仏像の誕生−4


 執金剛神立像(東大寺三月堂)


 熟年のヴァジラパーニ


青年のヴァジラパーニ

 「ヴァジラパーニ(執金剛神)」は仏陀の涅槃までボディガードとして金剛杵を持って
仕えましたが我が国では仏陀に付き添う執金剛神像そのものは無く単独像としか造ら
れておりません。それよりも、我が国では執金剛神が2体となって須弥壇や門の左右
を守護する二王(仁王)に興味が向いております。仁王さんと親しみを込めて呼んでい
るくらいです。

 何故か、ヴァジラパーニだけは若きヴァジラパーニと熟年のヴァジラパーニが表現
されます。右側の若きヴァジラパーニが右手に払子を持っておりますのは仏陀に纏わ
り付く虫を追い払うためでしょう。下に表現されている人物は誰でしょうか。
 ヴァジラパーニは上半身が裸であるのに対し「東大寺三月堂の執金剛神立像」は鎧を
着けております。
 金剛杵(青矢印)を中央で持つ場合と掌と肩で持つ場合がありますが東大寺像は金剛
杵の中央をもっております。パキスタンの金剛杵は両端が太くなっているのに対し
東大寺像の金剛杵は先が鋭く尖っております。ですから、若きヴァジラパーニのよう
に掌で金剛杵を持つことは出来ないのでしょう。

 バラモン教のインドラ、ブラフマー、ヴァジラパーニを家来にすることによって仏
教はバラモン教より上位に出ることになりました。

 

 


    ヤクシャ像 


    ヤクシャ像


   ヤクシャ像

  民間信仰の神だった「ヤクシャ」、「ヤクシー」についてです。
 「ヤクシャ」はインド古来の神で当初は左側のヤクシャ像のように螺髪のごとく
結い
あげた
頭髪、大きな耳朶、黒眼を描く見開いた眼瓔珞と腕釧は豪華でガードマンに
は相応しくなく、しかも歯を見せ微笑んで愛想を振りまくユーモラスなポーズでした。
ヤクシャは鉢を頭上に掲げ供物を捧げる役目だったのでしょう。

 右のヤクシャ像は守門神としての役目が主となっていき我が国の四天王の源流とな
りました。背景に樹木が彫られているのは樹精の名残でしょう。ただ、甲冑を身に着
けず武人像らしくありません。足を開き気味にして立っているのは魔物の進入を防護
する姿勢を示しているのでしょう。

 

 


     ヤクシー像

  
  ヤクシー像

 ヤクシャに対する「ヤクシー」です。
 左側のヤクシー像は最高に美しい像だと評判の作品で朝日を浴びている像です。

強材というべき持送りにこれほど美しい乙女を充
てたり右側のヤクシー像は邪鬼の上
に乗っかり女性らしいイメージとはかけ離れた演出です。
 弾けんばかりの肉体美を誇る魅惑的な姿態でこんな官能的な守門神は仏教には相応
しくないと考えるのは日本人だからでしょう。
 衣を着けているのか分らない薄い衣を着け両手をマンゴ樹に掛け身体の重心を右足
に置き不安定な姿勢となっております。
 マンゴー樹は熟した実がたわわとなっておりますが現実は花から実になるものは少
なく生産性は悪いらしいです。
仏教ではマンゴ樹も聖樹で高さが40mにもなり暑い日
差しを遮り木陰で休息するにはもってこいの樹木らしいです。我が国と違って仏教の
三大聖樹はすべて高木です。それと、本生譚「大猿本生」仏伝「マンゴ園の寄贈」もマン
ゴがからむ内容です。
 時代は
ヤクシーから後述の豊穣多産の「ハーリーティー」に人気が移っていきました。
 ヤクシャは四天王として蘇りますがヤクシーはどうなったのでしょうか。ハーリー
ティーと入れ替わりに消滅してしまったのかそれとも「樹下美人」の祖先がヤクシーな
のでしょうか。
 ちなみにインドはマンゴの世界最大生産国で、マンゴは現在我が国の女性に人気あ
る熱帯フルーツとなっております。 

 

 


  クベーラ坐像

 「クベーラ像」です。この像はヤクシャ坐像ともいわれて
おりますがクベーラ像として説明いたします。
 クベーラはヤクシャの頭領で姿を見ると財宝の神のイメ
ージでありますが守護神のイメージはありません。
 太鼓腹が邪魔になるのか胡坐も組めないので右足を立て
ております。
 頭髪は螺髪ですか螺髪の先駆けでしょうか。
 首飾りが左肩から捩れたものが垂れ下っている変わった
ものです。
衣裳は僅かな部分しか纏っておりません。 
 飛び出した
大きい眼、立派な口髭、微笑んでいるような
口許でユーモア溢れる像です。
 腹が光っておりますのは人々がその太鼓腹を触れて金持
ちになることを願ったからでしょう。
 クベーラはヒンズー教の財宝神で仏教に取り入れられて
四天王の多聞天となり単独で祀られると毘沙門天となりま
した。

 なぜ、毘沙門天が財宝神でもあるのか理解できませんでしたが毘沙門天の源がクベ
ーラということで納得いたしました。
 毘沙門天は七福神の一神であるのはご承知通りです。四天王は二天で祀られること
はあっても単独で祀られるのは多聞天だけというのもその生まれがはっきりしている
からでしょう。
 我が国でも戦前まではクベーラのような体形が金持ちの象徴であり戦後間もなくま
ではダイエットといえば肥えることでしたが現在ではダイエットといえば痩せること
と反対の意味に変わりました。 

 

 ヤクシニーに代わってハーリティーが表舞台に出てまいりました。

 
   ハーリティー像

  「ハーリティー」の前身は大変な鬼女で他人の子供をさ
らい食べておりました。
 口には牙が出ており怖い顔は、恐ろしい鬼女を表してい
るのでしょう。
 4臂で三叉戟、水瓶、杯、子供を手にしており
右手で抱
いているのは一番可愛がっている末っ子のピンガラでしょ
う。
 
頭には豪華な花飾りを付け首飾り、胸飾りを付けるだけ
でなく光背までも付けております。
 
女神像といえばハーリティーが好まれたのか多数の像が
ありますが後述の夫婦像の方が多いように感じました。
 ハーリティーが仏教に取り入れられた「訶梨帝母(かりて
いも)」となります。我が国では訶梨帝母像は単独像に限ら
れるようです。また、「鬼子母神(きしもじん)」とも言われ
ます。
 
単独像は恐ろしい女のイメージですが夫婦像になると優
しいお母さんそのものです。

  「おそれいりやの鬼子母神」で知られる、入谷鬼子母神とは「真源寺像」のことです。
「母」は「ぼ」ではなく仏教では「も」と読みます。

 


 
  パーンチカとハーリティー坐像


 
パーンチカとハーリティー坐像 

 ハーリティーは子沢山に拘わらず他人の子供をさらってきては食しておりました。
さらわれた親の悲しみを仏陀が知り仏陀はハーリティーが愛していた末っ子を隠した
らハーリティーは半狂乱になって探しました。そこで仏陀はハーリティーにお前は多
くの子供を抱えているにも拘らずたった一人の子供が居なくなって大騒ぎするが、今
までお前の犠牲となった多くの親の悲しみを考えたことがあるかと問い詰めました。
ハーリティーは仏陀の言葉に今までの行いを悔い仏道に励むようになりこれ以降子供
を守る神となり、それが仏教に取り入れられて多産と育児の神・訶梨帝母となりまし
た。 

 左側に夫のパーンチカ、右側に妻のハーリティーの夫婦が仲良く長椅子に腰掛けて
おります。踏み台があるのは権威の象徴でしょうか。
二人の間の子供は500人とも
一万人ともいわれる程の子沢山であるので、右図の
台座には遊びに戯れる多くの子供
たちを表しております。子沢山を左図では数人の子供が纏わりつくことで表しており
ます。

 パーンチカは豪華な宝冠を被り右手に槍を持ち左手を膝の上に置いてどっしりと構
えております。
 ハーリティーは頭に花飾りでお洒落をして優しい女性となっており左手に
末っ子の
ピンガラと思われる
子供を抱いていかにもお乳を含ませているように見えます。

 ハーリティーは旦那を置いて我が国に来日して右手に多産のシンボルである石榴を
持つ訶梨帝母となりましたが
パーンチカの方はその後どうなったことでしょう。

 


                
ラクシュミー


   
ラクシュミー


  
 ラクシュミー


    
ラクシュミー 

  ヤクシーと並んで女性神が多いのは「ラクシュミー」です。ラクシュミーはヒンズー
教のヴィシュヌ神の妃でありました。
 ラクシュミーは蓮華上に立ち、同じ蓮華上に立つ双象が鼻でつまんだ水瓶を逆さま
にしてラクシュミーに潅水するのが一般的であります。ラクシュミーはパキスタンで
は目にしませんでした。
 ラクシュミーは仏教に取り入れられて「吉祥天」となり昔は
吉祥悔過という法要の本
尊として崇敬されました。毘沙門天の妃となりましたご夫婦像が「法隆寺金堂」に祀ら
れております。

 

 


カールティケーヤ立像

 「カールティケーヤ」は仏教に取り入れ
られて「韋駄天」となりました。
 その昔、仏陀の舎利を盗んで逃げる盗
賊を早い足を活かして捕まえたという俗
説から足の速いことを「韋駄天走り」と言
われるようになったのであります。
 豪華な冠飾を被り大きな剣を持ちどっ
しりと立って仏敵を威嚇しております。
何本かの綱状のものを編み上げて作った
腰帯を締めております。
 上半身は裸の上に豪華な瓔珞で飾って
おります。
 韋駄天は禅宗寺院の庫裡(厨房)に祀ら
れることが多いです。なぜなら、韋駄天
は駆けずり回っておいしい食材を集めて
くるので食事の心配をしなくてよいから
です。はっきりは分かりませんが御馳走
の馳走と何らかの関係があるのでしょう
か。 

  
 
 


 槍を持つ女神

  右図はヘルメットらしきものを被り、首飾り、瓔珞で飾り立てた愛らしい乙女の兵士でカールティケーヤとは何の関係もありませんが仏教ではこんな像をも採用されておりました。

 


       ガルダ

      ガルダ


    ガルダ

 「ガルダ・迦楼羅(かるら)」は金翅鳥(こんじちょう)とも呼ばれ鳥類の王という巨鳥
です。毒蛇のコブラを食べるといえば孔雀で、そのため、孔雀は大変有難がられてイ
ンドの国鳥となっておりますが同じコブラを喰うガルダは尊重されるどころか最初は
悪神扱いでした。
 ナーガ(龍男)はコブラのことで中国では龍となりますが体つきが違います。ナーガ
は往々にして人間の姿で表現されコブラの龍蓋(後述)を付けます。  
 ガルダは母親がナーガ族に奴隷にされたのを恨み蛇(龍)を常食にしておりましたが
ナーガはそれらの危機を仏陀に救ってもらいます。
  ガルダ、ナーガ共に神格化して仏教の天竜八部衆となり仏陀の守護神となります。
 ナーガ崇拝は我が国で言えば竜神崇拝でしょう。竜神といえば室生寺です。仏伝に
は竜王が結構出てきます。ガルダが鞍馬の天狗の祖先だとという説もあります。
 
 左図はガルダが龍女のナーギを両手で羽交い絞めにして連れ去り餌食にしようとし
ております。
 中央の図はガルダが両手で二匹のナーギを抱きかかえて連れ去るのを救うため剣を
抜こうとしているナーガと数人の仲間であります。ガルダは鷲のような嘴をしており
その嘴でコブラを銜えております。
 右図はガルダがナーギを左手で捕まえております。  

 


      龍王夫妻


          龍王頭部

  「龍王夫妻像」は気泡が多い岩石で造ら
れております。アジャンター石窟の外壁
にありよく見えます。
 5匹の龍蓋を着けた龍王と一匹の龍蓋
を着けている龍王の妃です。
 右足を立て左足を下げ降した龍王と並
んでちょこんと遠慮がちに腰掛ける龍王
妃です。
  竜王は手には何も持っておりませんが
龍王妃は右手に花を、侍女は右手に払子
を持っております。

 

 龍王の頭部断片像でしょう。宝冠を被
った端正な顔立ちをした若き王です。 
 浮彫りの見事な眉、ぱっちりとした眼、
きりりと結んだ口許です。
  王らしい身だしなみで豪華な耳飾り、
臂釧、腕釧を身に着けております。
 人間生活や農作業に欠かせない水を管
理するコブラを敬い礼拝するために人間
らしく造像されたのでしょう。7頭か
9頭の龍蓋を被っていますがその龍蓋に
右手が挙がっているのは何らかの合図で
しょうか。

 

 

  インドでは建造物を支えるのはヤクシーの役目でしたがガンダーラでは後述のアト
ラスがその役目を努めます。
短躯肥満のヤクシーの4体が背中合わせでサーンチーの
塔門の梁を支えております。
 右図は獅子ですが百獣の王たる獅子にヤクシーと同じように塔門の梁を支えさせた
のでしょうか。そうではなく仏敵の進入を防護するための役目を背負ってことでしょ
う。

 

 


   アトラス


    アトラス

      アトラス

  「アトラス」はギリシャ神話の神々と戦って敗れ、その罰として天空を支えなければ
ならなくなったという西洋のヤクシーであります。
  ヤクシーのような太鼓腹の肥満体に比べアトラスは鍛え上げた筋肉質の理想的な体
躯となっており、喘ぎながらではなくたやすく基壇の下部を支えております。
 アトラスはどちらかの手で膝小僧辺りを触るのが一般的な様式です。見事な顎髭は
我が国でも憤怒像で見ることが出来ます。
 アトラスは翼を持っておりますが右図は豊かな口髭も顎髭もなくエンゼルのような
感じがいたします。


     アトラス


           アトラス

 左図のアトラスは頭と腕で天空を支えると言われこ
の写真がそのものずばりでしたがガラスケースの正面
ではなく側面に展示されていてガラスに映った照明の

ため満足する写真撮影は無理でした。
 アトラスはある出来事によって天空を支える重圧から逃れることが出来、その代わ
りとなったのがアトラス山脈だと言われております。

 

 

 ガンダーラには花や樹で編んだ長い花綱を担ぐ裸の童子を描いた図が多くありまし
た。これはギリシャ・ローマから請来されたものでしょう。 

 

 

 これ以下の図は風俗図ですが仏教建造物の荘厳に用いられたものでインド・ガンダ
ーラとも当時の教団側がいかに寛大であったのかが分かります。現在、テレビとか公
衆の面前でインド・パキスタンともにキスシーンすら許されずテレビで女性のバスト
露出シーンがあればモザイクを掛けております。皆さんもご承知であるリチャード・
ギアがインド人の女優にキスをしようとしたとして裁判所が逮捕状を執行し世界的な
ニュースとなりました。これは少し大袈裟だと思いますが結婚式での若き夫婦のキス
でも咎められる国です。
 下図といいカジュラホの建築の荘厳彫刻といい今のインド・パキスタンの社会常識
からは想像できないものばかりです。


           キスシーン  


     逢引のシーン


   逢引のシーン


 滝に打たれる女

 

 


      遊女の酔態


 恋文を書く女


   化粧する女

 

 

 

             画 中西 雅子