仏堂のお話-2

 これより「仏堂」を北から紹介しますが今だ訪れていない仏堂もあります。


             本  堂(瑞巌寺)

 「瑞巌寺」は名所松島にあ
る名刹寺院で総門から杉木
立の囲まれた参道は手入れ
が行き届いていて清々しい
雰囲気でした。
 「本堂」は仙台藩主伊達家
の権勢の象徴たる菩提寺だ
けに大規模過ぎて全景写真
は無理でした。
 禅宗の仏殿であれば正方

形である筈が桁行13間、梁行右側が9間、左側が8間と少し変則的な建築であるの
と床は瓦の四半敷でなければならないのが板床敷となっているのは本堂の元は
「方丈」だったからです。左の建築は御成玄関です。

 


                       白水阿弥陀堂(願成寺)

 
  苑池に掛かる橋を渡ると
 阿弥陀堂です。

 「白水阿弥陀堂」は方一間の母屋に庇が四方に付いた建築です。屋根は栩葺(とち
ぶき)で昔、この辺りには栩葺が多くあったそうです。寿命が短く保守管理が難し
いので、金属板葺(銅板葺)にとって代わられた中で現在なお栩葺を維持しているの
は敬意を評すべきでしょう。屋根は一間四面阿弥陀堂の基本通り宝形造です。
仏堂としては簡素と言えますが折上小組格天井の堂内は落ち着いた空間となってお
り訪れる者に安らぎを与えています。     
 四季を彩る山、水鳥が泳ぐ苑池と自然豊かで清浄な風景はまさに極楽浄土を彷彿
させるような情景でした。ただ、阿弥陀堂であれば東面である筈が南向きでした。 

 


       大 泉 池

 
 
「毛越寺跡」は芭蕉の「夏草やつは
ものどもが夢のあと」の通り礎石が
あるのみで栄華を誇った巨大伽藍を
偲ばれる建築は何一つ残っていませ
んでした。
 大泉池は大きく素晴らしいもので
当時は竜頭鷁首の船に乗って季節の
風情を楽しむ船遊びをしたことでし
ょう。

 

 「正福寺」は東村山市にあり東村
山といえば昔、「志村けん」さんが
歌った「東村山音頭」を思い出しま
す。
 「
地蔵堂東京都で唯一の国宝
建造物です。
 国宝で「地蔵堂」というのは珍し
く他には存在しません。
 まず最初に目につくのは禅宗様
特有の軒先の大きな反りかえりと
堂前の左右にある大きな石燈籠で
した。 


       地 蔵 堂(正福寺)

 方三間裳階付きで中の間が平行垂木、脇の間が扇垂木です。母屋は柿葺ですが裳
階は銅板葺です。
 安定感のある優美な姿の地蔵堂でした。

 


         仏 殿(瑞龍寺)

 「仏殿」は富山県で唯一の国宝
建造物です。
 禅宗の法要は立式で行われま
すので天井が高いです。堂内の
木組は構造美の極致と言えるも
のです。圧倒される空間の素晴
らしい堂内に入れていただけま
すのでどうぞご覧ください。
 屋根は銅板葺というものはあ
りますが鉛板葺という珍しいも
のです。
 瑞龍寺は江戸時代創建ですの

で仏殿の後方にある「法堂(はっとう・国宝)」の方が仏殿より規模が大きいです。 

 

 「清白寺」は山梨県にあり周辺は有
名な葡萄畑です。参道は梅林で自然
豊かな情景に佇む寺院です。
 次の「大善寺本堂」はそんなに離れ
ていずここから自動車で2,30分の距
離です。
 「仏殿」は均整のとれた美しい姿で
した。中の間は平行垂木、脇の間は
扇垂木です。
 簡素な花頭窓、文様が見事な桟唐


        仏  殿(清白寺)

戸で、魅せられるのは木目の美しい柱です。

 

 
          本 堂(大善寺)      

 「大善寺」は甲州葡萄で有
名な甲州市勝沼町にありま
す。
 「本堂」は雄大壮麗な建築
で山梨にこれだけ
大規模な
密教寺院が建立されている
のは意外でした。

 木鼻などの大仏様が採り
入れられています。大仏様
が南都から遠い国で和様建
築に取り込まれているとは
さらなる驚きでした。
 

 圧倒するような外観に比べ両脇の燈籠がペンシルのように細いのが印象的でした。

 

 「善光寺」は天平時代まで
の形式で靴のまま入堂でき
る庶民的な寺院です。
 「本堂」は普通の寺院と違
って撞木造(しゅもくづく
り)といわれる屋根の形が
T字型となっている独特の
もので桁行に比べ梁行が深
いです。
 正面からの眺めは非常に
均整が取れて美しいです。
 折衷様の最後の遺構と言
われてます 。
 中備が蟇股ではなく撥束


          本  堂(善光寺)

なのは、庶民の信仰を集めた寺院だけに華麗になるのを避け質素を重んじられたか
らでしょう。

 


       経  蔵(安国寺)

 「安国寺」は飛騨高山、白川郷の
近くにあります。富山の「瑞龍寺」
から廻りましたが当時は東海北陸
道がまだ全線開通しておりません
でした。現在は全線開通で移動が
楽になったことでしょう。
 「経蔵」は均整ある外観で優しさ
と気品に満ちておりました。経蔵
に安置されている「輪蔵」は飛騨の
匠が造り上げたのか細部まで精密
な彫刻が施されていて伝統と技に

磨き上げられたものとなっています。
 「転読(てんどく)」の進化したスタイルが輪蔵を回すことになったのでしょう。

 


 素晴らしい景観に建つ観音堂は

優美で雅やかさが漂っています。


       観 音 堂(永保寺)

 「永保寺(えいほうじ)」は先述の「安国寺」と同じ岐阜県に存在しますが南と北に懸
け離れています。
  屋根は母屋、裳階共に隅での軒反りは豪快な禅宗様ですが、
正面の前面一間は和
様の板敷床で吹き放しにしている珍しい構造です。扇垂木ではなく
垂木を見せない
板軒で、斗栱は詰組ではなく、しかも床は土間ではなく板敷きであるなど禅宗様の
建築らしくありません。 


       開 山 堂(永保寺)

 「開山堂」は国宝の開山堂として
は貴重な遺構です。観音堂の風景
とはがらりと変わって鬱蒼とした
林に囲まれた聖地に造立されてい
ます。
開祖「夢想国師」、開山「佛徳禅師」
の頂相(ちんぞう)がお祀りされて
あり、寺院では一番大切な建築で
立ち入ることはできません。柵越
しに正面だけ見ることが出来ます。

建築は祀堂と昭堂の2棟を相の連結されていて後の「権現造(神社)」の原型と言
われています。権現造といえば日光東照宮が著名です。

 

 「明通寺」は日本海側では珍
しい「本堂」「三重塔」の2棟が
国宝指定という屈指の名刹寺
院です。
 「本堂」は杉木立の中に静か
に佇み非常に均整がとれた美
しさを湛えていました。
 正面側だけ「蟇股」で装飾さ
れていますが他の三面は
「間斗束」です。正面すべて


               本 堂(明通寺)

蔀戸で覆われており京都風の仏堂です。
 明通寺は福井県小浜市(おばまし)にありアメリカの大統領候補「オバマ氏」を応援
していましたがもう一方の大統領候補のマケイン氏が指名した副大統領候補ペイリ
ン氏が掛けている眼鏡が福井県で造られたことが分かり、福井県民はさてどちらを
応援するのでしょうか。

 


          金  堂(園城寺)     

 「三井寺(みいでら)」は通称
で、園城寺(おんじょうじ)が
正式名です。
 「金堂」は桁行、梁行共に七
間、一重、桧皮葺で裳階がな
いわりには軒下が高いのと軒
の出が大きいので雄大な姿と
なっております。三間向拝、
桧皮葺の屋根など純和風で非
常に均整が取れていてしかも
落ち着きがあり奥ゆかしさを  

 感じさせるお堂でした。
 内陣は四半敷の床に厨子が安置されていますが外陣は板敷きの床です。

 

 

  「西明寺は「本堂」「三重
塔」共に国宝指定で両棟は
釘を使用していないと説明
がありましたが、それは長
期保存を考えた古の工人達
の知恵でしょう。
 「本堂」の窓は連子窓でな
く花頭窓で、和様建築に禅
宗様の窓が取り入れられた
例です。


               本 堂(西明寺)

 天台系密教寺院には、外陣が板敷の
床、内陣が土間(石敷)仕様の寺院があ
り、その場合縁は床部分に設け土間部
分には設けないのを忠実に設計してい
るのが当寺院です。縁は外陣(青矢印)
のところまでありますがそれより後方
の内陣部分にはありません。  

 


           本 堂(金剛輪寺)

 「金剛輪寺(こんごうりんじ)」は
湖東三山の一つで前述の「西明寺」
とは近い距離にあります。
  「本堂」は
7間堂の雄大かつ繊
細な美しさを誇る大堂で純和様に
近く、
正面に設けられる「向拝」が
ありませんでした。

 撮影は正面、側面も無理と言う

自然に囲まれた本堂でした。撮影
する者にとっては不都合ですが礼
拝者にとっては癒しの空間と言え

る配置となっております。

 

 「善水寺」は岩根山にあり
名が示すように霊水が境内か
ら湧き出ており、この霊水に
よって桓武天皇の病が快癒さ
れたと言う霊験新たかなもの
です。
 「本堂」は桁行7間、梁行
5間の豪壮な建築で、寺院に
通じる道の幅員はさほど広く
なくこじんまりとした仏堂を
予想していただけに大規模な
本堂には驚きでした。
 本堂東の広場は閑静な庭園


         本  堂(善水寺)

になっています。霊水と名物の「善水寺もなか」を賞味され、心豊かな寛ぎの時間を過
ごされてはいかがですか。 

 


          本  堂(常楽寺)

 「常楽寺」は各自で拝観料を
料金箱に納めて入ります。人
影もなく閑散とした境内は静
かな空間が広がっていました。
本堂と三重塔が国宝指定とい
う格の高い名刹寺院です。
  「本堂」の桧皮葺の屋根の軒
反りは大きくなく穏やかで気
品に溢れる仏堂です。 
  大規模な本堂の肩越しにか
すかに見えるのは外観の優美 

さを誇る「三重塔」です。

 

 「長寿寺」は簡素な山門を潜っ
て緑のトンネルの幅狭い参道を
抜けると「本堂」で、本堂は屋根
がきれいに整備されていて優し
さと気品に満ちておりました。
 先述の「善水寺」、「常楽寺」と
で湖南三山の俗称があります。
 「向拝」は広く一度に多くの礼
拝者が来られるための礼堂の役
目をしているのでしょうか。


         本 堂(長寿寺)  

 本堂の中備は「間斗束」であるのに目立つ向拝には「蟇股」が付けられており、同じ
手法は他の寺院でも見られます

  


             金  堂(醍醐寺)

 「醍醐寺」は豊臣秀吉が催し
た「醍醐の花見」で有名な桜の
名所です。
 
「金堂」の礼堂が狭いのは
堂をもつ双堂形式の伽藍配置
だったようです。  
 金堂は平安時代に創建され
た和歌山県湯浅の
「満願寺本堂」が桃山時代に移
築されたものです。 

裳階がないだけに非常に均整の取れた美しさを湛えた建築となっています。

 上醍醐にある「薬師堂」と「清滝宮」を
撮影に訪れたのは6月の暑い日でした。
暑さに弱い私にとって下醍醐からは想
像以上の距離で約1時間の山道を休憩
しながらやっとの思いで登りました。
上醍醐で缶ジュースを2本立て続けに
飲みほした美味しさは醍醐の飲み物で
した。その飲み物の販売機があったの
が惜しくも落雷で焼失(2008.08.24)し
ました「准胝観音堂」でした。一日も


       薬 師 堂(醍醐寺)

早い復興をお祈り申し上げます。
 薬師堂の前庭は僅かな空地のうえ軒の出が深いため全体写真の撮影には苦労しま
した。写真の撮影位置から後ろは崖でした。屋根勾配はゆるく端正な建築で風食し
た木組と白壁がなんとも言えないおおらかさを醸し出していて山岳に相応しい姿で
した。
 

 


     本堂(浄瑠璃寺) 三重塔前から本堂を望む

 「浄瑠璃寺」は「九体阿弥陀堂」
の唯一の遺構という貴重な寺院
です

 「本堂」は四隅のみ舟肘木です
が他は柱頂に直接梁を乗せてい
ます。天井は化粧屋根裏です。 
 昔、本尊は「薬師如来」でした
ので浄瑠璃寺となったので今な
ら阿弥陀寺となっていたことで
しょう。
 
極楽浄土の建築であれば堂内
は華麗な荘厳(しょうごん)が

通例ですが質朴で飾りもなく簡素そのもので、しかし、周辺環境は浄土の世界を具
現化しています

  浄瑠璃寺は宝池の東岸に
薬師如来(三重塔)、西岸に阿弥陀如来(本堂)となっ
ています。
 本堂以外に「九体阿弥陀仏」、
「三重塔」、「四天王像」が国宝指定という由緒ある寺
院です。

    

 「平等院」は仏堂の前に苑池
があるのではなく苑池の中に
仏堂が浮かんでいるような独
特な配置です。
 「鳳凰堂」は裳階の正面中央
間を本尊の為に一段上げてい
ますが裳階の出が異常に小さ
いので目立ちません。 


          鳳 凰 堂(平等院)   

 権力をほしいままにした藤原摂関家の唯一の遺構で浄土を具現化した最高の例で
しょう。 
 鳳凰堂の姿は瑞鳥の鳳凰が左右に翼を広げたところとも言われており、なるほど
と納得させられるものがあります。澄んだ湖面に映える鳳凰堂はいつまで見ていて
も飽きることがないでしょう。

 


       阿 弥 陀 堂(法界寺)

 「法界寺」はこじんまりとした
樹林に囲まれた所にあり少し分
かりづらいです。
 「阿弥陀堂」なのに東向きでは
なく南向きでした。しかし、
阿弥陀堂の定法通りの桧皮葺、
宝珠露盤、宝形造です。多くの
人々を魅了してきた本尊の
「阿弥陀如来像」に相応しく方7
間堂という威風堂々とした建築

で、正面の裳階屋根を薬師寺金堂、鳳凰堂のように一段上げてあります。
 柱間の中備は「蟇股」でなく「間斗束」です。「裳階」は四面にありますが吹放しの廻
縁です。母屋、庇に裳階が付くのは珍しく格式ある寺院であることを表しています。

 

 
 
「向背」階段を覆うため
のものといわれていますが
向背は階段の幅よりはるか
に広く、階段を覆うためだ
けではなく礼堂の役目をも
果たすためでしょう。


        蓮華王院本堂(妙法院)

  「蓮華王院本堂(妙法院)」は俗称「三十三間堂」と言う方が世間に知られております。
「県別国宝建造物表」で「蓮華王院本堂(妙法院)」で掲載しましたところ「三十三間堂」
が漏れてますよとメールをいただいたことがあります。
 実際は「三十三間」の母屋の四面に一間の庇を付けた三十三間四面堂です。
 
「蓮華王院」の「蓮華王」とは「千手観音」のことです。平安時代は積善のため数を
競うとはいえ1001体もお祀りする空前絶後の仏の数です。1001体もの仏像を安置し
ますので本堂の桁行が35間と長いうえさらに梁行は通例2間であるのが3間となっ
ています。     

 

 


       本 堂(大報恩寺)

 「大報恩寺」は俗称「千本釈迦堂」
で京都の風物詩である「大根炊き」
で知られ、多くの人々に親しまれ
ています。
 「本堂」は市街地にあるのに相次
ぐ内乱にも焼失せず残ったもので、
京都では最古の仏堂として貴重な
遺構です。
  黒ずんだ木部と白い壁と白色塗
装した軒下の明るさが見た目にも

見事なアクセントを築いています。

 

  「東寺」の正式名は
「救王護国寺」です。
  東寺は通常南側では
なく
裏側(北側)からの
入場となります。
 「金堂」は廻り込んで
正面からご覧ください。
正面に回られる方は少
ないです。
 
五重塔は一番奥にあ
るように見えますがそ


          金  堂(東寺)

うではなく、正門から入るとまず最初に五重塔にお目にかかることになります。塔
と金堂との主役の交代を象徴するような状況です。
 通常の密教寺院とは様子が違い和様、大仏様、禅宗様が入り混じった混合様(?)
です。
 裳階が雄大で二重に見え
威風堂々たる仏堂です。
 裳階の正面を一段上げるものは平等院鳳凰堂、法界寺阿弥陀堂、東大寺などがあ
ります。    

  「大師堂」は寝殿
造では貴重な遺構
ですが寝殿造の知
識は持ち合わせて
おりませんので解
説は出来ません。
 大師と言えば
弘法大師、太子と
言えば聖徳太子、
関白と言えば
豊臣秀吉と言うよ


            大 師 堂(東寺)

うに固有名詞となっております。 
 
南側の本尊は「不動明王坐像」で当初は不動堂と呼ばれていましたのが北側に本尊
「弘法大師坐像」をお祀りしたので大師堂と呼称変更になりました。弘法大師坐像は
運慶の子息・大仏師康勝の作ですが非公開です。
 向拝は北面、東面に付いております。高欄付きの縁が回りに巡らしております。

 


        本  堂(清水寺)

 「清水寺」に関しては「清
水の舞台から飛び降りる」
とか物騒な話があります
が京都では一番人気があ
る寺院でしょう。春の桜、
秋の紅葉の名所でシーズ
ンともなればこの位置か
らテレビで何回も放映さ
れます。舞台からの眺め
も最高ですがこの離れた
場所から同じ目線で本堂

が眺められることが魅力の一つと言えるでしょう。
 「本堂」は江戸時代の再建ですが細部装飾を用いない和様で構造は難しく説明は出
来ません。
 
  本堂は「懸崖造」で
懸崖造とは舞台(礼堂)を増設するため床を張り出した構造で
す。
この造りは観音菩薩の浄土である補陀落山(ほだらくさん)を想像して造られた
のではないかと言われています。

 

  「知恩院」は浄土宗の開祖
「法然上人」が開いた寺院で
あります。
 豪壮雄大な三門を潜り急
な階段を上がると「御影堂
(みえどう)(本堂)」が南向
きに建立されており前庭も
広く威風堂々たる建築です。


                              御 影 堂(本堂)

  御影堂は法然上人をお祀りした堂で、知恩院では最も重要な建築であります。
 桁行11間、梁行9間、梁行9間のうち内陣が3間、6間が外陣となっており外陣
に重点が置かれているのは多くの信者を受け入れるためであります。
 知恩院の七不思議に名工「左甚五郎」の忘れ傘があります。寺院建築と左甚五郎と
いえば「蟇股」ですが知恩院には左甚五郎作の蟇股が存在するのでしょうか。

 


        金  堂(仁和寺)

  「仁和寺(にんなじ)」は天
皇の勅願で起工され、竣工
された時代の年号の「仁和」
をとって寺名とされました。
また、仁和寺を御室御所と
尊称された経緯から御室と
いう地名が誕生しました。
 現在は、美しい装いをし
て昔日を偲ばせる佇まいを

 残す豪壮、華麗な造形美が息を吹き返したようです。目にも鮮やかな姿が歳月と
共に褪せていかないうちに瞼の裏にしっかりと焼き付けられてはいかがですか。
 桁行7間、梁行5間、一間向拝で裳階は設けられていません。

 

  「観心寺」は大阪では珍しく
四季の自然が楽しめる「花の
寺」として多くの人々に親し
まれています。それだけに
豊かな自然に抱かれた寺院と
言えます。
  緑の鬱蒼とした樹林を背景
に、鮮やかな朱の彩色が一際
目立つ「金堂」を始めて見た時
は古色蒼然の佇まいに見慣れ
ていただけに新鮮な驚きでし
た。

 
        
 金  堂(観心寺)

  古いものと新しいものが調和した仏堂となっています。折衷様の代表作となって
いてその昔折衷様のことを別名観心寺流と言われたことがあったようです。 
 本尊は大変悩ましい魅力ある「如意輪観音坐像」で、弘仁・貞観時代の代表作です
が残念なことに4月17,18日のたった二日しか拝むことが出来ません。

  


              観 音 堂(孝恩寺)
 

 「孝恩寺」は観音寺と孝恩寺が
合併して誕生した寺院です。そ
れらの事情で観音寺の「観音堂」
が現在の仏堂となりましたが本
尊は観世音菩薩ではなく阿弥陀
如来です。
 境内は人影もなくひっそりと
静まり返っていました。
 「観音堂」が木積(こつみ)の釘

無堂(くぎなしどう)と俗称されるのは建築の際釘の使用を控えたからでしょう。
 屋根は珍しい行基葺であり建築様式は折衷様です。 

  


          金 堂(法隆寺) 


     二重基壇
 基壇は平安時代とも
なると消えていきます
がその中で二重基壇の
貴重な遺構です。

  「金堂」は世界最古の木造建造物として世界的に有名です。
 二重の金堂で裳階付き、雲斗、雲肘木の雲文様、人字形割束、角垂木の一軒、平
行垂木などは法隆寺に限る特徴でしょうか。それとも、飛鳥時代の建築では通例だ
ったのでしょうか。遺構がないので判断のしようがありません。
「玉虫厨子」が丸垂
木の一軒であることから
飛鳥時代は一軒の丸垂木が主流だったことでしょう。
 柱をエンタシスとする
面倒な加工仕上げを柱の組み立て後に行っているのは、エ
ンタシスに何か相当の思い入れがあったからでしょう。

 「大講堂」は法隆寺再建時
にはなく食堂が記録されて
いることから当時は食堂と
講堂とが兼用だったのがそ
の後講堂専用に用途変えを
したのではないかと言われ
ています。その講堂も延長
三年(925)の落雷により焼
失しました。
 金堂と違い講堂ともなる
と組物も簡素な平三斗です。


        大 講 堂(法隆寺)

 金堂は柱間が中央から脇間に向かって狭くなりますが講堂は総べての柱間は等間
隔となっています。彫刻などの荘厳もなく中備は蟇股ではなく間斗束です。
 野屋根では現存最古の遺構です。野屋根の場合周り縁は木製が殆どですが大講堂
は雨にぬれても支障がない石製です。 


         夢 殿(法隆寺)

 「夢殿」は東院の金堂で、
世界的な建築家ブルーノ・
タウトが夢殿を「建築の真
珠」と絶賛したように際立
って優れた姿をしています。
後世に屋根を揚げ軒を長く
しているが姿の美しさは変
わりません。
 
夢殿は東院の金堂と塔を
兼ねた建築です。夢殿とは
平安時代の命名で、後の言
い伝えですが聖徳太子が夢

殿で三経の注釈書を作成中、難題が出る度に夢の中に仏が現れて解説を受けたとい
う説話によるものです。ただ、聖徳太子の夢殿とは焼失した前の夢殿(八角仏殿)で
す。
 夢殿の前にある「礼堂」は鎌倉時代創建ですが中門跡に建設されているのは先述の
中門が礼堂として使われた証ではないでしょうか。

 東院の講堂だったのが
「伝法堂」と呼称変更になりまし
た。
 伝法堂の前身は天平時代の有
力な貴族の邸宅の遺構で、平安、
鎌倉時代の貴族の住宅の遺構が
存在しないだけに貴重なものと
いえるでしょう。軽快で穏やか
な屋根と妻側の形は最高に美し
いと言われています。
 天平建築の特徴である横材を
細くして縦の線を強調していま
す。

 
       伝法堂(妻側)(法隆寺)

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