仏陀の生涯ー2
 

  落 髪


     剃 髪

 

 太子自ら左手
で髪をもち上げ、
右手の刀で髪を
切り落とします。
その切り落とし
た髪を上に投げ
たのであります。
 


    忉利天で仏髪供養  


       ターバン供養

  太子が自分自身で髪の毛を切りその髪を空中に投げたのをインドラが受け止めその
仏髪を三十三天(忉利天)で多くの神々とともに礼拝したということですがターバン礼
拝と言われたりするようにターバン冠飾を外されただけなのではないでしょうか。と
言いますのも剃髪の太子像をあまり見かけないこととターバン礼拝と仏髪礼拝とは同
じことだからです。
 我々はターバンを被っている人をみるとインド人と思いがちですがそうではなくイ
ンドでは少数派のシーク教徒などだけで実際にはあまり見当たりませんでした。
 しかし、古代インドの王侯貴族はターバン冠飾を着けていたようであります。です
から太子もターバン冠飾を着けていたのでしょう。これらからターバン冠飾を外すこ
とが重要で剃髪することはさほど重要でなかったのではないかと思います。ところが
王侯貴族以外の人々が出家するようになってターバン冠飾を着けていないので剃髪と
いう儀式に変わったのでしょうか。
 
 左図はターバンの礼拝でありますがその歓喜の表し方は身体をくねくねさせて異常
な感じですがそれだけ驚喜が大きかったということでしょう。ただ、ターバンを忉利
天へ運ぶところか忉利天でターバンを礼拝するところかは不明です。

 これらの儀式と次の衣服の交換とは順序が逆になるかも知れません。

 

   衣服の交換


        衣服の交換

 途中で猟師に出会い太子の衣服と
猟師の衣服とを交換いたします。太
子は王子の衣服を脱いで上半身裸に
なり、左側の猟師と衣服を交換され
るところです。後ろの猟師は動物の
獲物を背負っておりますが獲物は仏
典ではカモシカということですが豚
のように見えます。ただ、インドで
は牛を、パキスタンでは豚を食しま
せん。ですから、インドのマクドナ
ルドのハンバーガーは牛肉ではなく
鶏肉を使用しております。 

 太子は修行中の菩薩ということですがもう既に光背があります。 
 煌びやかな服装から苦行林での修行にふさわしい質素な服装に変わります。

 

  仙者訪問


        
 仙 者 訪 問

 麦わらの小屋に住む仙者を訪ね多くの
教えを請いながら修行を続けていきまし
たが、悟りを開くに至るまでの満足な答
えが得られずついに仙者訪問を中止して
次に長期の苦行生活に入ります。
 右端は金剛杵を握り太子に寄り添い守
護するヴァジラパーニです。
 見事な髭の仙者に教えを乞う太子には
光背があり少し違和感を覚えます。
 もう既に、太子は菩薩の姿ではなく如
来の姿となっております。

 

  苦  行


       苦 行 像

 「苦行像」そのものは少なくラホール博物館
以外で見ることは困難であり、またこれだけ
の傑作がほぼ完全な姿で残っているのは珍し
いです。ただ、余りにも生々しくて評判の割
にはインド、我が国でも制作されませんでし
た。
あばらが見えて苦行を思わせるのは興福寺の
十大弟子の迦旃延像ぐらいでしょう。
 眼は窪み、喉骨始め全身骨の上に皮が付い
ている感じでありますがとくに腹の凹みは異
常で我が国でも腹の皮が背につきそうなとい
う例えがありますがまさにその通りの状態で
す。死を超越したすさまじい苦行ということ
でしょう。
 台座正面には燈火壇を礼拝する6人の比丘
が左右対称に表現されております。
 苦行像はガンダーラの工人だから表現でき
たのでしょう。

  

  苦行を捨てる


         尼 連 禅 河

 苦行生活を続けるも疑問点の
解決を見出せず苦行だけでは無
理と判断し苦行生活を打ち切り
にし「尼連禅河」で沐浴をいたし
ました。太子が沐浴したといわ
れる尼連禅河に訪れた時は乾季
だったので水は一滴もありませ
んでした。
 写真の中央は荼毘を取り行う
人々です。

 


   スジャーター


          スジャーター遺跡?

  太子は沐浴の後村娘スジャーターから乳粥(にゅうひ)の奉仕を受け元気になり体力
も回復いたしました。余談ですが飛鳥時代に渡来僧が持ち込んだ料理と言われる牛乳
をベースにした名物・「飛鳥鍋」が奈良の明日香で食せます。

 尼連禅河の近くにあるストゥーパ跡でありますがスジャーターの関連遺跡とのこと
で発掘調査中でした。今頃、誰の遺跡か判明しているかも知れません。
 頂上の木は菩提樹です。

 

  カーリカ龍王夫妻の讃偈


    カーリカ龍王の讃偈


           
カーリカ龍王の讃偈

  悟りを開くべき最後の瞑想のためボードガヤに向かう太子に、間もなく仏陀になら
れることを予言すると同時に、太子の威徳を讃嘆して太子に合掌礼拝をする龍蓋を被
ったカーリカ龍王夫妻。龍王は人間の姿で表現され奥さん同伴が多いように思えまし
た。
 カーリカ龍王が立つ場所は住処である井戸を表しております。
 登場人物の中でとくに太子のみが一際大きく表現されていることは単独像が生まれ
る前触れでしょう。

 

   草刈り人の布施

 
 草刈り人が差し出す吉祥草を受
取り、ピッパラ樹の下で吉祥草を
敷き詰めた金剛宝座に結跏趺坐し
てこれから悟りを開くべき深い瞑
想に入られました。
 右端はヴァジラパーニです。

 草刈り人の頭上に樹木があるの
は草刈り人が樹神であることを表
しているらしいです。


          
草刈り人の布施

 

 

  ボードガヤー


     金 剛 宝 座

 仏陀が成道されたということは仏陀の生涯の中で
も一番重要な出来事であります。
 
成道されたのが「ボードガヤー」であることからイ
ンドではボードガヤーの大精舎・大菩提寺が一番賑
わっておりました。
 仏陀が悟りを開かれました「金剛宝座」はボードガ
ヤー大塔の西壁に接してあり欄楯の隙間から覗けま
す。
 写真のピッパラ樹は、仏陀が菩提(悟り)を得られ
ました機会に菩提樹と改名されました。菩提樹は仏
教の三大聖木です。菩提樹は大木でわが国の菩提樹
とは別木です。仏陀誕生の無優樹、菩提樹、涅槃の
沙羅樹は仏教の三大聖樹(木)であります。 
 

 

  魔衆の攻撃

  苦行での悟りは得られなかった太子はピッパラ樹の下で瞑想に入りましたが、魔衆
たちが現れ太子が成道するのをいかなる手段を持っても邪魔しようと攻撃が始まりま
す。


                  魔 衆 の 攻 撃

  魔衆たちは頭でっかち、太鼓腹、大口でわめきオーバアクションで脅しておりますが
笑いを誘うようなユーモラスな顔をした魔衆たちです。
 左端にはスジャーター(青矢印)が見えます。ピッパラ樹を礼拝している人物(赤矢印)
はこの図の両端に下図の孔雀が描かれており、孔雀はアショーカ王の象徴ですからアシ
ョーカ王と考えられるでしょう。
  魔衆の表現は見事で象牙の職人が細工しただけのことはあります。

 


   上図の両端にある孔雀 


   サーンチーでの孔雀です。
 飛んできたのは3羽でしたが2羽と1羽
に分かれての行動でした。

  右の写真は聖山・サーンチーを訪れた時の孔雀で、この時間サーンチーに居たのは
私一人でした。インドのサーンチーで野生の孔雀を会えるとは幸いでした。現在、孔
雀はインドの国鳥です。我が国の国鳥は雉ですが多くの方は朱鷺と勘違いされており
ます。


      魔衆の攻撃


             魔衆の攻撃

  左図 下段の兵士は人間の姿で、両端の兵士は立派な鎧を着け槍、剣と楯を持ってい
ますが中央の兵士は上半身裸です。上の2段は身体は人間でも恐ろしい顔をした怪物で
種種雑多な武器を持っております。最上段には2面相が見えます。青矢印の顔は盾に付
いたものか少し後ろに離れて立っている人物なのか不明です。

 右図 下段には魔王の三人娘で左端はなぜ負けたのかで悩む魔王(青矢印)を慰めてい
ます
。上段には兵士だけでなく樂人も交じっており大きな石を太子に投げようとする者
(赤矢印)もおります。最上段は大地の神々でしょうか。

 

  「成道とは精神的なもので形で表現できず魔衆の攻撃を退けた場面の降魔成道を持
って成道を表しております。形と言えば服装が如来の服装に変わりますので服装で成
道を示せばよかったのですが服装はもう既に仙者訪問あたりで変わってしまっている
ため駄目でした。
 降魔浄土は成道の場面を表しますので多くの作品が見られます。 

  降魔浄土


              降 魔 浄 土


        
降 魔 浄 土

  魔王は我が三人娘による色仕掛けの攻撃に失敗をいたしましたので武力攻撃に切り
替えました。

 左図 魔王は今まさに剣を抜こうとしております。その父親の無謀な行為を止めよ
うとしているのが息子ということです。その左は魔王の娘でしょう。その左の悪魔
(青矢印)は毒蛇を持って太子を威そうとしております。台座前には身をひそめ太子を
攻撃するチャンスを狙っている悪魔がおります。

 右図 太子が右手を大地に触れ大地の神を呼び出してから戦いは太子に有利となり、
魔王を息子が戦いから手を引かそうとしております。
 台座前には戦い敗れて恐れ入りましたとひれ伏す悪魔です。

 台座には吉祥草が敷かれております。
 解脱されましたのは仏陀35歳の時でした。


                魔 衆 退 却

   左側は大地の神々でしょうか。右側はブッダガヤの聖堂からほうほうの体で逃げ出す魔衆でその狼狽ぶりの表現は見事です。

 

  四天王奉鉢


           
四天王奉鉢

 「四天王奉鉢」とは四天王が仏陀に鉢を
奉献したということです。
 仏陀は悟りを得られてからその場所で
落ち着いた生活をされ喜びに浸っていま
したが何も食していらっしゃいませんで
した。そこへ通りかかった2商人が仏陀
に供物を差し上げようとしましたが、供
物を入れる鉢が無く途方に暮れておりま
したところへ四天王が鉢を持って現れる
です。各天各々が鉢を差し上げようとし
ましたが鉢は一つで充分だと仏陀は神通

力で4つの鉢を1つの鉢に纏められたのが仏陀の左手にある鉢です。
 
四天王は仏陀の左右に二天ずつ配置されております。
 
古代インドで僧が所有できるのは托鉢用の鉢が一つと袈裟が三枚と決められたのは
仏陀の日常生活からの取り決めでしょうか。

 四天王奉鉢はインド、パキスタンでも人気のある仏伝です。
 サーンチーの四天王奉鉢は取り外されてサーンチー博物館に保管されております。

 

  梵天勧請

  「梵天勧請」はガンダーラで好まれ多くの作品があります。釈迦はガンダーラには訪
れたことがないからでしょうか。
 ブラフマーといえば古代インドでの最高神の一つで仏教に取り入れられて梵天とな
ったのであります。ブラフマーの配偶神はサラスヴァテイーといいこれまた仏教に取
り入れられて弁才天となります。
 一方、インドの古代神インドラが仏教に取り入れられて帝釈天となったのでありま
す。帝釈天といえば阿修羅と戦った修羅場で有名であり柴又の帝釈天、四天王の上司
としても知られています。釈迦に従う二大護法神となるブラフマーとインドラは様式
が違うので見分けがつき易いです。
 我が国では殆ど同一に近い様式で制作されますが、一方しか鎧を着けないことがあ
り、その場合は帝釈天です。
 釈迦は悟りを開きましたがこの教えは難解で何人にも理解できないと考え説法する
ことをためらっていました。そこでまず最初にインドラが人々のために説法をお願い
しますが首を縦に振らなかったので次にブラフマーがどうか悩める者のために教えを
説いてくださいと勧請しますとやっと説法をすることを引き受けました。この出来事
を梵天勧請と言い釈迦教が世界的仏教となるきっかけとなりました。それだけに梵天
勧請像は非常に多く造られております。


      梵 天 勧 請


         梵 天 勧 請

   禅定印を結び結跏趺坐する仏陀。左右はブラフマー、インドラです。菩提樹は仏陀
を包むように垂れ下っております。
 左図は天空に飛天が舞っております。衣が夏用の通肩かどうかは分かりません。両図
はよく似た構図ですが服装が面白いので掲載しておきました。両仏陀ともこれほど高い
肉髻は見たことがありません。 


        梵 天 勧 請

 仏陀は禅定印ではなく説
法印で梵天勧請と次の初転
法輪を兼ねているのでしょ
うか。

 右側はインドラでターバ
ン冠飾、瓔珞を着けており
ます。
 左側はブラフマーで髪が
長いという特徴があります。
これらの特徴は上図の方が
理解し易いです。

 

 

  それではと、最初の説法を鹿野苑(ろくやおん)(現在のサルナート)で行うことにな
りました。それというのも、仏陀と苦行していた仲間なら仏陀の教えを理解するであ
ろうと考え仲間が住まいとするサルナートを訪れたのです。ただ、仏陀が
苦行を止め、
しかもスジャーターから乳粥を布施されたのを見て苦行に励んでいた仲間の五人は、
苦行からの脱落だと非難して太子と袂を分けたのでありますから、もし、堕落した仏
陀が訪ねてきても適当にあしらおうと相談して決めておりました。がしかし、仏陀が
現れるとその威厳ある姿に見とれてしまい崇敬の念をもって仏陀の説法を聴聞するこ
ととなったのです。
 
鹿野苑とは名の通り鹿の群れからの命名でしょうが奈良公園に比べると頭数が少な
く見つけるのが大変という状況でした。


   東大寺南大門前の鹿


      鹿野苑の鹿

  鹿は野生ですから鹿野苑では人間に危害を加えないよう金網で人間と鹿が接触しな
いようになっております。ところが、奈良の鹿はよく馴らされていて人間と鹿が共存
するという世界的にも珍しいケースです。


       仏陀の説法を聴聞するため鹿野苑に集まった鹿たち。


          初 転 法 輪 


     初 転 法 輪

  説法のことを転法輪と言い転法輪とは字の通り法輪(ダルマ・チャクラ)をまわすこ
とが説法するということです。その最初の説法を初転法輪といいます。サルナートは
最初に説法を行ったので初転法輪の地として知られており釈迦の四大聖地の一つに挙
げられています。一般的に初転法輪を表すには台座に法輪と2頭の鹿が描かれていま
す。

 右図は降魔印のようですが2匹の鹿が蹲っておりますのでサルナートでの初転法輪
を表現したものです。今まさに
、法輪を転がして初転法輪を行おうとするところであ
りましょう。

 

  次に仏陀が他の宗教徒を神通力をもって改宗させる物語を記載いたします。

  火神堂内毒龍調伏(どくりゅうちょうぷく) 


    火神堂内毒龍調伏

   「火神堂内毒龍調伏」とは仏陀が毒龍(蛇)を
退治した話です。ある時仏陀は火を尊び、火を
祀るカーシャパ兄弟に一夜の宿を借りましたが
提供された堂には火を放つ毒龍が住みという恐
ろしい処でした。
 仏陀は毒蛇の放つ火に対してそれ以上の強力
な火を放って毒龍と対決いたします。その火勢
は屋根の明かり窓(青矢印)からも火が吹き出す
ほどでした。凄い火炎の中で仏陀と毒龍が対決
するすさまじい光景を見て、これでは仏陀が焼
死してしまうとカーシャパ兄弟は心配して弟子
たちに近くにある尼連禅河から水を汲み消火を
命じました。ところがそんな心配をよそに、仏
陀は退治した毒龍を壺に閉じ込め、その壺の中

をカーシャパ兄弟に見せましたところ釈迦の超能力にカーシャパ兄弟は感嘆して合掌
しました。
 中央の5頭の龍蓋が毒龍で前の聖台は仏陀を表しています。

 

  尼連禅河渡渉の奇跡


     尼連禅河渡渉

 「尼連禅河渡渉の奇跡」とは仏陀が尼連禅河
の川底あるいは川面を歩いて渡って見せたこ
とです。仏陀の象徴は中央にある経行石(き
んひんせき)でわが国では目にかかれない仏
陀の象徴です。この経行石の仏陀が川底か川
面を歩いていることを表しております。
 河には水鳥だけでなく鰐(上部)までいる恐
ろしいところでカーシャパ兄弟は船上から心
配そうに眺めております。
 右下の菩提樹と聖台は仏陀が無事に渡りき
ったことを表しております。

 下部の仏陀の偉業に感嘆の合掌しているの
はカーシャパ兄弟でしょうかそれともカーシ
ャパ兄弟の弟子たちでしょうか。

 

 

 右側のシーンは薪を割ろうとして斧を振
り上げようとするが斧が上がらない、その
左は斧を振り上げたが振り下ろすことがで
きない、薪に火を付けようとした火が付か
ないものでこれらのしばりが仏陀の神通力
を持って解き放たれのを見てカーシャパ兄
弟は敬服いたします。

  カーシャパの改宗


          カーシャパの改宗

 バラモン僧だったカーシャ
パが仏陀に改宗を告げる場面
です。
 神通力で奇跡を起こし
威厳
に満ち溢れた仏陀に感嘆した
カーシャパ3兄弟は弟子千人
とともに帰仏することをいた
しました。
 これらは仏教がすぐれた宗
教だというプロバガンダでは

なかったのでないでしょうか。
 
仏陀不表現、仏弟子不表現ですからカーシャパ兄弟も仏弟子となると表現されなく
なります。それと、我々が大荷葉という人とカーシャパとは違うようです。

 
仏陀の生涯ー3へ続く