仏像の誕生−3

  ガンダーラ仏に対して「マトゥラー仏」ですがマトゥラー仏は黄班文がある赤色砂岩
だけに柔らかく温かい感じがいたします。
 マトゥラーでは仏陀でありながら菩薩と銘記されていることは仏陀が誕生してから
5世紀が過ぎても教団に対する気配りかそれとも仏陀を人間の形で表現することに抵
抗があったからでしょうか。
 マトゥラー仏は丸顔で溌剌とした青年の顔です。肩はいかり肩、右手は施無畏印、
左手は腰に当てるか膝に上に置きます。身体の重心を両足に均等に掛けて正面性を強
調しております。
 様相は薄い衣の偏袒右肩、襞の表現より肉体表現に力を入れております。薄い衣で
肉体表現に重点があるのは古代の神のヤクシャ、ヤクシー像に通じるものでしょう。
 
 ガンダーラでの髭がマトゥラーでは採用されなかったのは比丘は剃髪で髭を生やす
のがタブーだったのを尊重したのでしょう。

 マトゥラーの立像はもっぱら通肩でありますが坐像の場合は通肩と偏袒右肩とがあ
ります。

 

 


        仏 三 尊 像

 「仏三尊像」はマトゥラー仏の中でも傑作中
の傑作と言われるもので仏師が創意工夫をこ
らしながら精密な彫刻を施したものです。
 高さはたった69pで想像していたよりはる
かに小型でした   
 マトゥラーで産出される黄班文がある赤色
砂岩で造られ、マトゥラー仏では最古のもの
と言われております。
 教団側のしばりがあったのか仏陀であるの
に菩薩と銘記されております。
 頭髪と顔の容貌については後述いたします。
 いかり肩で左肘を強く張りいかにも活動的
なスタイルです。 
 右手は施無畏印、左手は膝の上に置きます。
獅子座上に置かれた吉祥草の草座に結跏趺坐
しております。仏陀は釈迦族の獅子と称され
ましたので仏陀が坐る座を獅子座と言われ獅
子が居なくても獅子座と称されます。台座の

両側には横向きの獅子、中央は正面向きの獅子の三頭が表わされております。古くは
横向きの獅子が配置されておりますが時代とともに正面向きの獅子に変わります。獅
子座は仏陀だけでなく弥勒菩薩にも用いられます。我が国では獅子座の呼称はあって
も獅子が表わされた現物はありません。
 肉体表現を強調する薄い衣の大衣であり襞は左肩、左臂から垂れる部分だけと膝小
僧辺りには裙の裾が表れております。
 右肩を露出する偏袒右肩でありますが偏袒右肩とは尊い人、高僧など目上の人の前
に出る時や仏陀を礼拝する時の正式な着衣法です。仏教界での最高位にある仏陀より
尊い人は居ないので仏陀は通肩でなければならない筈なのになぜ偏袒右肩をされるの
か不思議です。通肩は托鉢に回る時や座禅の時の服装です。
 図では見えませんが足裏に千輻輪相、足裏には千輻輪と三宝標が刻まれております
がガンダーラではあまり刻まれませんでした。千輻輪相は後述いたします。
 左右背後に払子を手にする菩薩の脇侍が控えております。

 光背の周辺部には菩提樹がありその枝が仏陀に厳しい太陽光線が当たらないよう垂
れ下っております。
 天上には2飛天が散華供養しております。飛天は一般に足の片膝を曲げることによ
って飛翔していることを表しております。
 頭光には周辺部にのみ連弧の縁文様があります。   
 
 右手が残っているのは右手の裏に装飾物をいれて彫り残す工夫の結果です。



   仏三尊像の頭部

 若々しい青年の顔です。
 巻貝形・蝸牛殻のような特殊の髪型ですが地髪の中
央部の剃り残した髪を上に巻きあげたものでその証拠
に髻には横に毛筋がきざまれております。
 我が国でも地蔵菩薩像の場合頭は剃髪ですが髪の毛
の部分は僅かにこの仏陀と同じように脹らましてあり
ます。
 肉髻は珍しく前傾しております。
 長く引いた眉とぼつんと小さな白亳は浮彫りで表し
ております。
 ぱっちりと見開いた眼で人間らしい眼です。
 口は角で少し上がり微笑んでおります。
 ガンダーラ仏と違って口髭は付けません。
 耳朶は長くなっております。

 
     仏 足 跡

 三十二相の「足下安平立相(そっかあんぺいりっ
そう)」とは仏陀の足は扁平であるということゆえ
仏足跡が出来るのであって我々の足跡はこのよう
にはならないのは当然であります。
 仏足跡が考え出されたので仏陀の足は扁平だと
言われるようになったのでしょう。ただ、仏陀の
足の裏は真っ平らでありますが我々が普通扁平と
いうのは土ふまずの面積が少ないことも言います
ので仏陀は扁平以上といえます。
 仏足跡で指に卍花文相が印されておりますが何
故か薬指の卍の向きが違います。
 「手足千輻輪(しゅそくせんぷくりん)相」とは
手の掌や足の裏に千輻輪相(青矢印)(千本のスポ
ーク状の車輪)という文様があることです。輻を
千本刻むのは現実には難しいので制作の際には省
略されております。
 三叉標(赤矢印)の下には蓮華紋があります。

 


      仏 頭 


   山田寺仏頭(興福寺)

   「仏頭」は若々しく溌剌とした美少年の面影で見開いた眼の形は違いますがゴムま
りのような豊頬といい「興福寺の山田寺仏頭」を思い出しました。
 頭部に特徴があり地髪部を剃り上げ頭頂部を剃り残した髪を横に束ねたものを2段
に形成し肉髻としています。 肉髻らしくなってきております。
 口にはアルカイックスマイルのような笑みをたたえております。
 このような肉髻の髪型は先月(2007.08.23)発売の「ぴあ(関西版)」の表紙を飾った
「蒼井 優」さんの髪型によく似ているのには驚きました。 

 

 

  
    仏陀立像

 「仏陀立像」は偏袒右肩で肌が透けて見えるぐらいの薄衣
で右臂辺りと腰下部分のみに襞が見えます。
 やや撫で肩ですが肩幅は広いです。
 右手は多分施無畏印で左手は例によって腰に当てて威風
堂々と立っております。
 すらりとした体型で身体の重心は両足に均等に掛けてお
ります。
 足許で左足の左には竹のようなものが、両足の間には蓮
華のようなものがありますがなんだか分かりません。両足
の間に獅子を表す像もあります。
  剃ったような髪型で柔和な丸顔の眉も白亳も浮彫りで表
現されております。
 眼はぱっちりと見開き鼻筋は通っております。    
 

 


     仏 陀 立 像


      仏頭と光背の一部分

  「仏陀立像」はグプタ彫刻の最高傑作と言われる
ものです。
 像高は220pの巨像です。優美で端正な像は熟練
の技による素晴らしさにより魅了し続けております。
 まず最初に眼に飛び込むのは91pの頭光でこれだ
け完全な姿でよくぞ残ったものです。

 頭光の繊細で華麗な装飾文様は、開敷蓮華、六弁花文、中央には向かい合う鳥、連
珠文、蓮弧文などで最高の出来栄えの頭光で見応えのあるものとなっております。
 肩幅が広くすらりとして堂々とし て体躯で脚が長いです。螺髪の粒は一定で規則正
しく配列されておりますが肉髻は小さいです。
 マトゥラーでも通肩が出てまいります 。
 眉は細い浮彫りですが白亳はありません。ひょっとすると筆書きされた眉が消えた
のかも知れません。我が国でも弘仁・貞観時代の如来像に白亳が無いものがあります。
 見開いた眼から瞑想的な半眼となりその半眼の目線が鼻の先に集中したためか鼻が
欠けておりますのは惜しい気がします。
 「三道(青矢印)」は膨らみが出てきて三道らしくなってきました。
 
衣の襞は首元から放射状ですが右肩から左腋かけて緩い曲線を描く並行する襞が左
腋で急に反転しております。通肩でのこの様式はガンダーラ の影響でしょうか。
 臍の下あたりから身体の中心を並行する流れるような襞は、U字型の細い流麗な襞
となっております。ただ、薄い衣でどうして襞が出来るのか不思議です。それとも、
ガンジス河で沐浴されてきたところでしょうか。この衣文様式は我が国の仏像にも取
り入れられております。 
 何故か大衣が短くなって腰を覆う裙が見えております。両足の間の獅子も存在せず
足の両脇には小さく表わされた供養者が跪坐し礼拝しております。供養者が異常に小
さいのは仏陀の偉大さを表すための演出でしょうかそれとも仏陀の身長が4.8mであ
ることを表しているのでしょうか。

 右手は施無畏印だったことでしょう。左手は衣の裾を手繰り寄せて握っております。
薄着のため臍が透けて見えるのと下帯が写っております。

 


  仏陀立像


    仏陀立像

 
 「仏陀立像」は螺髪で肉髻が小さ
いです。
 温和な顔で額が広く眼は半眼で
す。
 通肩で全身にU字型の襞を表し、
襞は波紋を描く優美な曲線で華麗
なものとなっております。
 右手は施無畏印を印し左手で衣
の一端を握っております。 

 大衣が短く下着の裙が現れてお
ります。この服装は動くのに便利
なためでしょうか。

 足元左右に小さな供養者が刻ま
れております。 

 

 



      仏陀立像 

  「仏陀立像」はグプタ時代にサルナート様式で制作され
ましたものです。サルナート様式とは緻密な砂岩の特徴
を生かすため衣の襞を刻まなかったので一見衣を纏わぬ
裸のように見えます。この襞を表わさないのがサルナー
ト様式の大きな特徴であります。サルナートとは仏教の
四大聖地の一つで仏陀が最初に説法された場所です。
 サルナートはマトゥラーと並んでグプタ時代仏像の二
大生産地でありました。
 頭光の欠損が惜しいです。
 耳朶は長く肩口に届きそうです。
 温和な表情ですが正面を見据えております。
 右手は施無畏印、左手は衣の裾の一端を握り挙げてお
ります。左右の両手には縵綱相を刻みしかも千輻輪相が
印されております。
 両足の間にあるのは獅子ではなく何か分かりません。
 襟元、袖口、腰帯以外の表現がないのがかえって見て
いて惚れ惚れする仏陀となっております。
 衣が肌にぴったりと纏わり付いているので体温のぬく
もりが伝わってくるようであります。薄着で襞がないの
は自然な表現で小さな襞が出来るのは装飾的表現といえ
ましょう。


    仏陀立像

 


 大衣の胸元から右腕を出ししかも
うつむきかげんでこれからなにをし
ようとしているのか分らない像です。
大衣から腕を出すのは珍しく数は僅
かです。 

 

 


       仏 三 尊 像

  「仏三尊像」の本尊は偏袒右肩、説法印、
蓮華座に結跏趺坐しております。
 右脇侍(向って左)はターバン冠飾を着け、
右手は施無畏印、左手に花綱を握る観音菩
薩。左脇侍は束髪で右手は胸の高さまで上
げ掌(青矢印)を手前に向けている。左手首
は欠損していますが多分水瓶を持っていた
弥勒菩薩でしょう。
 右後方には宝冠を着けたインドラ、左後
方にはブラフマーが上半身を覗かせており
ます。ブラフマーの右手は弥勒菩薩と同じ
ように掌(青矢印)を手前に向けております。
天蓋は聖樹でその中に樹神(赤矢印)が見え
ます。左右の小祠堂内に結跏趺坐した禅定
仏が見えます。
 台座には仏伝が描かれております。 

 


       仏 三 尊 像

 「仏三尊像」の本尊は偏袒右肩、説法
印、蓮華座に結跏趺坐しております。
 右脇侍(向って左)は左手を腰に(
矢印
)当てているので釈迦菩薩でしょ
う。
 左脇侍は長髪を束ねて左手で水瓶
(赤矢印)を持っているので弥勒菩薩で
す。
 左後方は長髪のブラフマーです。
 右後方は宝冠を被り金剛杵(青矢印)
を持っているのでインドラです。
 我が国では釈迦の脇侍と言えば普賢
菩薩、文殊菩薩であり、釈迦菩薩と弥
勒菩薩という組み合わせの三尊像は拝

見したことはありません。ただ、「法隆寺金堂の本尊・釈迦如来」の脇侍は「薬王、薬上
菩薩」です。

 

 


     仏 三 尊 像


       仏 三 尊 像

 

 


       仏 三 尊 像


      仏 三 尊 像

 

 


      仏 三 尊 像


   仏 三 尊 像

 

   


         仏 陀 説 法 図


     仏 陀 説 法 図

  「仏陀説法図」としておりますが異説もありはっきりしませんが参考図として掲載い
たしました。

 


             過 去 七 仏

  過去仏は通肩と偏袒右肩の組み合わせです。仏陀も過去仏に入っております。それ
はそうと過去仏の業績の記録は残っていないのでしょうか。 
 左端は瓔珞を着け左手に水瓶を持つ弥勒菩薩です。

 

 


                過 去 七 仏

 右端が未来仏の弥勒菩薩です。
 
下図は酒を飲みながらの男女交歓図です。  

 


            
仏陀と菩薩と供養者 

  通肩の仏陀は右手を施無畏印ないしは与願印しておりますが、袖から手を出してい
ないのは珍しい(青矢印)です。菩薩は右手は施無畏印ですが左手は腰に当てるものと
花綱を握るものがありこれらは釈迦菩薩と観音菩薩でしょう。左端の菩薩はターバン
冠飾ではなく束髪で左手には水瓶を持っていたように見えますので弥勒菩薩でしょう。
後方の列は写真が不鮮明で分かりませんが金剛杵(赤矢印)をもつヴァジラパーニ(執
金剛神)が居り当然その右側は仏陀でしょう。両端の供養者は花綱を持っております。 

 

 

 これよりガンダーラの菩薩についてです。釈迦菩薩の様相を観音菩薩が引き継ぎます。

 

  釈迦菩薩・観音菩薩は王侯貴族に相応しい姿でターバン冠飾を付けておりましたが
冠飾は欠落してありません。
  宝冠に多くの華麗極まりない飾りで我が国では見られぬものです。耳朶には重たく
揺れる華やかな耳璫(耳飾り)がぶら下がっております。その耳璫の重さで耳朶が長く
なったのです。ですから、長い耳朶はステータスシンボルです。

 

 

 菩薩に1本の華麗な頸飾り、2〜3本の胸飾りを付けております。頸飾りは幅広い
扁平な形状ですが胸飾りは簡素なものから複雑な装飾のものまであります。我が国で
はこれほど華麗な装身具はお目にかかれません。胸の中央に垂れる胸飾りには宝石の
端を噛む怪獣の頭(赤矢印)があります。もう一本の胸飾りは左肩から右脇腹に垂れて
おります。さらに、もう一本は左肩から右臂に掛けてでありますが右の臂釧でずり落
ちるのを止めております。 
 臂釧(青矢印)の豪華さもガンダーラの特徴であります。腕釧が複数ありますのはヤ
クシャ像の流れでしょうか。
 片岩だけに細部まで緻密な彫刻を施すには苦労したことでしょう。
 腰紐の結び方はヘラクレス結びといい現在でも装身具などで出てくる結び方です。

 


      阿修羅像(興福寺)    

  我が国では菩薩は素足でありサンダルを履きません。「東大寺三月堂の月光菩薩像」
が沓を履いていますのは例外です。

 我が国の仏像でサンダル履きは珍しいですがあの有名な「興福寺の阿修羅像」はサン
ダル履きのうえ髪は金髪です。サンダルの前緒(赤矢印)はわれわれが日常生活で履く
ものは短いですが、興福寺の阿修羅像では少し長くなりガンダーラではさらに長くな
っております。

 台座の前面の浮彫りは仏伝など多様であります。この図は交脚菩薩像の左右に3人
の供養者が礼拝しております。

 

  ガンダーラ仏の特徴を生かした「法華寺本尊・十一面観音像」は口髭を生やし右足は
台座からはみ出すくらいの遊足となっており、衣文は翻波式衣文です。仏陀は左手で
衣の一端を、法華寺像は右手で天衣を握っております。
 
十一面観音像の謂われはインドの仏師が麗しい光明皇后をモデルにして制作された
像で、像は三体造像し、二体は日本に残し残りの一体はインドに持ち帰ったと言うこ
とです。現存するのは法華寺像のみで他の二体は行方不明です。私は何故インドの仏
師が刻んだという伝説が出来たのか理解できませんでしたが、十一面観音像がガンダ
ーラ(当時はインド)の影響を多く受けているのでインドの仏師の手によるものである
という伝説ができたのでしょう。ただ、光明皇后にはサンダルは不釣り合いと考えて
裸足にしたのでしょう。

 


  弥勒菩薩立像


   弥勒菩薩立像

   弥勒菩薩立像

  「弥勒菩薩像」は仏陀像に次いで多い仏像です。
 弥勒菩薩の髪はヘヤ・バンドで髪を装飾的に纏めているものと肩まで垂れる長い垂
髪とで成り立っております。ただ、釈迦菩薩のようにターバン冠飾を付けておりませ
ん。
 左手に水瓶を握っているとのことです。これは
左手に水瓶を執るバラモン(僧)(後
述)の流れです。 
 暑熱の国インド、パキスタンでは12月から2月までは気温も温暖で最高の季節です
が雨が振らないので大変乾燥しており喉は渇きます。ですから、昔から、インド、
パキスタンでは出かける際に水筒は必需品だったのでしょう。
 我が国の場合「法隆寺百済観音像」が左手で持つ水瓶は水筒の流れをくんでおります
ので水瓶には蓋があります。しかし、我が国では飲料水が何処ででも入手出来ますの
で水筒は不要です。それゆえ、水瓶は花瓶代わりとなり蓮華を活けた華瓶を持つよう
になります。それが前述の法華寺像です。さらには、華瓶を取り除いて蓮華だけを持
つようになりますのはインドでの蓮華手菩薩の流れでしょう。

 弥勒菩薩は仏陀入滅後56億7千万年後に兜率天から下生して、仏陀の救済に漏れた
者を含め救済を求める総ての人々のために働くと言われていますが、当時のインド人
がいくら気が長いといっても気の遠くなるような56億7千万年も待つことを了解しな
かったことでしょう。これでは、人々は付いてこないと考え兜率天での修行を中断し
て現世に降りて人々の救済に当たっておられますよということで弥勒菩薩像が多く造
像されたのでしょう。 結果として上求菩提(じょうぐうぼだい)、下化衆生(げげしゅ
じょう)という考えが出来たのでしょう。

 


  バラモン僧像

 「バラモン僧像」は偏袒右肩の様相で右手は施無畏印の
ようでもあり、何か呼びかけているようでもあります。
髪は頭頂を紐で結んで髻を作っております。
 左手にはバラモン僧の持ち物である首の長い丸型フラ
スコ状の水瓶を持っております。この水瓶が弥勒菩薩の
持物となります。
 弥勒菩薩には口髭はありますがバラモン僧の顎鬚はあ
りません。  

 


   
弥勒菩薩坐像


   弥勒菩薩坐像

   弥勒菩薩坐像

  「弥勒菩薩坐像」で転法輪印を結ぶ場合は必需品である水瓶を持つことが出来ません
ので水瓶
(青矢印)は台座の前面中央に移動しております。それがさらに宝冠の中央に
移動して勢至菩薩となったのではないかとも言われております。
 それと、右図の禅定印では水瓶を左手の指の間に挟んで持っております。

 

   

  釈迦菩薩立像


   観音菩薩立像


  観音菩薩立像

 ガンダーラの「釈迦菩薩像」の様式が「観音菩薩像」に引き継がれ、我が国の「観音菩薩
像」へと繋がります。
 「釈迦菩薩像」は仏陀の菩薩時代の姿と言われますがこれは後世に創られたもので仏
陀の修行時代は質素な服装(仏伝:猟師と服の交換)だったことでしょう。菩薩像を造
像する段になって王侯貴族のスタイルが採用されたのでしょう。それが現在の華やか
な装身具を身に着ける菩薩の様相となっております。
 釈迦菩薩は左手を腰に当てておりますが観音菩薩は左手で蓮華か花綱(華鬘)を持っ
ております。右手は一般的に施無畏印です。
 頭にはターバン冠飾を被りますが冠の前飾りは多種多様です。上半身は裸、下半身
には腰布を着け腰帯は太い紐でヘラクレス結びをしております。

 


見返り菩薩? 

   観音菩薩坐像


  蓮華手菩薩坐像


  交脚菩薩坐像

 

 


     阿弥陀如来像の脚部分


 台座には「アミターバ仏・世尊」と
銘記されております。仏教史上最古
の阿弥陀如来像で貴重なものです。
 単体の阿弥陀如来像で三尊像では
ありません。
 クシャーナ時代のマトゥラーでは
阿弥陀信仰が存在した証拠です。
 台座一面に銘記されております。
 阿弥陀如来はこれから北伝仏教国
で盛んに造像されました。我が国で
も阿弥陀如来が盛んに信仰されてお
り阿弥陀如来だけは顕教、密教とも
に如来して入っております。


     銘文の一部分(台座) 

 

 

 
   観音菩薩立像


          化 仏

   「観音菩薩立像」は宝冠に「化仏(けぶつ)(青矢印)」を表した最初の仏像かも知れな
いという仏教史上貴重な文化財です。
 大きなターバン冠飾を被り豊頬な顔には浮彫りの口髭があります。耳璫は賑やかな
ものです。
 右手は施無畏印だと思われます。左手には水瓶ではなく花綱を持っておりますので
観音菩薩でしょう。
 化仏ですが光背は
ガンダーラではもっぱら頭光のみである筈なのに化仏の光背は二
重円相光背を背負っております。偏袒右肩で転法輪印を結ぶ仏が結跏趺坐しておりま
す。化仏は仏陀か阿弥陀如来かは不明です。我が国で化仏といえば阿弥陀如来に決ま
っておりその化仏をいただいた菩薩は観音菩薩と決まっております。

 

 
  観音菩薩立像

 「観音菩薩立像」は我が国で言えば平安初期に造られた新しい
ものです。
 楕円形をした頭光で頭には三面宝冠のようで素晴らしい宝冠
を頂き垂髪は肩まで垂れております。
 重そうなイヤリング、絢爛豪華は首飾りを着け蓮華座に立っ
ております。 
 ほほ笑んだ顔は崇高にして柔和な顔立ち、三曲法のスタイル
を見ても男性には見えず可愛らしい乙女そのものです。 
 右手が数少ない与願印で左手には大地から生え伸びる青蓮華
の茎を握っております。 

 小さい脇侍はどんな尊像でしょうか。 
 我が国でも大地から生える蓮華の茎を握る観音菩薩像がある
のでしょうか。長い茎の蓮華を握る観音菩薩しか知りません。
 この像は文殊菩薩像であるとの説もあります。