宮崎吾郎版『ゲド戦記』


宮崎駿の息子、宮崎吾郎初監督のアニメ。ジブリのスタッフはそのままで、キャラクターも従来の駿監督調だから、予告編を見る限り、駿監督との違いがわからない。

原作の『ゲド戦記』は奥の深い作品だった。それを宮崎吾郎がどうアレンジするか期待。私は観てないが米国テレビのドラマ『ゲド戦記』はファンだけでなく原作作者にも不評だったので、ジブリのアニメ版がどこまで原作に肉薄できるか楽しみだった。今日、子どもと一緒に梅田ナビオまで出かけて観てきた。以前、『千と千尋の神隠し』を観た映画館だ。あのときは千尋が暗闇迫る中を走り回っているときに晃志が泣いた。

残念ながら、原作とは別物とおもったほうがよい。脚本の原案は宮崎駿のようだ(『シュナの旅』)。ジブリがゲド戦記をアニメ化すると知ってから原作をよんだが、読んだとたんに宮崎駿作品のネタが集積していることに気づいた。しかしアニメ版ゲド戦記の脚本は原作に忠実ではない。2時間の枠に収まるようにゲド戦記を再構築し、伝えたいメッセージを最小限に絞り込んだ。さらに、それを吾郎が監督したことによって、メッセージ性が損なわれてしまったのだろうか。いや、熟練した宮崎駿作品のレベルを期待しただけに、メッセージの伝え方があまりにぎこちないのに不満を感じたのかもしれない。

登場人物の台詞によるあまりにもストレートなメッセージ。「命を大切にしない人間はきらいだ」。でも脚本は、それを補完する要素に欠けている。単に言葉によるメッセージでしかない。ほとんどが台詞で語られる直接的メッセージ。

絵は美しい。美しすぎて、かえって不自然なほどだ。しかし、その美しい絵だけで感動を呼べるかといったら疑問だ。リアルに描くことに徹するなら、アニメにせずに実写にすればいい。アニメは不必要な情報を省くからこそ、より美しさを演出できるのに。

たとえばテルーが夕陽にむかって歌うシーンが延々と続くが、アニメにおける情景描写の使い方を間違っていないか? どんなに美しい風景を描いたとしても、それだけを観ても感動は得られない。情景にはストーリーと風景が緻密に絡み合う必然性がいる。あそこで、アレンがなぜ泣くのか理解できなかった。歌詞のせいか? ならば余計に風景描写は不要だ。

『ハウル』においてソフィーがたたずむ湖畔や、ハウルからプレゼントされた草原の描写との違いを感じる。つまり風景のなかに人物がいない場面では情景による心理描写はできないのではないか。

また、悪を表すために黒いドロドロとした粘液は「千と千尋」や「ハウル」で使い古された表現手法で、あまりにもジブリ的でうんざりする。

クモの悪魔性も中途半端だ。『ハウルの動く城』における魔法の切れた荒れ地の魔女のように、いきなり弱々しくなる。それにクモが倒されるのは、ゲドとテナーを救出する過程であり、世界の均衡を取り戻そうとしていたゲドがクモに対して何かするわけでもない。アレンがクモを追いつめるのは、世界の均衡を取り戻すためではなく、テルーを助けるためだ。クモが求めていた永遠の命を得る手段が、どんなもので、どこにあるのか、なぜそれによって世界の均衡が崩れるのか、分からないまま、救出劇の結末として、クモが消滅し、世界の均衡が保たれる。

脚本は、原作の『影との戦い』『さいはての島へ』『帰還』の物語を混在させ、登場人物の役割さえ変えている。アレンは『さいはての島へ』のアレンではなく、『影との戦い』のハイタカ(ゲド)の様相が濃い。『帰還』においてゲドとテナーが捉えられたのを救出に向うのはテルーだ。だいたいアレンは親殺しではない。それに人間と竜はあくまでも別物で、竜は人間にはならないハズ。 ←記憶違い(後日再読して修正)

『さいはての島へ』をベースにしたと聞いているが、原作におけるテーマの死について深く考察するよりも、アレンの成長物語に重点がおかれている。しかもアレンは親殺し。考えようによっては、それ自体が、ゲド戦記より深遠なテーマかもしれない。それにしても、テルーが剣をもってアレンに救援をもとめてきたとき、突然成長して、その気になるアレンが分からない。

だいたい、アレンの「影」がテルーに見えて、さらにテルーと会話をする設定は、安直すぎるように思う。それでも、その影がアレンの真の名を明かすときから、テルーが涙を流しながらアレンを説得するとき、『ゲド戦記』の原作にある様々な物語と背景が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、勝手に涙が出てきた。それはテナーがはじめて「アチュアンの墓所」の名を出したときに、心の中で伏線として原作の物語を思い出し始め、それが頂点に達したからだ。決してアニメのシーンでの感動ではない。

物語の背景にある様々な設定はそのままであるのに、原作を知らない者には分かりにくいのではないか。そう思ってママに感想を聞くと、これまでジブリのアニメを見ていたらよくわかる、という。例えば、真の名前のもつ重みは、『千と千尋の神隠し』を観ていれば理解できる。竜もハクと思えばいい、とのこと。確かにそうかもしれない。

ところで一国の王子であるアレン。王国の宮殿がある都市部に住んでいたはずの王子に「今日は縁日か何かですか?」なんて台詞をいわせていいのか? 桂文珍じゃあるまいし。


土 - 8 月 19, 2006   06:29 午後