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祭 神 宇賀御魂神
衣食住を司り商売繁盛の神といわれるこの社はその昔、旧大和川堤(今の新喜多東二丁目あたり)の狐山にあった社で、大和郡山の源九郎荷、泉州信太の葛葉稲荷と並ぶ有名な稲荷大明神です。
「摂津名所図会大成」第三巻には「霊験あらたかなりとて参詣人すこぶる多し、社壇もっともきらびやかに造立ありて美なり」と記され、極楽 橋あたりまで参詣人目当ての茶店が軒を連 ねて賑わっていたそうです。
師走(十二月)の一夜、鴫野や天王田などの村の子どもたちが、家で作ってもらった竹の皮に包んだ油揚げと握り飯を持って「せんぎょせん ぎょ」とはやしながら、狐山の周囲を回るお祭 りも昭和七、八年頃まで残っていたそうです。
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祭 神 事代主命 (恵比須大神)
商売繁盛、開運招福の神である恵比須大神は
またの御名を蛭児大神と言い、蛭児大神は一説によれば「ひるめのかみ」の異名を持つ天照御
大神と対の神(荒御魂)であるとも言われています。
流造りの社殿は、時代ごとに修復はありましたが享保二年(1742年)・天保十三年(1842年)の本殿改修の時に同じく改修された社です。
一月の恵比須市は、先の戦前から多くの賑わいがありました。戦中から一時途絶えていましたが、再興の声が多く、近年は今福という地名もあり「今、福来る」恵比須神のご利益を求めて、福 笹や吉兆をうけに広く参詣をうけております。
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祭 神 菅原道真公
境内奥の神明造の社に祀られる菅原道真公は
幼ない頃より文才をあらわし学問を深められ、朝廷の右大臣として活躍されましたが、藤原時平の策略により太宰府に左遷されることになりました。没後、朝廷に祟りをなし天神として祀られ、無実の罪であったことも明らかになり、現在は荒ぶることなく文化の神・学問の神として広く祀られています。
諏訪の左専道を通って大将軍社(大阪天満宮)を抜け、大宰府に向かう道中、当宮に立ち寄ったとの話もあり、境内社に祀られております。
また社には菅公の御姿像の納められてあり、その木箱には全国にある二十五座像のひとつと記されており、ご神体として御祭りしています。
近年は受験の時期が近づきますと塾帰りの受験生方が大勢で集ってお参りされます。
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