キジも鳴かずば、長柄の人柱?


先日、「あんこ」 のエントリで書いた昔話のことが気になって調べてみたら、タイトルは『キジも鳴かずば撃たれまいに』だった。アニメ『日本昔話』でも取り上げられたらしい。話の内容は、記憶とちがっていた。

石川県の民話で犀川のほとりの小さな村の話で、あらすじは以下のとおり。余計なことを口外しないことという教訓とともに語り継がれているようだ。


犀川はよく氾濫して、娘は洪水で母を失い父と二人暮らし。病を患ったが粟のおかゆしかない。かつて母と一緒に一度だけ食べたあずきまんま(赤飯)が喰いたいという娘。父は意を決して米と小豆を地主の倉から盗みだして喰わせる。その甲斐あって病気は治り、うれしくなって歌にして鞠をつきながら歌った。

雨期になって犀川が氾濫しそうになったころ、村の寄り合いで人柱を立てることになり、犠牲となる悪人をさがした。娘の歌をきいたことがある者がそれを伝え、父の盗みが発覚。父は人柱にされてしまった。娘は何日も泣き続けたあと口がきけなくなったまま大人になった。

ある日、猟師がキジの鳴き声をききつけて射止めたのを見た娘は、「キジよ、お前も鳴かなければ、撃たれないですんだものを」といった。猟師は喋れるようになった娘に驚いたが、娘はキジを抱いてそのまま居なくなった。それ以後、この村では人柱をたてることはなくなった。


父親が盗んだ小豆で炊いた赤飯で病気が回復する、赤飯のことを歌にした、父は捕まった、は正しかったが、人柱のことはすっかり記憶から消え失せていた。

さて、この物語、木曽川であったり、山形では人柱だけの話になっていたりした。ぐぐったリストを参照していると、実はこの話には、もとになった和歌があり、大阪は長柄橋の架設にまつわる話であることがわかった。

六稜・大阪学講座:「大阪の橋」第7回 長柄橋(1) に詳しく解説してある。大阪(広義)に住んでいて、この話を知らないのは、地の大阪人ではないからか。それにしても、ちょっと恥ずかしい。

物言じ 父は長柄の橋柱 鳴ずば雉子も 射られざらまし
(ものいわじ ちちはながらのはしばしら なかずばきじも いられざらまし)

要は、長柄橋架橋がうまくいかず地元の長者の巌氏(いわうじ)に相談したら、袴に継ぎのある者を人柱にすればうまくいく、という。しかし継ぎのあるのは巌氏しかいなかった。娘は嫁にいったさきで口がきけないからといって送り返され、その途中、夫が鳴き声からキジを射たのをみて、上記の歌を読んだ。夫は物が言えることを喜び、二人して帰った。というお話。

それに尾ひれ背びれがついて平安時代には全国に広まったらしい。

長柄橋(2) では、人柱説に疑問をいだいて、架橋工事技術の側面からの仮説を紹介している。

在野の民俗学者・若尾五雄氏が提示しています。氏は人柱の問題を文芸面だけではなく、技術面から考える必要があるとし、柱の根元を補強するものを袴と呼ぶことから、「袴継ぎ」を木橋の橋柱の水平抵抗力を増すために斜杭で補強することとして、「この話は長柄橋を架けるにあたり、岩某が袴継ぎの工法を提唱し、その工法(人字形の柱)が採用され、橋が滞りなくできあがったということであるに過ぎない」と説明しています。

大変興味深い話だ。人の字の形をした柱が人柱、そこから人命を犠牲にしたと誤って伝承されたということらしい。そのほうがいい。

ギリシャ神話でも神に供えるのは家畜。そのほうが自然だと思う。


木 - 12 月 27, 2007   11:06 午後