雨の養老天命反転地(現地編)


養老天命反転地の入場券売り場には、施設の塗装が剥げた部分を塗り替えていますという看板が出ていた。そして、塗り替え工事中につき入場料は団体料金に割り引かれていた。ちょっと得した気分だった。貸し靴や貸しヘルメットが用意してある。ちょっと過激な遊園地っぽい雰囲気。

リーフレットをもらったが、雨のなかで傘を差しながら見るのが面倒なので、そのままバッグにしまい込んだ。管理棟から敷地に回り込むと辺りを一望できた。

その瞬間、ああ雨の養老天命反転地! 雨だけど来てよかった。晴れた日に子ども達を連れ来てやりたい。そう思わせる景観と建物と装置だった。

順路に従って、手前にあるピンクの建物に入っていったら、そこは不思議な空間。低い壁が迷路のように配置されているが、壁は連続していない。床が平坦ではない。壁の高さが一定にみえるが、床に高低差があるので、歩いていくといつの間にか壁は背丈まで達する。その壁が天井に「反転」してぶら下がっている。解説ビデオが放映されていたが、見なかった。
養老天命反転地記念館

あとでリーフレットをみると、この建物は「養老天命反転地記念館―養老天命反転地オフィス」と呼ばれていた。ここを抜けると、目の前に大きな石が積まれた小高い山(同様にあとでリーフレットを見て「昆虫山脈」だと知った)。その頂上にはなぜか井戸があった。そして、その前方にペンキ塗り替え工事中ために足場が組まれ、幕で覆われた建物があった。塗り替え工事は、建物全体で一部分ではなかった。一部という表現に騙されたが、養老天命反転地全体としては、一部という意味だったのだ。この建物が養老天命反転地の設計精神を体現する主要建物「極限で似るものの家」だったことを後で知った。残念だった。雨、そして塗装工事中、晴れた日に再び訪れたくなった。

建物群を抜けると、楕円形フォールドと呼ばれるすり鉢状の大きな窪地のヘリにでる。そのへりは大きな斜面の壁になっており、それを登るのが一苦労だった。雨で濡れた斜面は、いちおう滑り止めはしてあるものの、めちゃめちゃよく滑る。滑ると一気に斜面を転げ落ちるかもしれない。そんなスリリングな場所だ。

斜面を登りきったらようやく窪地の全貌が目に入ってくる。人工的な雑木林だが、どこか異国の雰囲気を醸し出しながらも、なぜか懐かしく思われ、誘い込まれる様な印象。窪地のヘリの反対側にあるキノコの傘のような緑色の半円状の物体が、なんとなく、宮崎駿の描く森を思い出させる。窪地の植生は、なんとなく北米的で、ETの森を思い出すかな(ETの森はダグラスモミだけだった?)。つまり日本的な里山の雑木林ではない。そこにどんな仕掛けがあるのか、わくわくする。

(いまでこそ雑木林だが、リーフレットや、あとで見た解説ビデオによると、開演当時は木々の背は低くて、窪地のなかにいても周囲をすべて見渡せるほどだったようだ。)
養老天命反転地楕円形フィールド

しかし、人工的につくられたすり鉢状の窪地は、いかにも滑り易そうな気配。ある程度土は入れられているものの、地面(床)はコンクリートと人工芝。しかもキツい斜面で人通りの多そうなところの人工芝はほとんどはがれている。左手に傘、右手にはカメラを持って斜面を移動する不安定さのかなで、転けると泥んこになるし、斜面を滑り落ちるかもしれない危機感が、仕掛けられた装置以上の興奮を掻き立ててくれた。

最初に出くわす構造物は、さきほど見てきた「記念館」の壁の背丈をうんと高くしたものが、少しだけ集められているという感じだ。壁のなかに大きな空間があるようには見えず、十字に交わる壁が視線と行く手を遮っているだけという感じ。しかし壁は鉛直方向ではなく、斜面に沿って垂直に立っている。その壁の前には、ソファーが無造作に置かれている。無造作に、というのは、これも鉛直方向ではなく、かといって斜面に垂直でもない。好き勝手な軸上に置かれている。意図は日常の非日常化というこだろう。

高い壁の周囲の低い壁を伝っていくと、壁によって分断されたキッチン作業台(シンクとコンロ台)があった。この仕掛けこそが日常空間を非日常的に、あるいは美術的に扱っているという象徴だろう。これから体現していく空間の意図をここに読み取ることができる。

瓦を張った小高い丘は、晴れた日なら、きっと登りたくなるのだろう。しかし今日は雨なので、瓦の部分は、できるだけ避けたい。

緑が生い茂った斜面にこっそりと開いた細く狭い穴。奥がまったく見えない。穴の両脇にある壁が、ここに入り口があるから入っておいで、と主張している。中に入っても細く狭い空間。しかも真っ暗。ほんとうに真っ暗で何も見えない。いくつか行き止まりがあったが、手探りでたどり着いた奥は、天井がうんと高くなっていて、明かりが差し込んでいた。よくみると反転した日本列島の形。
養老天命反転地地霊

その日本列島型の窓が、どこにあるのか確かめにいく。

そういう仕掛け? 連鎖反応的につぎつぎと窪地のなかを探検したくなるように仕組まれているのか?

実はそうでもなかった。この窓のありかを探りたくなるくらいだった。しかし、窪地の斜面に点在する構造物は移動の目標物となる。

構造物そのものは、記念館にあった壁のパタンの繰り返しで、それ自体に新しい発見はなさそうだ。もっとも、傘をさしているので屋根のない壁のなかに入っていくには狭すぎて遠慮したモノが多い。低い壁が足下に遺跡のように点在しているところもあった。

気がつくと、蛍光黄緑色の雨合羽をきた人が、窪地のヘリの高台にずっと立っていて、我々を見守ってくれていた。ありがとうございます。

窪地のヘリは、その上をずっと歩いていくことができる。その中にも入ることができる。ここらあたりは、子どもの冒険心をくすぐる空間だが、中には行ってみて驚いた、あるいは良かったのは、この中にまではデザインをこらしていないところだ。電車の高架下の両脇をたんに壁で覆ったという印象、普通の日常的空間といえるが、日常的でないのは明かりがなくて真っ暗だということ。それがデザインだといわれるとそうかもしれない。
養老天命反転地回廊の中

いっぽう、窪地のヘリの上部は、人ひとりがようやく通れる程度の通路が伸びていて、ヘリの頂上まで行ける。ただひたすら、通路を歩くだけ。頂上では5~6人がいることができる広場になっていた。混雑時にここにくることは難しい。戻るときにすれ違うのはどうするのだろう。
養老天命反転地外周の回廊

最後に再び記念館に戻って、みんなでビデオを見た。いろいろと体験したあとに見たので作者の意図と私が体験した感想とはかけ離れていた。少なくとも、永遠に生き続けることを目指して宿命を反転させる場所とは思えなかった。ただ、バランス感覚が崩れるこの空間でいろいろと自分の体力のことを考えることだけは確かだ。それとて、私には、遊具としての非日常的空間としか思えない。

滑り止めが施された塗装やその塗装ががはがれていたり、人工芝のマットがはがれていたりして、いかにも人工的である作り物の化粧が露呈している。逆にそこが、この空間のおもしろいところだろう。あくまでもきれいに着飾った非現実的空間(ディズニーランドのようなテーマパーク)とちがって、ここには現実としての自然環境と重力場があり、冒険心をあおりながらもある程度の危険も伴う装置を、自らの身体をつかって体現していく遊び場である。ある程度の危険が伴うからこそ、おもしろい。ヘルメットを貸し出しているのは、その危険を容認しているからだ。

雨だからこそ、それを余計に強く感じることができた。

年月が経って植栽が自然的景観を醸し出し、子どもの頃に里山で遊んだ記憶がよみがえる。そういう意味では、とてもよくできた公園、遊園地である。子どものための遊園地というより、童心に帰りたい中年が我を忘れて駆け回ることができる「なつかしい」空間といえるのではないか。


土 - 3 月 14, 2009   10:06 午後