重吉に及ばない。宇野重吉超えてほしい。

しかし、家政婦の料理姿に見とれる博士。このあたりから、演技に惹き込まれていく。

「君の料理をしている姿が好きなんだ」

あの博士のように素直な心でありたい。そう思うと涙が出てきた。この感情は抑えられない。人に対して素直になることができなくなっている今、素直な感情をそのままストレートに語ることができる博士に、自分自身を哀れんだ涙だったのかもしれない。

一方、家政婦の博士とのつきあい方に、愛情と忍耐強さを感じる。深津絵里は好きな女優のひとりだ。

その家政婦が息子に「『その話は一度聞いた』と言わない」と諭す。つまり、何度同じ話を聞かされても、初めて聞くように聞いてあげるといこと。普段の生活のなかで普通の人を相手にしてると、すぐに言ってしまう言葉。それがコミュニケーションを阻害している。そういう自分を思い出して、そうじゃないやり方もある筈だと考えさせられた。

「君の話」が身にしみる。

また、家政婦は息子に対して、「一瞬でも信用しなかったことは人間としてはずかしい」といって謝る。子どもに対して自分の非を詫びるなんて、なかなかできることじゃない。そういう意味で現実離れしている親子かもしれないが、人間としてはそうありたい。誰に対して自分の非を認めて謝るべきなんだ。たとえそれが我が子であっても。


ボクの記憶は80分しかもたないと言って泣き出す博士。
「ボクは何の役にもたたないっ!」

やっぱ、寺尾聡は良い演技してるわ。

大事なのは、この今。自然に任せきって、ひとときひとときを生き抜こうと思う。


最後に成長した息子が、教室でいう言葉が印象的だった。
教室のシーンは要らないと書いたが、これはよかった。

自然の美しさを言い表すことができないように、数式の美しさも言い表すことができない。感じることが大事。


土 - 5 月 19, 2007   11:21 午後