大阪クラシック


昨日の朝日新聞の夕刊の文化欄に、大阪クラシックが9日おわった、とかいう記事があった。大植英次の企画らしい。

大植英次はテレビでマーラーの復活を一部分聴いたことがあるだけだが、もうそれだけでぞっこん好きになった指揮者だ。小柄な身体からあふれるエネルギッシュな指揮ぶりに圧倒されるが、そこから導き出される音響はとてもロマンチックなのだ。ぜひ生で聴きたい。だから、大阪クラシックを知らなかったのが悔やまれる。

大阪・御堂筋の百貨店や料理店、カフェなどを舞台に、1週間で50回にわたり大阪フィルハーモニー交響楽団のメンバーらがコンサートを催した「大阪クラシック」が9日、幕を閉じた。「大阪を音楽の都に」と同フィルと大阪市が共催した初めての企画。予想していた入場者数の2倍を超える約2万2000人が訪れた。

知らなかった。知っていれば、行きたかった。

内容的には、今年参加した「高槻ジャズストリート」のような試み。そのクラシック版というところだろう。大フィルの宣伝のためというが、すべて手弁当で演奏した大フィルのメンバー自身が、「学園祭のようで久々に興奮した」みたいな感想を述べているところとみると、大成功だったように感じる。

日本のオーケストラが存亡の危機にある。そんな状況下でクラシック音楽の普及に知恵を絞る音楽監督としての大植英次。クラシック音楽の人たちというのは、どうもお高く止まっているように思えるのだが、それは演奏している姿からも敏感に感じ取れる。そういう演奏会に出くわすと、いくらいい演奏をきいても、なんだかやりきれない。

クラシックでなくても、音楽通のなかでは、私のような音程感覚のない輩は、おもいっきりバカにされる。ピッチずれてますね、とか言われても全く分からないのだから、話にならん、なんて顔をされる。

音楽を理解するものだけが聞きにくれば良い。そういう姿勢がクラシック離れを起こしてきたのではないだろうか。お客が来ないなら、出かけていこう的発想だったと思うが、そういうへりくだった姿勢を楽団員に植え付けて、演奏する楽しさを再認識させているように思う。


金 - 9 月 15, 2006   07:32 午後