文字どおり「雑記帳」です。
むしろ、「おもいついた都度のメモ、感想文、日記帳 etc」といったほうがいいかも・・・
気が向いたときに、勝手気ままに、書きつらねます。 (*^_^*)

 

 

12月30日(火曜日)

「フィールド・オブ・ドリームス」について

 私の大好きな映画「フィールド・オブ・ドリームス " Field of Dreams "」について、まとめてみました。早い話が映画の紹介文&感想文です。
 公開されて13年もたっているのに、今更とも思うのですが、むかし涙した映画は、いまでも忘れられないものです。
 ここからどうぞ  " Field of Dreams "

 

12月6日(土曜日)

この時期、ジョンレノンの「ハッピークリスマス」を聴いて思うこと

 12月に入り街角にはクリスマスソングがあふれるようになりました。街中に流れる多くのクリスマスソングの中に、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの歌う「ハッピークリスマス」があります。

 1971年ベトナム戦争真っ只中のアメリカで、ジョンとヨーコは平和をテーマにしたクリスマスソングを歌いました。
 "Happy Xmas Kyoko, Happy Xmas Julian"と、ささやく声でスタートするこの曲は、Kyoko(ヨーコと前夫との娘の京子)とJulian(ジョンの最初の妻シンシアとの息子ジュリアン)の二人へのプレゼントして作られたようです。
 「弱きも、強きも、黒人も、白人も、黄色人種も・・・」全ての人が戦争をやめてクリスマス、新年を迎えようというメッセージを、この歌は分かり易く伝えています。

 この歌には"War is over"というサブタイトルがついています。
 当初、日本で発売された時のレコードジャケットには、
「ハッピークリスマス 戦争は終わった」となっていたそうです。
 これでは、戦争が終わり(又は休戦し)、人種、宗教、階級等をのり越えみんなでクリスマスを祝おう、という意味になってしまいます。

 しかし、この訳は正確ではないように思います。

 曲の後半部分で流れるバックコーラスが、

"If you want it , war is over."

と歌うのですが、これは私流に意訳すると、
「みんなが望めば 戦争はなくなる」ということになります。
 確かに世界中のすべての人たちが平和を望めば、戦争は起こることはありません。これは平和の根本ではないかと思います。

Happy Xmas の歌詞は以下のサイトにあります。
英語の歌詞    ChezThal
日本語の歌詞   ネットワーク『地球村』
関西弁の歌詞   The Beatles in Kansai-ben

 この歌は平和を希求する反戦歌であるにもかかわらず、それが忘れられて楽しいクリスマスソングとして能天気に歌われるを批判する人もいるようです。しかし、ひとりでも多くの人に歌い継がれていくことが、なによりも大切なことだと私は思いますし、これを作曲したレノンの願いでもあると私には思えます。

 この時期に「ハッピークリスマス」が流れると思い出すことがあります。 それは12月8日がジョン・レノンの命日だということです。

 12月8日夜10時50分(日本時間9日午後0時50分)ごろ、ジョン・レノンはニューヨーク市マンハッタンの自宅ダコタハウスの前で、5発の銃弾を受け命を引き取りました。40歳でした。
 撃った犯人はハワイ在住のマーク・チャップマン(25)という男で、その場でピストルを投げ捨て、全く抵抗せずニューヨーク市警に逮捕されたといいます。

 彼がジョン・レノンの殺害した動機について、はっきりしたことはいまだに分かっていないようです。
 マーク・チャップマンは妄信的なレノンファンだったにもかかわらず、犯行直前にダコタハウスの前でサインしてもらったときのレノンの態度が気に食わなかった、これが殺害の直接動機だという説がある一方で、チャップマンはレノン以外にも複数の歌手・女優・作家などにつきまとった単なる有名人好きストーカーだったという説もあります。
 中には、チャップマンはアメリカ政府機関によるマインドコントロールによって操られ、その意のままに当時アメリカ政府の要注意人物のリストに挙がっていたジョンを殺害したとの本まででています。

 ちなみに、チャップマンはレノンの殺害後、警察につかまるまでの間、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた言われていて、このことから、チャップマンの犯行に「ライ麦畑でつかまえて」が影響を与えたのではないか という憶測が飛び交っていた時期もありました。

  
ジョン・レノン(左)、日本発売当初のジャケット(中)、ダコタハウス(右)

 ジョンレノンの曲のひとつに「平和を我らに」という邦題のつけられた歌があります。映画「いちご白書」の最後に体育館に集まった学生達が歌った曲で、安保世代の人たちのバイブルともいえる曲だそうです。

 All we are saying is "give peace a chance"

 これを直訳すると、
「僕たちが言ってるのは、ただ”平和に機会を与えてほしい”ということだけなんだ」
ということになるのでしょうが、
 政治的、経済的、軍事的に力のない市井の人たちにとって、自分達にできる唯一のことを精一杯主張した言葉なのではないかと思います。

 テロと戦争が世界に蔓延している今この時にこそ、たとえ、理想、夢想といわれようとも、この曲は歌い継いでいくべきものと思うのです。

 

11月24日(月曜日)

世の中どんどん進んでいる

 昨日、知り合いから2.5型外付けハードディスクを借りました。
 HGST(日立IBM)製の「IC25N040ATMR04」というしろもので、短辺7cm×長辺10cm×厚み1.0cm程度の大きさなのに、なんと40Gもの大容量をもっているのです。これで携帯できて、USB2.0でPCと接続し、電源もUSBからでOKだなんて・・・
 今使っているPCを組み立てたのはもう1年8ヶ月も前のことで、あの頃はいろいろと勉強したけど、最近はめっきりハードウェアの製品動向に疎くなってしまい、新製品に驚くことしかりです。

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 早速調べて見ると、こいつのスペックは、

容 量 : 40 GB (1GB単価\324)
キャッシュ:2048 KB
インターフェイス:Ultra ATA100
シークタイム:12 ms
高 さ : 9.5 mm
ディスク枚数:1 枚
回 転 数:4200 rpm

 価格は、なんと13000円、最新の80Gの製品でも23000円程(ただし、両方ともkakaku.comの最安値)で出ているそうな。

 某メーカーの説明によると、 「GDT(Glass Direct Texture)メディアを採用することで、ディスク1枚あたり40GB、装置1台(ディスク2枚構成)あたり最大 80GBの大容量を実現し、流体軸受スピンドルモータとロード/アンロード機構を採用することにより優れた衝撃耐力を実現した」そうな。よく分からんが、なんか凄いらしい。んー、ほしい・・・

 早速、myPCのUSB2.0インターフェイスに接続してみる。1年8ヶ月も前に組み立てた時すでにUSB2.0を入れていたのですが、使用するのは実は初めてだったりする。接続するととたんに鈴虫の鳴くような音がして、新しいデバイスの検出がされたのまでは良かったのですが、そのあと「ドライバのインストールに失敗しました」の表示とキーキー、カチカチいいだしてドライブとして認識してくれない。

 USB2.0のドライバーはwindowsXPのSP1に入っていると聞いているし借りたHDにはCD-ROMなどついていないし、メーカーサイト上にも検索した結果でもwindowsXP標準ドライバでOKと書いてある。
 何度も試行錯誤を繰り返した後、突然認識するようになった。何がどうなったのかはさっぱり分からないが、とにかく使用できるようになった。中に入っていたのは、DivXで圧縮された映画が40〜50本。知らないうちに世の中どんどん変わっていっていることを実感した一日でした。

 

 

 

2003.7.18
Chateau SMITH-HAUT-LAFITTE 1998
(シャトー・スミス・オー・ラフィット)
Pessac-Leognan(ペサック・レニオン)AOC

 

いきなりですが、先日飲んだワインの感想などをまとめました。(#^.^#)

 

◇感想
 グラーブ産、ペサック・レニオン産の白ワインの共通点としては、一般的な白ワインと比べて、かなりの"あっさり系"だということなのですが(そういう意味でクセがある)、このワインも例外ではありません。あっさり過ぎて、少しとっつき難い感じもします。

◇色
 透明感のあるレモンイエローに、少しグリーンが入っている。

◇香り
 天然水に若干の果実汁を混ぜた感じか。

◇味
 口にした始めは、ゴールデンデリシャスやグレープフルーツなど清涼感のある果実味がするが、それはすぐに消え、やがて酸味と少しの苦味が現れる。温度が上がると酸味と苦味が増してきて美味しくなくなります。

 

チーズとの相性度テスト

伊丹のダイヤモンドシティ1Fの
チーズ王国 伊丹店
で、デザート系チーズを中心として、盛り合わせを買ってきました。

エントリーしたのは次の6種類

◇カマンベール・プティ・ロワイヤル
◇グラン・カマンベール・ポワブルベール
◇ポピシード・チーズ
◇クリーム・オレンジ
◇レッド・チェダー
◇エダム

 

ワインとの相性度と寸評
カマンベール・プティ・ロワイヤル 相性度
普通のカマンベールチーズよりクセは少ない。
グラン・カマンベール
・ポワブルベール
相性度
辛い・からい・カライ。こんなの誰が食べるのだろうか。
外皮はウォッシャブルタイプの臭さがあるが、ペッパーが沢山入っているため、辛い印象しか残らない。
ポワブルベールとは牛フィレソースとして有名だけど、なんの関係が?
ポピシード・チーズ 相性度
外側にケシの実、中にはレーズン。ケシの実は食感はあるが味はしない。
レーズンの味が強すぎてあわない気がする。本家本流のデザートチーズですね。
レーズンパンの大好きな、すずがはまった。
クリーム・オレンジ 相性度
味、食感とも、オレンジ粒入りの「レアチーズケーキ」そのもの。
とても食べやすいし、このワインとも相性ばっちり。
ティータイムのお菓子としても合うでしょう。
デンマーク産のデザートチーズの代表格です。
レッド・チェダー 相性度
食べなれているプロセスチーズより少しパサつき塩分控えめという感じ。
ナッツの風味がする。(気がする・・・ (^^ゞ)
イギリスチェダー村原産のセミハードチーズで、色素が入って赤みを帯びているため、通常のホワイトチェダーと区別してこう呼んでいる。
エ ダ ム 相性度
まったく合わない。
そのまま食するのなら、コクのある白ワインにあうかも。
オランダ産のものとしては、ゴーダチーズに次いで有名。ハードタイプなので、すりおろしたチーズパウダーとして用途は多様。

 

ついでに、料理との相性度チェック
(簡単な料理でスミマセン・・・(*^_^*) ← 「失礼なやっちゃなぁ」<`ヘ´> by MAMA)
野菜のポーク巻きのソテー
 ハープ風味
相性度
実は、さやえんどうと人参を豚肉で巻いてオリーブオイルでソテー。それにハーブ入りの荒塩を少々・・・
ポークもこのあっさりワインに意外と合う新発見
きゅうりスティック&サラダ醤油 相性度
そもそも、サラダ醤油があわない (-_-;)
ガーリックパン 相性度
とにかくパンはどんなワインとも合います。

 

Pessac-Leognan(ペサック・レニオン)AOC  解説
 ペサック・レニオンは、フランス ボルドー地方のガロンヌ川左岸のボルドー市南隣の地域のことで、隣接のグラーブAOCから1987年に独立しました。
 小石や砂利を意味する"グラーブ"から独立しただけあって、砂利の多い土壌を持つ地区で、グラーブの特級格付けをもつシャトーはほとんどこのエリアにあります。
 この地区で有名なワインには、グラン・クリュ シャトー・オー・ブリオンが特に有名です。(高いので私は飲んだことがありません。(^^ゞ)
以上、受売りウンチク話でした。

 

7月12日(日)

ミュージカル 「アニー  - Annie - 」 について

 モエ&スズが入っている合唱団ミュージックツリーが、結成10周年記念として、7月25日にミュージカル「アニー」を上演します。
 私も、映画「アニー」をビデオで見たり、ミュージカルのサイトを覗いたのですが、ちょっとした疑問がわきましたので、いつものとおり早速調べてみました。

 

疑問 その1
ミュージカル「アニー」のロゴマークに登場する女の子のアニメが
とても古い感じがするのはなぜか?

 ミュージカル「アニー」のロゴマークに登場するアニメのアニーは、ほとんどこの女の子になっています。実はこの女の子は1924年−なんと80年前!−にアメリカの新聞紙に連載漫画として初めて登場したときのアニーなのです。1932年にはトーキー作品として初めて映画化され、ベティさんと並んでアメリカにおける1930年代の人気キャラクターだったそうです。現在皆さんが親しんでいるミュージカル映画は1982年製作のもので、アニーが誕生してから60年もたってからになります。

ここで簡単にアニー年表を整理しておきましょう。

1924年
新聞漫画「小さな孤児アニー (Little Orphan Annie)」の連載が当時30才のハロルド・グレイによって始まる。


当時の漫画はこんな感じだった。

1930年
ラジオ ドラマがシカゴのラジオ局から放送開始される。

1932年
トーキー映画「Little Orphan Annie」が公開され、その6年後にも2回目の映画化がなされる。

1968年
ハロルド・グレイが死去。以降、5人の漫画家によって引き継がれ新聞連載は続いてゆく。

1977年
ブロードウェイでのミュージカル公演が始まり、その年のトニー賞を7部門で獲得しました。

1982年
おなじみのコロンビア映画「アニー」が撮影されます。アニーはアイリーン・クィンで当時9歳で撮影中に10歳になりました。

 80年前に始まった連載漫画「小さな孤児アニー (Little Orphan Annie)」の内容は、私達の知っているミュージカル「アニー」とは相当違うようです。
 アニーとウォーバックス氏の周りでミステリアスな事件が次々と起こり、パンジャブなどのこれまたミステリアスな人々の助けをかりて解決してゆく物語のようで、主な登場人物は次のとおりです。(画像は、左が原作アニメ、右が映画)

Warbucks
  

 Supineという小さな町で1894年生まれ(作者ハロルド・グレイと同じ)、鉄道員だった父親は彼が生まれてすぐに死んでいます。少年時代から町中ではかなりの悪だったようですが、11才のときに母親が腸チフスで死に、その葬式の晩、彼は長距離バスに乗り生まれ故郷を後にします。  工学系の大学に進みますが、生活費を稼ぐために遊ぶ暇もなく、働きづめの日々が続いたようです。やがて結婚したみたいですが、仕事に成功し金持ちになるにつれて、家庭は崩壊していったようです。

Annie
  
 厳格な規律を重んじるMiss Asthmaの孤児院にて幼少の頃から育てられるが、実は、孤児院のドアに置き去られた子供だったことがわかる。このアニー、見る漫画によって赤毛にも金髪にも見えます。(^^ゞ  もちろんサンディもでてきます。男の子達にいじめられていたところをアニーに助けてもらい、アニーとの生活が始まるところは映画と同じです。

Punjab
  

 おなじみのボディーガードのパンジャブ。ウォーバックスの旧友のもとで働いていたが、アニーを守るために登場したスーパーパワーの持ち主・・・だそうだ。

TheASP
  

 ウォーバックの右腕としてマジックパワーをもち、いつもきわどい時に現れて何度もアニーの命を救う。この人、映画の中では運転手のアスプ(中国人?)で、きわめて普通のおじさんです。

Mr.AM
  

 何千年も生きていてる神のような人で、1973年、ギャング団に殺されたWarbucksとTheASPを生き返らせる。こんな仙人のような人は映画では登場していない。

 

疑問 その2
ミュージカルの中でルーズベルト大統領夫妻が登場し、
アニー、ウォーバックスとカルテットを歌うのはなぜ?

 ウォーバックスさんはアメリカを代表する大金持ちのようで、劇中でアニー探しをFBI長官に依頼し、ロックフェラー、デュポン、カーネギーを呼びつけ、名画「モナリザ」を風呂場に掲げるほどですから、ホワイトハウスに自家用ヘリコプターで乗りつけ、大統領夫妻と会うことも、そりゃー不思議ではないのでしょう。
 が、劇のストーリー展開としては、合衆国大統領の出番があれだけ長い必要もなければ、アニーやウォーバックスよりも、むしろ大統領夫妻が率先して「tomorrow」を歌いだすことも、どうも奇異な感じがして仕方ないのです。

 この疑問を解くには、ミュージカルの舞台となった1933年の時代背景と、その時のルーズベルト大統領の立場、そしてウォーバックス氏の存在意義を理解する必要があります。

 1920年代、アメリカは古来未曾有の好況を謳歌し、不動産と株のブームに沸いていました。バブル時代だったわけです。
 アニーの連載が始まった次の年から株価は異常な高騰を開始し、1929年9月までの4年間で株価は倍に跳ね上がったといいます。その年の10月24日、史上有名な「暗黒の木曜日」を境として、アメリカは市場最悪の大恐慌に見舞われ、全世界は不況の波に巻き込まれてゆきます。
 当時のアメリカ大統領は共和党のフーバーで財政均衡を重視するあまり(バブル後の橋本首相と似ている)無策を繰り返していました。1932年、民主党のルーズベルトが大統領に当選し、以降彼の進めるニューディール政策等によりアメリカは再生を果たします。映画アニーの舞台の1933年はアメリカ救世主のルーズベルトが大統領に就任した年なのです。

    
本物のルーズベルト大統領夫妻。似てますねー。ついでに右は原作者ハロルド・グレイ氏。

 第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルトは、アメリカ東部の名門の出で、初代ワシントンよりの「大統領は二期で引退」と言う慣習を無視して−1期は4年−、史上唯一の4選を果たした大統領として有名で、1933年に就任後、第2次世界大戦末期の1945年4月に在任途中で亡くなるまで、12年間以上に渡り合衆国大統領の座にあった偉大な合衆国大統領の一人です。

 また、ウォーバックス(Warbucks)の名前は、"War"(戦争)と"Buck"(牡鹿又は猛々しい雄)が合体した言葉で、勇猛で豪傑の男みたいな意味なのでしょうが、"Buck"には俗語で"doller"(ドル)の意味もあり、「戦争成金」的な意味合いがあったのではないかと推測しています。1918年に終わった第1次世界大戦により廃墟と化したヨーロッパに代わり、新大国アメリカの繁栄をつくり億万長者になった産業経済界の偉人達のプロトタイプとしてウォーバックス氏は登場するのです。

 新聞の漫画連載が始まった1924年当時のバブル開始期のアメリカにおいては、孤児アニーが億万長者の養子になり、数々の冒険を繰り広げるこの物語は、好景気に登場したサクセス&アドベンチャー・ストーリーの一種ではなかったかと思われるのです。

 しかし、この物語が初めて映画化される頃には、時代は大不況期に入っています。アニーは、不況にあえぎ不幸に打ちひしがれるアメリカ国民を代表して、経済産業界の雄であるウォーバックス氏との強い心の絆を得て、救世主たる新しい大統領とともに、アメリカの明日への希望を歌うことになったのではないかと思われるのです。
 1930年代に映画化されたストーリーが、その後のブロードウェイミュージカル、そして私達の知るコロンビア映画に引き継がれたのだとしたら、映画の中でルーズベルト大統領夫妻がアニー、ウォーバックスとカルテットで歌った「tomorrow」は、アメリカの再生に向けての決意表明であり、不況であえぐ国民への希望のメッセージソングだったとも考えられるのです。

 ちょっと、考えすぎでしょうか・・・ (*^_^*)

 

7月5日(土)

高山右近の軌跡を訪ねて賎が岳の合戦場にいきました

 豊能町主催の「賎が岳合戦における高山右近」現地見学ツアーに参加してきました。
 滋賀県の琵琶湖最北端の湖畔にある賎ヶ岳には、町のバスに乗って2時間半かかりました。朝から小雨がふる中での、約40名のハイキングツアーとなりましたが、城郭研究家の高橋成計さんに現地を案内していただき、とても興味深いものでした。

 賎ヶ岳の合戦は、秀吉がライバル柴田勝家を破り、天下人への階段を駆け上がる出発点となった戦ですが、高山右近は秀吉側の武将として最前線で活躍しました。
 この戦いにおいて周囲の山々に築かれたいくつもの城郭(というより「山上の砦」)は、城郭史研究において非常に貴重なものだそうです。
 見学手記は、「ぶら〜り ひと〜り まちあるき」番外編として掲載していますので、詳しくはそちらをご覧ください。

 

6月22日(日)

デジタルビデオカメラを買いました。ついでにあれも・・・

 2週間ほど前に、念願のデジタルビデオカメラを買いました。
 現役のビデオは7〜8年前のソニーのアナログカメラで、液晶画面もなく、ファインダーを覗いて撮影していたのですが、先日の娘のピアノ発表会を撮影したビデオに、音声が入っていなかったのがショックで、「そろそろ買い換え時だなぁ〜」と思っていました。(カミさんを説得するのに都合のいい事故でした (*^_^*)

 機種はソニーのDCR-TRV70、ランクとしては「中級の上」といったところでしょうか。その分、重い、デカイ。ミニミニサイズ全盛の時代になぜ?との問いには、別稿(デジタル事件簿)にて答えていくとして、簡単に言うと、動画および静止画の画質を数機種比較しての結果です。
 当たり前のことですが、高くてでかい機種ほど画質はいい!一度画質を比較してしまうと、少々値が張ろうとも、図体がでかくとも、高画質のほうを選んでしまうのは私だけではないはず・・・

 梅田のヨドバシカメラで購入したのですが、この機種は人気がないせいか、ポイント率が20%と高くてラッキーしました。このポイントを使い、ドサクサに紛れてDVD±RWドライブ(IO-DATA製内蔵型)も買ってしまいました。(これも現役のCD-RWが故障したための買い替え)

 さあ、これで、デジタルビデオカメラ(DVC)で撮影した動画を、パソコンにDVキャプチャーして編集した後、DVDに書き込めるようになったぞ〜 ガオー

 早速、DVCにてテスト撮影したものを、次の3種類で画質比較してみました。
@そのままテレビで見る。(DVCからのコンポジット接続)
AパソコンのDVインターフェイスカード(OHCI準拠のIEEEカード)でDVキャプチャーした後、DVDドライブ付属ソフトでエンコードし、DVDへ書き込み
Bパソコンのアナログキャプチャーカード(MTV1000)でMPEG2キャプチャーした後、付属ソフトでDVDへ書き込み

 結果は、
 @とAは、好みの問題(私は@の方が好きです)程度の差でした。これがいわゆるMicrosoftDVCodecが影響しているのでしょう。
 @とBでは、明らかにBの方が汚い。エンコードの方式または回数によるものでしょう。
 詳細は、後日「デジタル事件簿」にて報告しますので、乞うご期待。いつになることやら・・・(^^ゞ

 来る7月5日は、いよいよ豊能町主催による「賎が岳合戦における高山右近」現地見学ツアーです。昨日土曜日に開かれた事前講習会では、参加者の平均年齢約70才のなか、私が一番の若人でした。私はヘンなのでしょうか?それにしても、た・の・し・み \(^o^)/