雨の養老天命反転地(養老までの道のり編)


宮崎駿と養老孟司の対談集『虫眼とアニ眼』(新潮文庫)は、『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』に関する対談を集めたものだが、その中で宮崎駿は、荒川修作が設計した養老天命反転地を紹介していた。

さらに、宮崎氏は荒川氏にかなり入れ込んでいたようで、懐かしさは反復だ、という荒川氏の考え方を別の作品を通して紹介していた。ゴムの布を天井から吊るした迷路のような空間のなかで、同じ形に出会ったときに懐かしいと感じるという。 実際の町並みでは「この角を曲がった風景があって、その次のところに行ってみたらおなじような風景に出会った。そうしたら、その空間はおれにとって懐かしい空間になる」という。虫眼とアニ眼

でも私は、それは「懐かしさ」ではないと思う。「懐かしさ」には自己体験だけでなく、一定期間以上の時間的推移が必要で、ついさっき体験したばかりモノでは「懐かしさ」の範疇に入らないだろう。むしろデジャヴに近い。

つまり、新興住宅地において、同じデザインの住宅がたくさん並んだいる同じ様な四つ角がいくつあっても、そこをウロウロしたところで、街角毎に「懐かしさ」を感じることはない。かえってどこにいるのかわからなくなってしまう戸惑いを感じる。集合住宅において板状の住棟を平行配置したら、住棟に刻まれた住棟番号以外に識別できなくなってしまう。

しかし、たとえば、はじめて訪れた田舎町に「懐かしさ」感じることがある。その「懐かしさ」の源は、たとえば、町並みというよりも、非耐火木造住宅だったりする。すでに身近には存在しないけれど昔見慣れた風景と似たモノを発見したとき、そのモノにまつわる記憶もいっしょに思い出すからこそ懐かしく感じるのではないか。

まあ、そんな感じで宮崎駿が絶賛する『養老天命反転地』において、荒川氏が何を意図していたのか確かめたいと思っていた。

といっても、まったく予習しないで、先入観なしで訪れてみた。

朝から、あいにくの雨。養老駅から歩いて10分という情報と、N先生が電車の時間を調べた以外、誰も何も下調べをしていない状態だった。

大阪発9時の長浜行きの先頭車両に、それぞれの最寄り駅から乗り込むことになっていた。米原で大垣方面に乗り換え、大垣で養老鉄道養老線に乗り換え。それぞれ5分とか7分の乗り換え時間。JRがまだ国鉄だった頃、大阪から大垣まで快速が走っていたのだが、今はもう昔のこと。

米原での乗り換えは、電車がやや遅れていたこともあって、乗り換え用の陸橋を登りきったとたんに発車のベルが鳴り響いて、「お急ぎ下さい」のアナウンス! あわてて走った。JR西日本のダイヤが遅れても、JR東海ではダイヤ通り運行します、という強い主張を感じた。車両に乗り込むとすでに満席。長浜行きが米原到着前の車両は空席がかなり目立っていて、余裕で座れる状態だったのに、米原からみんな立たないといけなかった。しかも大垣までの間に降りる客は少なく、乗り込んでくる客の方が多い。もっともこの間はずっと山の中。そして生活圏としては米原ではなく大垣を向いているということだろう。

各務原駅でN先生が、ここにはきれいな町並みがずっと続いているところがある。むかし学生をついれてM先生と一緒に調査にきたと説明してくれた。

大垣駅につくと、米原駅での乗り換えで時間がなくてトイレを我慢していたN先生がトイレに駆け込む。その間、養老線の乗り換えはこちらという案内板をたどって行き方を確認していると、そこは自動改札しかなくて清算もできなかった。結局いったん通常の改札口をでて、外から養老線に向かわないといけないことがわかった。案内板は、養老線はこっちだ!といわんばかりに堂々としていたのに、説明不足すぎる。

乗車のさい、自販機では大垣まで買えなかったということで皆が清算をしようとすると、自動精算機は使えませんとはねられる。改札口でひとりひとり清算をしていると、なんとも手際の悪い駅員。N先生はまだトイレからでてこないのかと待っていると、N先生から電話がかかってきて、みんなどこにいる? N先生はいつの間にか養老線のホームにいて、電車はすでに発車した模様。誰もN先生がトイレから出てきたことに気づかなかった。

まどろこしい清算をすませて足早に養老線に向かう。次の電車がでるというアナウンスが聞こえる。ホームにいるのはN先生だけ。慌てて切符を買ってホームにはいる。学生達が養老養老と叫びながら切符をかっていると、それに駅員が気づいて、今出発するのは揖斐行きで、養老には桑名行きに乗らないとダメだ、次の桑名行きは12時11分だと教えてくれた。なんと約1時間もあとではないか。

うかつだった。電車は10分おきくらいにあるもの、というのは都市部での認識にすぎない。電車は1時間に1本。それが普通。

駅員に断って、いったんホームを出る。不案内な旅行客にやさしい駅員さん、ありがとう。

駅前ビルで昼食することにした。

案外、養老までいくよりここで食事した方が良かったのかも知れない、とお互いに慰め合ったが、だれも文句をいわないのが不思議な仲間

それにしても、この計画性のない行き当たりばったりの行動は、とても研究者たる教員が参加するゼミ旅行(?)とは思えない。じつは、それがまた、このゼミのいいところなのだ。

サプライズの連続。

駅ビル3階の焼き鳥懐石と蕎麦のお店で昼食。800円で食後の飲み物付きのソバ定食は、鳥南蛮ソバと小鉢が2つ(唐揚げの甘酢あん掛け、小松菜と焼き鳥の白みそ和え)、それにサラダとごはんと漬け物と一口ケーキがついてお得感があった。しかしちょっと味が濃い。すでに名古屋文化圏であると感じた。ちなみに親子丼は卵とじの醤油の色が濃かった。もひとつついでに、鳥南蛮は、鳥そぼろがおつゆに混ざっているという感じだった。

さて、いよいよ養老線桑名行きに乗り込んで、いざ養老天命反転地へ。

桑名行きということで、ふと「その手は桑名の」なんでしたっけ? と聞くと、さすがに物知りのN先生は「焼き蛤」と続けて、さらにこういうのを地口(じぐち)というと教えてくれた。そうそう焼き蛤とおもいつつ、ほかの地口が思いつかなかったが、さきほどウィキでしらべると「当たり前田のクラッカー」がその部類だという。
養老鉄道大垣駅


養老町は養老の滝で有名だが、電車で行くには養老鉄道養老駅から徒歩40分くらいのところらしい。大垣から養老駅まで30分程度。雨の養老駅降りたは我々5人のほかに数人程度だった。脚の悪い老人がゆっくりと車両から降りるまで駅員が車両の扉が閉まらないようにしっかり抑えている。動作を急ぐように催促もしなければ、介助をするわけでもなく、ただ扉を押さえて、軽く手を差し伸べている姿が印象的だった。

改札口の天井にはたくさんの瓢箪がぶら下げてあった。養老の滝の水を瓢箪に採って帰ったことに由来するのだろう。駅には「乗って守ろう養老鉄道」の幟(のぼり)が立ててあった。養老鉄道を守る会と書いてある。存続の危機にあるのだろう。

駅構内にあるお土産屋さんの店員がしきりに声をかえけてくる。お食事どうですか。見ると、土産店の奥が食堂になっていた。周囲を見渡してみても、店舗はこの店と向かいの土産物屋のみ。駅のすぐ横にはタクシー乗り場兼車庫があるだけだった。タバコ屋さんさえ見当たらない。

観光地の駅とは思えない風景だ。かつては賑わっていたに違いないが、今はすっかり車アクセス型の観光地となってしまったのだろう。

さて、養老天命反転地への行き方を誰も知らない。駅前の大きな地図をみて、駅前の道を左に少し進み、右に折れてまっすぐ北上すればいいことがわかった。角にきてみて、びっくり、ずっと上り坂だ。

途中にある交差点は、それほど道幅は広くないのに横断用の地下道があった。確かに、車の往来が結構あって、信号無視して渡ることはできない。なのに、信号は、いつまでも青に変わりそうにない。待っている間、吐く息が白い。冷たい雨、そして寒い。すでに靴先には雨水が染み込んできている。最悪のコンディション。きっと本当にずっと青には変わらないので地下道があるのではないか、と思った矢先にようやく青になった。

前方に見える駐車場には車が止まっていないし、新しく入っていく車もない。この辺一帯の施設にきている観光客は、われわれ5人だけのようだった(あとで1組のカップルと一人のカメラウーマンに出会った)。

しばらく進むと「こどもの国」の立派な入場ゲートがあって、赤字で書いた立て看板があった。遠くから見ると「閉園中」に見えたのは、わざわざ立て看板で注意を促しているからだ。実は「開園中」と書いてあった。ゲートには、入場券売り場の小窓が開いたブースがあるのだが、カーテンが閉まっていた。作も開いている。きっと開演当時は有料だったのを、いつしか無料化したのだろう。

こどもの国のなかを突っ切ると、養老天命反転地の入り口だった。ようやくたどりついた。たどり着いたらいつも土砂降り、という歌を思い出す。
養老こどもの国



金 - 3 月 13, 2009   10:51 午後