ピアノ発表会の演奏を聴いて


今日、ママのピアノ教室の発表会。同じ会場でやり始めてから何回目だろう、すっかり定着してしまった気がする。今年の第2部は、世界のお国めぐりをテーマにして、世界一周の旅に出るというプログラム構成。生徒(の親?)が手作りの各国旗を掲示しながら連弾していて、なかなか楽しめた。

もう少し旅行日記風の解説だったらもっと楽しめたかもしれない。というのも、お国めぐりの最後を締めくくるのはゲストのソンコイ・ウルピという南米音楽フォルクローレのバンドで、南米楽器による素朴な演奏が良かったのだが、どうして南米ペルー・ボリビアが最後なの? という疑問。演奏曲目にもあったけど、(「母をたずねて」の)マルコの旅みたいなお話をつくればよかったのかな。

さて、わが子の演奏はというと、どうも練習不足が目立ったようだ。亮佑はウォータールーの戦い。録画しながら何気なく聴いていたら曲の出だしが良かったので、隠れて練習してたのか? と思ったのも束の間、すぐにボロが出てきてしまった。中学になってからはなかなか練習時間を確保できない状態のなかでは仕方がないかもしれないが、もう少しまじめに音楽に取り組んでほしいものだ。

ところが、あとで本人にきいたら、演奏している最中にどんどん緊張感が高ぶってうまく弾けなかったという。これまで緊張して弾けなくなるタイプじゃなかったので、これは明らかに練習不足のための緊張感だ。ということは、本人としてももっと良い演奏をしたかったという思いがあったということで、今後に期待することにしよう。

晃志は、お菓子探検隊。そういえば、毎日この曲を練習してたが、こんなに短い曲だったのかという印象。だからなおさら、もう少し練習してほしい。

わが子に限らず、他の生徒たちの演奏を聴いていて思ったのは、表現についてあまり考慮されていない演奏だった気がする。これは吹奏楽の指揮をするようになったので、特に気になるのかもしれない。いや、もともと機械的な演奏は大嫌いなので、たとえば打ち込みMIDIの音楽は聴くに耐えないのだが、今日はとくに音楽への表情付けに注意が向いたようだ。逆に言うと、そこそこ弾けるようになってきて、次は表情付けの段階という気にさせる演奏をするようになってきたということかもしれない。

たとえば、モーツァルトのトルコ行進曲。誰でも知っているメロディなので、ただ機械的に鍵盤を鳴らしても良い演奏には聴こえない。指が回るようになったら、せめて一般的な解釈と同じでいから、曲に表情をつけてもらいたいものだ。具体的にはスタッカートやスラーなどのアーティキュレーション、フォルテやピアノなどのダイナミクス、テンポの揺らし方などを工夫するともっと良い演奏になるのに、もったいない気がした。

また勇ましい曲、激しい曲などでは、音が大きいので演奏が粗くなりがちだった。雑な演奏を音量でごまかしているように思う。せっかくスキルがある(といってもそれ相応の)のに、それに溺れてしまって、音楽を音楽として演奏しようといういたわりというか、やさしさというか、なにかハートを感じるところが欠けているように感じた。もうすこし丁寧な演奏をしてもらいたいものだ。

これらは吹奏楽でも同じなので、昨日本番を終えたばかりだったから、余計に強く感じたのかもしれない。


日 - 7 月 22, 2007   11:18 午後