仏像の四方山話 |
我が国の場合 尊像が、「秘仏」だったり、扉の閉まった厨子内に納められたり、 |
インドと我が国で信仰の違いによるものでないかと思 |
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「釈迦」の姿は「三十二相、八十種好」に則っていなければならないと言うことでし |
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「多聞天・毘沙門天」は右手に宝塔、左手に戟を持っていたのが、平安時代からは インドの「クベーラ」はヒンズー教の財宝神で、仏教に取り入れられて四天王の多 |
ガンダーラの初期の如来像は人間の肖像彫刻そのもので、ギリシャ人のような感 三十二相、八十種好を決めるにあたっても人間の両親から誕生した釈迦を、超人 |
いろんな仏の徳を信者に理解させるには、眼で見える物で表すのが最良の方法だ |
釈迦の宗教活動での時々のジェスチャーが「定印」、「説法印」、「降魔印」などに後 |
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印相と言えばまず最初は「降魔 |
息子が魔王を戦から手を引かそうとしており台座前には戦い敗れて恐れ入りまし |
「定印(じょういん)」とは深い瞑想している姿で、下図のように左手を下に右手を |
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「施無畏(せむい)・与願印」ですがインド、パキスタンでも当初の釈迦如来像は形 |
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インド、パキスタンの「如来像」は施無畏・与願印らしき印相でした。左手が衣の |
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「説法印」ですがインドのサルナート(鹿野 |
説法印(転法輪印)はいろんな形がありややこしいです。下の写真のように胸前で |
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説法印の「法隆寺尊像」ですが制作方法に違いがあり、塼仏(せんぶつ)」、「押出仏 |
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阿弥陀如来には「九品(くぼん)」の印相があり、その中の「来迎印」は施無畏・与願 |
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仏像の「持物(じもつ)」については多臂(手)の仏像が多くなりましたので、印相を |
薬師如来は薬壺、観音菩薩は蓮華と水瓶、地蔵菩薩は宝珠と錫杖、文殊菩薩は理
世界には同じ宗教であるのに宗派が違うだけで殺戮を行うこともありますが仏教 |
「唐招提寺の金堂」に安置された「千手観音立像」の持物について記述いたします。 |
20.錫杖 |
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1.三叉戟(戟鞘) |
千手観音は大脇手が42手、小脇手が958手の筈ですが平安時代以降は大脇手42手 |
中央の「合掌印」ですがインドでは合掌して「ナマステ」という挨拶がありますが我 |
中央の「宝鉢印(ほうはついん)」ですが「宝鉢」は禅宗の托鉢行脚をされる雲水が持 |
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「四天王奉鉢」とは四天王が釈迦に鉢 |
鉢に纏められたのが釈迦の左手にある鉢です。僧侶の持ち物である「三衣一鉢(さん 四天王奉鉢は重要な出来事ですが、鉢は現在、乞食(こつじき)行脚を行う禅宗の |
千手観音に向かって右上の持物から説明いたします。 |
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我が国では槍でなく三叉戟を持つ武将像が多いですがパキスタンには槍を持つ女 |
2.化仏(けぶつ)・・仏が姿を変え衆生を救済します。 |
6.独鈷杵(どっこしょ)・・金剛杵とも言います。しかし、金剛杵は杵全部を差す |
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7.宝篋(ほうきょう)・・梵篋(ぼんきょう)とも言います。経典を納めた聖なる箱で これより千手観音に向かって左側の持物を上から説明します。 |
25.金輪(きんりん)・・持物の多い中で |
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が千本ある「千輻輪」が最高、最強の法輪でありますが現実には制作上不可能で彫刻、 |
26.宝経・・経篋とも言います。経典のことですが経典を箱に納めずに手で直に握 |
しかし、これら持物も時代とともにアクセサリー的な要素も加わってきております。 |
「蓮華」ですが観音菩薩の左の与願印には蓮華を持つ観音像が多く、「妙法蓮華経」 |
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台座 |
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仏像を安置する「台座」は重要視されました。その証拠に台座がないことが「台な |
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仏陀が成道されたということは仏陀の生涯の中でも一番重要な出来事であります。 |
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仏像が造り始められた頃の「台座」はただの台でしたが「仏三尊像」のような優れた |
「仏三尊像」はマトゥラー仏の中でも傑作中の傑作と言われるもので仏師が創意工 |
獅子の表現ですが中国では当初、獅子の姿だったらしいのですが時代を経ると虎 |
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我が国の台座は飛鳥時代から「方形座(宣字座)」、「裳懸座」、「蓮華座」と続きます |
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「蓮華座」についてですが |
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「蓮」はインド原産の花でインドの国花です。花の中央部分の花びらなどを付ける |
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蓮華座の連弁が何重にも並ぶ葺き方ですが、天平時代までは「魚鱗葺(ぎょりんぶ |
「雲座」は阿弥陀如来が脇侍、二十五菩薩を引き連れて高速度の雲に乗り亡くなっ 「岩や鳥獣」などを表した台座と言えば、不動明王専用の台座「瑟瑟座」、天部像な |
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「光背」ですが古い形式は円相、無文の頭光ですが、大きく発展して参ります。ガン |
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「光背」とは仏像の背後から発する光が後光でこの後光を象徴的な形にしたのが光 |
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法隆寺像の宝珠光は見事な作品です。飛鳥時代は前述の法隆寺金堂の釈迦三尊像 |
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「千仏光背」とは小さな仏像を千体貼り付けた光背です。 |
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我が国では見られない珍しい光背です。禅 |
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服装 |
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インド、パキスタンでの如来の着衣法には、両肩を覆う「通肩(つうけん)」と右肩 |
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上記の図で分かるように如来は通肩も偏袒右肩もあります。しかし、我が国では |
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菩薩の服装ですが菩薩は釈迦の弟子でありその姿は釈迦の修業中の服装であるべ |
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弥勒菩薩 |
「弥勒菩薩」についてですがインド、パキスタンの弥勒菩薩は水瓶を握っておりま |
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「過去仏」は |
現在、未来の仏だけでなく過去の仏までが表現されるようになりました。 |
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「仏三尊像」の本尊は偏袒右肩、説法印、蓮華座に結跏趺坐しております。 |
弥勒菩薩は中国では両脚を交差させる交脚像となり韓国では半跏思惟の弥勒菩薩 |
弥勒菩薩は間違いなく釈迦のリリーフとなることが決まっていることから「弥勒如 |
弥勒菩薩は仏陀入滅後56億7千万年後に兜率天から下生して、仏陀の救済に漏れた |
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先述の中宮寺像が寺伝では「如意輪観音」 |
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「飛鳥時代」は渡来人の技術者が仏像の制作に指導的な役割を果たしたと言うこと |
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「天平時代」までは仏教の制作については経典を参考にする程度で、仏師の考えに |
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「平安時代」ともなると多くの仏像が密教とともに請来しました。密教寺院に安置 ただ、見応えのあるユニークな像として著名な「新薬師寺、神護寺などの薬師如 |
密教では儀軌は厳しく守ることとなっております。とはいえ密教に改宗する際既 |
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※ 計87というのは「岩本寺」の本尊は阿弥陀如来・薬師如来・観音菩薩・地蔵菩薩 |
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「鎌倉時代」に盛んになる浄土宗、浄土真宗などの浄土教は阿弥陀如来一本ですか |
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