ふれあいはまちづくりの核となり得るか


ふれあいリビング、ふれあいハウジング、ふれあいサロン、ふれあい喫茶… 「ふれあい」がまちづくりの重要なキーワードとなっている。

大阪府のふれあいリビング事業のヒアリング調査に参加させてもらって、日頃あまり気にしていなかった「ふれあい」という言葉が、まちづくりの場面に頻繁に使われていることを知った(単に勉強不足だっただけですが)。それらを総称して「ふれあい」事業と呼ぶと、それは、おおむね想像がつくが、要は人と人の場を提供する施設・しくみである。行政側がハードウエア(箱もの)としての施設を整備するだけの従来型まちづくりから脱却して、ソフトウエア(運用内容)に重点をおいたまちづくりへと方向性を転換してきた現れだろう。

ただ、「ふれあい」という言葉から受ける印象は、なんとなく偽善的でうさん臭い。実際の内容を批判しているのではなく、言葉の印象として、人の善意に期待する雰囲気がするということだ。手本にしているのは欧米の先進事例だろうが、それを日本に持ち込んだとき、はたして同じように機能しているのだろうか。

調査を通じて得た結論を先にいうと、充分に機能しているということだ。ふれあいリビングの現場では熱心なボランティアが地域住民の交流と地域の活性化に取り組んでいる。その活動内容やそこに集まる人々との交流の姿をみていると感動的でさえあり、これからのまちづくりを支える核となり得る可能性をもっている(ここでいうまちづくりが単なるハードウエア整備ではないことは、いうまでもない)。

しかしこうした成功例は、ふれあいリビング事業を開始する以前から自治会などの地域活動が活発なところであった。もともと潜在的に「ふれあい」があるところにあたらしい「場」を提供してきたにすぎない。では、そうでないところで地域を活性化する手法としてふれあいリビングは成功するのだろうか。さらに、心配なのは必ずしも後継者が育成できていないということ。たまたま中心的存在となった人物がいたから成功したが、他の人たちが同じように引き継いでいけるのだろうか。

そのためには地域住民は何をして、行政はどのような支援をしなければならいのだろうか。


土 - 10 月 8, 2005   12:43 午前