BGMとしてのクラシック音楽


仕事のBGMに聞き流すつもりだったが、楽劇《トリスタンとイゾルデ》はBGMとしては不適切だった。BGMとしては前奏曲が限界で、それ以上鳴らしているとワーグナーの魔力に引き込まれて、つい聴き入ってしまう。それに、ただ聴いているだけではなくて、もっとトリスタンとイゾルデのことを知りたくなった。

これでは仕事にならない。

ドイツ語はまったくわからないので言語脳には届かないのでBGMとしても大丈夫と思っていた。つまり無意識のうちに意味を理解しようと脳が働くわけではないから、純粋に音楽的に聴けると思ってた。しかし《トリスタンとイゾルデ》は音楽として官能的に脳を刺激するのかもしれない。

仕事のBGMには、もっと聴き込んだ曲、あるいはあっさりした曲のほうがいいようだ。同じワーグナーでも歌劇《マイスタージンガー》ならまだ仕事ができる。これは基本的に喜劇だからだろう。昨年は何回かこのオペラを聴き流しながら仕事してた。ワーグナーでBGMに一番いいのは『ジークフリート牧歌』だ。とくにレーグナー/ベルリン放送の演奏は心地よい。

よくバッハやモーツアルトが癒しの曲として良いとされている。アルファー波がでるそうだ。乳牛にバッハかモーツアルトを聴かせながら乳搾りすると、おいしいミルクになるという。(いずれも真偽は未確認)

きっとこの時代の曲は、倍音で構成された響きの心地良い和音で作られた曲だからだろう。牛が理解するということは、理性として音楽を聴くといよりも、身体的に心地よい空気振動を感じるということなのかもしれない。

私はバッハの『ゴールドベルク変奏曲』と『フランス組曲』をBGMとしていると調子がいい。とくに徹夜仕事をするときは、ピアノの音が刺激的で、眠気覚ましに効果的だ。聴いているのはグールドの演奏で、聴き込めば聴き込むほどに味があるのに、聞き流すこともできる不思議な曲(演奏)だ。バッハの曲自体がそういう曲なのか、グールドの演奏がそうさせるのか分からない。

結局は、BGMも好きか嫌いかという好みの問題だけかもしれない。

《トリスタンとイゾルデ》も聴き込めば旋律をおぼえてBGMにできるくらいになるかもしれない。そう思って何度も聴いていると、オケの演奏の部分が聞き流せることがわかってきた。

やはり人の声は、言語として理解できなくても、何かメッセージを伝えてようとしているとして聴こうとしてしまうのだろうか。ドラマが盛り上がる部分では、どんな場面で何を言っているのかわからなくても、やっぱり聴き入ってしまう。

それにしても、バイロイトのベームの演奏はすばらしい。早くリングを聴きたくなった。


水 - 9 月 17, 2008   12:52 午前