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慈非喜捨 |
09/02/15 |
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この四つの心を他の教えでは愛と呼んでいますが、愛には裏がありますので憎しみに
かわりやすいものです。
愛とはキリスト教では神が人類に幸福を与えること、他の人間を兄弟と思ってかわいがることで、
仏教では師や目上を敬い真理を尊ぶ感情は清らかな愛で、これを万人に及ぼすことが理想で
あるとされています。
自己と自分の所有とにこだわるのが、けがれた愛であり、それこそが迷いの根本原因となります。
◆慈の心
仏典では大慈は楽を与え、大悲は苦を抜くとあります。
慈は人々に楽を与え、
安心を与えるのが主となっています。
この慈悲の心は理想の上のものでなくて、そうせずにいられない、人間の本能の中の
善い方面です。
慈む(いつくしむ)、あわれむ、めぐむ、愛する、かわいがる、大切にする・・・を意味しています。
◆非の心
非と、はなげき悲しむという意味です。
根本治療によって一挙に衆生の脱却せしむる大愛の意に用いられるので、大悲とは苦を抜くことであると経文に示されています。
今の教育者で子供の為に一晩中泣きあかした方が何人いるでしょうか?
政治家が国の為に気を使ったと言う話など聞いたこともないと思います。
宗教家、社会事業、家ではどうでしょうか?
真の心は、そこまで、使ってこそ顕われると考えられます。
◆喜の心
喜とい字は、よろこぶ、うれしい、たのしいという意味です。
自分も喜び、他をも喜ばせる心が 喜の心でもあります。
慈悲とは、ただ、いつくしむ可愛がることだけを意味しているのではありません。
積極的に世の中を明るくし、喜びにあふれた社会にせねばなりせん。
それにはいつも喜をして喜び、人の喜びを喜ぶ心がなくてはなりません。
それなのに私達は一寸したことから衝突し争いを起こします。
のみならず、他人の喜びを喜びと致しません。
隣に倉が建つと、こちらが腹が立つとは、誠に、なさけないかぎりです。
他の喜びを喜びとし、なお、進んで人を喜ばす為、人を救うために、喜んで自らを殺せる人と
成れば、真の菩薩といわれます。
◆捨の心
捨はすてることです。
捨てるのは、いらぬからです。
この捨の心を仏教では報いを求めぬ心にあてはめています。
全力をつくしてやりながらも、自らはその報いをあてにせずにやる心、それを捨心というのです。
別名 無我心ともいいます。
弘法大師は僅か七歳にして衆生済度のために身を捨てんと誓われたといいます。
私達もこの捨の心、報いを求めない心で一切の奉仕とする・・・努力が必要です。
誠に慈悲喜捨の心こそが 仏心であり、この心を少しでも持つように修行するのが仏道修行と
いえましょう。
参考文献/寺子屋 清心塾 より
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