仏塔のお話-3

仏塔の伽藍での配置変革について

塔を3金堂が囲む  
 
我が国最初の寺院「飛鳥寺」は伽藍の中心に「仏塔」がありその仏塔を東、西、北側の
「3金堂」が囲んでおりました。現在、この伽藍形式の寺院は残っておりません。

塔と金堂が一直線

 「四天王寺」は現在、西方の出入口ですが
当初は南の正門・南大門が出入口でした。
 南大門を潜ると天空に聳える五重塔がま
ず最初に迎えてくれます。仏塔が伽藍の中
心から外れますが仏塔が金堂より前方にあ
り、まだ仏塔優位も崩れておらず左右対称
性も守られております。
 四天王寺は戦後の再建ですが建築様式は
聖徳太子が建立された時代様式で再建され
ております。五重塔の五重目の屋根勾配は
後世強くなりますが当塔は創建当初の穏や
かで軽快な屋根となっております。 
 講堂が回廊内の配置となっております。


  四天王寺(南西からの撮影・合成写真)

塔と金堂が並列


     法隆寺(東北からの撮影)

 信徒たちの仏教に対する願いは
塔崇拝より仏像崇拝でした。その
過渡期では塔と金堂が対等になり
ました。
 左右対称を厳守する中国に対し
て我が国では7世紀には「法隆寺」
で左右対称を崩して金堂と塔を並
列に並ぶ非対称伽藍となりました。
 仏像を直接拝みたいという願望
が強くなりましたがまだ僧といえ
ども堂・塔内には立ち入りことが

出来ず法要は堂・塔前の広場で行う庭儀でありました。
 現在、講堂は回廊内にありますが創建当初は回廊外でした。
 堂塔撮影は北側(裏側)からでしか出来ませんでした。

双塔形式


    東塔・西塔(当麻寺)


      西塔・東塔(薬師寺)
 仏塔は東と西の双塔となり金堂が伽藍の中心
を占めるようになりました。仏塔は金堂前方の
東西にバランスよく建っております。これらの
伽藍様式は白鳳様式ですが天平様式になります
と双塔は伽藍内どころか伽藍外の建立となりま
す。 

  

 

さざえ堂

  「飯盛山さざえ堂」はユニークな仏塔で、中国では階段を登り各階の仏像を礼拝しな
がら登っていきますが、さざえ堂も螺旋通路を登りながら仏像を礼拝するという珍し
い構造の仏堂です。
 飯盛山にある「白虎隊の墓」を目当てに訪れる方が多いですが私みたいにさざえ堂を
目的で訪れる者は居ないようでした。それというのも、さざえ堂内に立ち入られる方
は少なく堂前でガイド説明を受けるだけで素通りでした。

  
       さざえ堂

 
 飯盛山から「鶴ヶ城(青矢印)」が遠望出来ま
すが教えていただかなければ見落とすところ
でした。

 建物の外壁も独創性に富んだ螺旋状に造られております。

  
 入口、これより右繞礼拝が始まります。


     入口からの登り通路です。

 左図では三十三観音をお参りしながら登るのですが今は観音さんはどなたも不在で
した。右図は頂部(緑矢印)でこれより下りとなります。

 左図は下り通路です。右図は間もなく出口で入口とは別です。
 堂内は螺旋状の昇降通路が二重螺旋となっており登りと降りとは別々の通路で参拝
者が行き違うことがないよう工夫されております。

 

羽黒山五重塔


     三 神 合 祭 殿


     正 面

 「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)」とは月山(がっさん)、羽黒山、湯殿山(ゆど
のさん)の各祭神を一同にお祀りした神社でこの三神合祭殿にお参りすれば三神社を
お参りしたご利益があるとのことです。2000mの高山である月山をはじめ雪深い地
域であるため参拝者の苦労を憚ってのことでしょう。
 茅葺屋根の風雅な三神合祭殿は、修築中で雪国での屋根の保守管理は大変なこと
でしょう。茅葺屋根の難点は雨守対策のため厚さをこのように2mくらいにしたう
え屋根勾配を急にしなければならないことです。これ程巨大な宗教建造物で茅葺屋
根を見るのは初めての経験でした。 


      五 重 塔(羽黒山)

 

       初重部分


        神 橋
 朱塗りの神橋が樹林の緑と相俟って見事
なコントラストです。

  随神門をくぐり石段を下り祓川に架かる神橋を渡っていくと10分程度で「五重塔」
に到着です。参道から少し逸れた所で欝蒼と茂る老杉の大木に抱かれて立っておりま
す。これよりさらに約2400段の階段を登っていきますと先述の三神合祭殿に到着しま
す。私には約2400段の階段は天まで届きそうな高い階段に思え横着して三神合祭殿へ
は自動車で上がりました。
 これほど豪壮な五重塔が存在するならば多くの堂舎が存在した大伽藍だった筈です
が五重塔以外の建物はなく見渡す限り杉の老木のみが茂っておりました。それにして
もいつまで見ていても飽きない五重塔がよくぞ廃仏毀釈の悲劇を免れたものです。た
だ、この周辺には人影もないので保安上問題が無いのか心配になりました。
 素木造、柿葺という耐用年数が短い造りだけに歴史的建造物の維持管理には人知れ
ないご苦労があることでしょう。
 心柱は初重天井から立てられております。

 

安楽寺三重塔

 
    八角三重塔(安楽寺)

 「安楽寺」は長野県別所温泉街にありますが静か
な落ち着いた寺院でした。
 「八角三重塔」は本堂より杉の大木の間を上がる
と後方の山腹に建立されており、このように仏塔
は伽藍の後方の山腹に建立されることが多くなっ
ていきます。
 「八角の塔」でも「八角の建物で裳階付」でも
「国宝禅宗様仏塔」でも唯一の遺構です。裳階付き
なので四重八角塔のような外観です。
 和様の仏塔の場合総ての屋根が平行垂木ですが、
当塔は禅宗様の定法通り扇垂木でしかも裳階まで
もが扇垂木とは驚きです。八角の建物を六枝掛、
扇垂木で仕上げることが出来たのは格外の力量を
もった番匠(大工)が居たからでしょう。
 窓は花頭窓ではなく和様の連子窓でありますが
二重、三重に縁、高欄がない禅宗様式で貴重な仏
塔と言えます。
 古代の仏塔は四方に入口がありますが当塔は裳
階の正面のみに「桟唐戸」の入口があります。

 自然豊かな清浄のなかで訪れる人々に優美な佇まいを見せております。屋根は淡い
曲線でまるで8枚の羽根が羽ばたいているようで天高く舞い上がって行きそうに見え
ました。 

 

大法寺三重塔

 「大法寺」はその昔、門前を街道・
東山道が走っており、通り過ぎる旅
人が素晴らしい「三重塔」に魅入られ
て、何度も何度も振り返って別れを
惜しんだので「見返りの塔」という俗
称があります。 
 目と鼻の先に先述の「安楽寺」があ
り、どうして緑の濃い山里にこのよ
うな優れた三重塔が2塔も保存出来
たのでしょうか。   
  三重塔は本堂の左後方の山腹に必
要な底面積だけを切り開いて建立さ
れ木々の間に挟まれた自然に抱かれ
ております。


      三 重 塔(大法寺)

 当塔の裏側の高台が撮影場所で、そこは眼下に広がる「塩田平」を見渡せる絶好の
位置です。 
  仏塔の正規の組み方は三手先ですが当塔は初重だけを二手先にして初重の平面を
広げたため安定感のある良い姿をなっております。
  当塔は我が大阪の四天王寺の番匠(大工)によって建立されたとの言い伝えがあり、
親近感を抱かせる塔でした。

 

     

西明寺三重塔

  
       三 重 塔(西明寺)

 「西明寺(さいみょうじ)」は湖東三山の一つ
で、山間に位置するだけに透き通るように澄
んだ大自然の中にありました。
 国宝指定の「本堂」「三重塔」は釘を使用して
いないと説明されておりましたがそれは長期
保存を考えた古の工人達の知恵でしょう。
  三重塔は本堂の西側で、通例である本堂よ
り高い位置に建立という考えを重んじたのか
高い石壇上に立っておりました。
 三重塔は洗練された様式美で日本美人のよ
うな佇まいです。前庭が広く、明るい雰囲気
の全体像が眺められ、屋根が大きく反るうえ
初重の軸部が高いのでまさに浮かび上がるよ
うな感じがする印象的な塔でした。
 水煙が欠失したままでした。
 紅葉の名所としても著名で紅葉のシーズン
は最高の眺めとなっていることでしょう。

 

常楽寺三重塔

  「常楽寺」は拝観料を各自で指定の箱に
納めて入ります。訪れた時は私の貸し切
りの境内で静かな空間が広がっておりま
した。
 「三重塔」だけでなく「本堂」も国宝指定
です。
 本堂は堂々たる建物でその本堂をすり
ぬけて階段を上がると西南の背後の高台
に三重塔は立っております。塔の前庭は
狭く一望することは出来ませんが階段下
から眺める塔はしっとりと落ち着いた気
品漂う魅力溢れるものです。三重塔では
珍しく桧皮葺ではなく本瓦葺の屋根です。
 縁は地表から低い位置にあるのに擬宝
珠付きの高欄が巡っているのは塔を荘厳
するためでしょう。
 水煙はシンプルな美しさでした。

 
   三 重 塔(常楽寺・東側) 

 

明通寺三重塔

  
     三 重 塔(明通寺)   

 「明通寺(みょうつうじ)」は山号を「棡
山(ゆずりさん)」で「棡」とは「譲葉(ゆず
りは)」のことです。
 日本海側では国宝指定の建築は珍しい
のに明通寺には「本堂」「三重塔」の2棟も
ある名刹寺院です。
 三重塔は本堂の右手前に位置します。
石段を上がると僅かに切り開かれた空地
に建築されていた地味な佇まいでした。
1270年に再建されたもので回り縁が付き、
屋根は桧皮葺です。
 初重には大仏様の猪目(ハート型)の付
いた「拳鼻(こぶしばな)」があり現存最古
の遺構として著名です。拳鼻とは手の拳
を横から見た時に似てることからの命名
で木鼻の一種です。
 心柱は二重目で止め初重内部には柱が
一本もありません。初重には仏像をお祀
りするいわゆる仏像舎利であります。

 余談ですが明通寺はNHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台「小浜」にあります。
 

 

石山寺多宝塔

 「石山寺」境内には奇妙な岩石が目に
付きます。その岩石は天然記念物に指
定されている硅灰石(けいかいせき)で、
この石が寺名の起こりとのことです。
建物はこの硅灰石の上に建てられてお
ります。
 「本堂」に設けられた、紫式部が『源
氏物語』を執筆した「紫式部源氏の間」
の前を通り過ぎ階段を上ると「多宝塔」
に到着です。
 「多宝塔」は我が国で考案されたもの
で数多く造立されました中でも現存最
古という遺構です。
 我が国の三大多宝塔と評判だけに優
美な姿には思わずため息が漏れます。
また三方から眺めることが出来、感動
を覚えること間違いなしです。


      多 宝 塔(石山寺)

 
    硅灰石

 裳階部分が大きいだけにどっしりとして安定感に富んで
います。
 『硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、
その熱作用のために変質したものです。この作用によって
通常は大理石となりますが、この石山寺のように雄大な硅
灰石となっているのは珍しいものです・・・・。』と説明
されておりました。「花崗岩と接触し・・・」とあるように
寺内には硅灰石と花崗岩がありました。
 多宝塔から少し行くと見晴らしのよい「月見亭」に出ます。
石山の名月を観賞するため月見亭と名付けられているとの
ことでした。 

 

教王護国寺五重塔


     五 重 塔(東寺)

 「五重塔」は高さ約55mと我が国最大の塔高で
京都の空に高くそびえており京都のシンボル的
存在といえます。南北一直線でならぶ堂宇です
が五重塔は金堂に向って右手前にあります。
塔と金堂との関係で言えば後述の醍醐寺も同じ
伽藍配置です。
 最大の仏塔だけに写真撮影は難しかったです。
境内には多くの樹木が植えられていますのと築
地塀が塔に接近した東・南側にあるなどどうも
近くで眺めるものではなく遠くから眺めるもの
だと思いました。昔の旅人にとってこの仏塔は
京の都のランドマークだったことでしょう。江
戸時代の再建でありますが板唐戸、両脇間は連
子窓、間斗束など古代の様式を踏襲しておりま
す。全体的に伝統的な技法を継承しており木組
は太く圧倒される迫力あるものでした。
 境内の東南隅に建てられておりますが堂々と
しており壮観な眺めでした。

 

醍醐寺五重塔

 「醍醐寺」は上醍醐、下醍醐とあり山頂に
ある下醍醐まで登るのはきついですが西国
三十三箇所第11番札所で多くの方がお参り
されています。国宝指定の「五重塔」と
「金堂」は上醍醐にあります。
 五重塔は京都で現存する最古の建造物で
す。相輪と塔身とで見事なバランスが取れ
ており均整のとれた美しさで有名です。
 塔の前庭が広く威風堂々とした塔全体が
詳細に眺められるという素晴らしい風景で
京都では珍しい伽藍配置です。
 屋根を支える垂木が中国の技法で「丸地
垂木と角飛檐垂木」の組合せが地垂木、飛
檐垂木ともに「角垂木」に代わる最初の建
造物として著名です。
 垂木が我が国独特の角と角の組合せとな
りこれ以降この方式が主流となります。
 豊臣秀吉で有名な「醍醐の花見」のシーズ
ンは境内が人で埋まる賑わいとなります。


    五 重 塔(醍醐寺) 

 

海住山寺五重塔

 
     五重塔(海住山寺)

 
      初重(裳階部分)

 「海住山寺(かいじゅうせんじ)」は京都府に
位置いたしますが奈良市に近い距離にありま
す。山を上って行く必要があり山岳寺院その
ものでした。
 時代は「三重塔」が多くなるだけに「五重塔」
は貴重な存在で、鎌倉時代唯一の五重塔です。
しかし、三重塔を意識したのか三重塔の高さ
位しかない小振りですが均整のとれた美しさ
を湛えた塔です。
 五重塔で「裳階」付きは「法隆寺塔」との2塔

のみで、当塔の裳階は吹き放しですが法隆寺の裳階には壁が設けてあります。吹き放
しの裳階は珍しいです。ただ、裳階の屋根ということなのか塔屋の瓦葺ではなく銅板
葺でした。 
 仏塔は古風を守り「三手先」ですが当塔は小ぶりな形ゆえか「二手先」でした。
 心柱が初重の天井に立つ最初の五重塔です。 

 

浄瑠璃寺三重塔

 

          
              三 重 塔(浄瑠璃寺)

 「浄瑠璃寺」は北が正面で、小山に囲まれた決して広いとはいえない境内の、中心に
位置する宝池(苑池、阿字池)の周辺に国宝指定の本堂、三重塔がひっそりと建ってお
ります。しかし、このすっきりとした伽藍配置が浄瑠璃寺の最大の魅力とも言えるで
しょう。

 
「三重塔」は高さ16.0mという小振りな塔で浄土式庭園西側の高台に建っております。
三重塔の遺構の中で、初重と三重目の間口の逓減率は一番小さく、初重の間口
100とすると、
三重目の間口は82です。
しかし、木立に囲まれているのでずんぐ
りと
は見えずしかも、桧皮葺きの大きい屋根なので安定感に富んだ建物となっており
ます。  
 
華やかさをみせている朱塗りの塔は、木立に見え隠れしながら背景に溶け込んで素
晴らしい眺めです

 相輪の高さは、塔高の約三分の一の時代に、三割七分もあり少し長いような気が
いたします。  
 塔には必ずある四天柱がないのと心柱が初重の天井上に設けられている構造は、当
時としては革新的構法であります。初重内には構造材はなくすっきりとした塔内(厨
子)となっており時代の先端をいく建物となっております。ただ、四天柱は三重塔だ
から省略出来たのであって五重塔では構造力学的に不可能です。このような構造にな
ったのは本尊の薬師如来像を祀るために金堂の内部
のような壁、柱のない空間を確保
したからです。
 
 
部材の斗、肘木はすべて同寸法で造られております。