松ヶ崎界隈


マンション学会京都大会の会場である京都工芸繊維大学(工繊大)は、京都市左京区松ヶ崎にある。北大路通りの高木町バス停から歩いて10分くらいだったか。今日は地下鉄松ヶ崎駅から歩いた。

大学2年のころ、工繊大のすぐ南側にある木賃アパートに下宿していた。松ヶ崎を歩くなんて、何十年ぶりか? なつかしい。五山送り火の妙・法の山肌が間近にみえる。下宿した年、間近でみた送り火は、すごい迫力だったことを思い出した。

春の陽気のなかで新緑がまぶしいが、間近にせまる山肌の風景は、昔と変わらないように思う。しかし、まちの景観は、まったく様変わりしていた。あの田畑が広がる田舎的なのどかさはなく、住宅が建て詰まっていた。

昼休みに、辺りをぶらついてみた。

工繊大の周りは、こんなに住宅に囲まれていたっけ? 西門から東へ、敷地南側のあぜ道のように細かった未舗装の道を、工繊大の敷地半ばで進んだところに下宿があったハズだ。ところが、その道は、しっかりと2車線道路に拡幅されてアスファルト舗装され、歩道も両側に整備さてれいた。こんなに拡幅したのだったら、あの木賃は拡張工事のときに取り壊したんだろう。

共同炊事場、共同トイレ、共同風呂。風呂は10時まで。廊下は土足のままで、部屋は四畳半。ドアの内側にちょっとした欠き込みがあって、靴脱ぎ場になっていた。木造モルタル2階建ての真壁構造。壁は土壁で柱との間に隙間があった。管理人は家族で住み込みだったが、とてもよくしてもらって、家庭教師先の紹介もしてもらい、修学院前まで通ってた。

部屋には机がわりの製図台とこたつ、小さな冷蔵庫と食器棚。寝る時はこたつをよせて布団を敷く。頭がちょうど入口ちかくにくる。冬場は、靴脱ぎ場から噴き上げる冷たい風で、髪の毛がガシガシに冷たくなった。

下宿し始めてすぐ、深夜に泥酔した先輩が押し掛けてきて大騒ぎし、翌日向いの住民に叱られた記憶がある。また、母と弟が訪ねてきたのを高木町まで迎えにいったのもまだ春のうちだった。夏には友人が伊丹から中型バイクで遊びにきたが、高野橋で故障して動かなくなり、そのへんのバイク屋で修理してもらったっけ。

下宿仲間のあいだではすっかり定着し、誰彼となく勝手にやってきては、勝手になんか喰ったり、こたつで本読んだりして、そのまま帰っていく。コンパのときなど普段自宅通いの友人や後輩が押し掛けてきて8人ぐらいで泊まったこともある。

次の年の春には、北山通り狗子田町へと下宿先を変えたから、たった一年しか住んでいなかったのだが、そこでの生活はよく覚えている。もう27年も前の話。当時でさえ古かった木賃アパートが今まで残っている筈もない。

それにしても、その木賃はどの辺りにあったのだろう。あたりをウロウロと歩き回ってみたものの、まったく分からなかった。

松ヶ崎は発展し、全体としてにぎやかになっていた。しかし、そこにはもう昔の景観はない。自分のルーツを失ったようで、とても寂しく、悲しい気分になった。


土 - 4 月 21, 2007   11:32 午後