日本神話

 

 

日本神話 :

       神代神話: 天地開闢・国産みと神産み・アマテラスとスサノオの誓約/天岩戸・

                     出雲神話・葦原中津国平定(国譲り)・天孫降臨・山幸彦と海幸彦

 

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日本神話

神代神話

天地開闢・国産みと神産み・アマテラスとスサノオの誓約/天岩戸・

出雲神話・葦原中津国平定(国譲り)・天孫降臨・山幸彦と海幸彦

 

 

日本に伝わる神話です。 参考ギリシア神話

 

ほとんどが、古事記日本書紀及び、各風土記の記述によります。神社の起源

 

そのため、高天原の神々が中心となっています。

 

本来、日本各地には、出雲を始めとして、何らかの信仰や伝承があったと考えられており、

ヤマト王権の支配が広がるにつれて、国津神(くにつかみ)または奉ろわぬ神、と形を変えられて、

高天原神話に統合されたようです。

 

日本に仏教が定着すると、

日本の神々も、仏の救済を求め、解脱を欲すると認識されるようになりました。

 

奈良時代初頭から、神社において神宮寺が建立され始め、

715年(霊亀元年)には、越前国気比大神が、

また、満願禅師らによる鹿島神宮が、

他、賀茂神社伊勢神宮等で、神宮寺が併設されました。 

 

また、宇佐八幡神のように、神体が菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れました。

 

奈良時代後半には、

伊勢桑名郡の多度大神等、神宮寺建立は地方にまで広がり、

若狭国若狭彦大神近江国奥津島大神等、他国の神も、

8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依する意思を示しました。

 

こうして、神社の傍らに神宮寺が建てられました。

 

平安時代になり、

日本の神は、護法善神とする神仏習合思想が生まれ、

寺院の中で、仏の仮の姿である神(権現)を祀る神社が営まれるようになりました。

 

また、太平記等の軍記物、歌学書、寺社縁起等で、中世神話(中世日本紀)が発達しました。

中世神話では、本地垂迹説により、記紀の神々が、仏教の尊格と同一視されたり、対等に扱われたりしています。

 

記紀にはない神格やアイテムが登場し、

地方神話、民間伝承や芸能の要素の混入もみられるようになりました。

 

近世になると、

本居宣長が、古事記伝を著しました。

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神代神話

神代(神の時代、神話時代)の神話です。

 

天地開闢(てんちかいびゃく)

世界の最初に、高天原で、別天津神・神世七代という神々が誕生しました。

 

これらの神々の最後に生まれてきたのが、イザナギイザナミです。

 

国産みと神産み

イザナギ・イザナミの両神は、自らがつくったオノゴロ島に降り、結婚しました。

最初に淡路島が作られました。  菜の花畑

名の由来は あ恥、という意です。

 

次に、大八洲と呼ばれる日本列島を形成する島々を次々と生み出していきました。

 

更に、様々な神々を生み出していきました。

 

アマテラスとスサノオの誓約・天岩戸

スサノオは、根の国へ行く途中、高天原へと向かいます。

アマテラスは、スサノオが高天原を奪いに来たのかと勘違いし、弓矢を携えて迎えました。

 

スサノオは、アマテラスの疑いを解くために、誓約で身の潔白を証明しました。

 

しかし、スサノオが高天原で乱暴を働いたため、アマテラスは天岩戸に隠れました。

 

そこで、神々はアマテラスを天岩戸から出しました。

 

その後、スサノオは、下界に追放されました。

 

出雲神話

スサノオは、出雲の国に降り、ヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメと結婚しました。

 

スサノオの子孫である大国主は、スサノヲの娘、スセリビメと結婚し、

スクナヒコナと葦原中国の国づくりを始めました。

 

葦原中津国平定(国譲り)

高天原の神々は、葦原中国を統治するのは、アマテラスの子孫とし、何人かの神を出雲に使わしました。

 

最終的に、大国主が自らの宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束します。

 

天孫降臨

アマテラスの孫である瓊々杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が、葦原中国平定を受けて、日向に降臨しました。

 

ニニギは、木花開耶姫(木花之佐久夜毘売・このはなさくやひめ)と結婚し、

木花開耶姫は、(主に)火中で御子を出産しました。

 

山幸彦と海幸彦

ニニギの子である、海幸彦・山幸彦は、

山幸彦が海幸彦の釣り針をなくしたため、海神の宮殿に赴き、釣り針を返してもらい、兄に釣り針を返し従えました。

 

山幸彦は、豊玉姫と結婚し、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(鵜草葺不合命。ウガヤフキアエズ)という子をなしました。

 

尚、山幸彦は、神武天皇の祖父とされます。 →釣り針の起源

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イザナギ(イザナキ。伊邪那岐命、伊弉諾神)

日本神話に登場する男神です。

 

イザナミの兄であり、夫です。

 

天照大神スサノオ等、多くの神の父神です。

 

天地開闢において、神世七代の最後に、イザナミとともに生まれました。

 

国産み・神産みにおいて、イザナミとの間に、日本国土を形づくる多数の子をもうけました。

 

その中には、

淡路島・本州・四国・九州等の島々

石・木・海(オオワタツミ・大綿津見神)・水・風・山(オオヤマツミ・大山津見神)・野・火等、森羅万象のが含まれます。

 

イザナミが亡くなると、

イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国(よみのくに)まで逢いに行きますが、

そこで、決して覗いてはいけない、というイザナミとの約束を破ってしまい、イザナギは逃げ出してしまいます。

追いかけるイザナミ、八雷神、黄泉醜女(よもつしこめ)らに、

髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実(意富加牟豆美命、おほかむづみ)を投げて、難を振り切ります。

 

黄泉国と地上との境である、黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を大岩で塞ぎ、イザナミと離縁しました。

 

尚、子孫の山幸彦は、海神(大綿津見神)の娘、豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚します。

豊玉姫が出産時、浜辺に産屋を作ろうとしましたが、

茅草がわりの鵜の羽を葺き終えないうちに産気づきました。 →神話に登場する鳥

産屋に入り、「絶対に産屋の中を見ないように」といわれますが、

山幸彦は、産屋の中を覗いてしまいます。

豊玉姫は、覗かれたことを恥じて、生まれた子を置いて海に帰ってしまいました。

 

その後、イザナギが黄泉国の穢れを落とすために、

日向の阿波岐原(檍原。江田神社のある宮崎市阿波岐原町に比定されています。)で禊を行うと、様々な神が生まれました。

最後に、アマテラスツクヨミ(月夜見尊月読命)・スサノオの、三貴子(みはしらのうずのみこ、さんきし)が生まれました。

 

イザナギは、三貴子に、それぞれ高天原・夜・海原の統治を委任しました。

 

しかし、スサノオが、妣国根之堅州国へ行きたいと言って泣き止まないため、スサノオを追放しました。

 

古事記によれば、淡海(近江)の多賀(滋賀県犬上郡多賀町)、または淡道(淡路島、淡路市)の多賀に、

日本書紀によれば、淡道(淡路島、淡路市)の多賀に篭ったとされます。

 

尚、日本書紀によると、現在の日本のことを、浦安と名付けたそうです。

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イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥) 天照大神

日本神話の女神です。

 

イザナギの妹であり、妻です。

 

天地開闢において、神世七代の最後に、イザナギとともに生まれました。

 

オノゴロ島に降り立ち、

国産み・神産みにおいて、イザナギとの間に、日本国土を形づくる多数の子をもうけました。

 

火の神、軻遇突智(迦具土神・かぐつち)を産んだために、火傷を負って、亡くなりました。

 

亡骸は、古事記によれば、出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山(島根県安来市伯太町)に、

日本書紀の一書によれば、紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)に葬られた、とされます。

 

イザナミは、黄泉国の主宰神となり、黄泉津大神道敷大神と呼ばれるようになりました。

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天照大神(あまてらすおおみかみ)

日本神話に登場する神です。

 

記紀によれば、太陽を神格化した神です。

 

土地の祭神とされる場所は、伊勢神宮が有名です。 お伊勢参り

 

古事記によると、

イザナギイザナミの居る黄泉の国から生還し、

黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗った時に化生したとされます。

 

この時、右目から生まれた月読命

鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子と呼ばれます。

 

天照大神は、イザナギに、高天原を治めるように指示されました。

 

スサノオは、根の国へ行く前に、天照大神に会おうと高天原に上りましたが、

天照大神は、弟が高天原を奪いに来たと思い、武装して待ち受けました。

 

スサノオの潔白を証明するために、誓約をし、

天照大神の物実(ものざね)から五柱の男神、

スサノオの物実から三柱の女神が生まれました(アマテラスとスサノオの誓約)。

 

スサノオは、高天原で乱暴を働いたため、天照大神は天岩戸に隠れてしまいました。

そのため、世の中は闇になり、様々な禍が発生しました。

 

思兼神と天児屋根命等八百万の神々は、天照大神を岩戸から出す事に成功し、

スサノオは、高天原から追放されました。

 

その後、葦原中国に、天つ神を派遣し、平定しました。

子のアメノオシホミミが降臨することになりましたが、

その間に、瓊々杵尊・邇邇芸命が生まれたので、

孫に当たるニニギを降臨させました(葦原中国平定天孫降臨)。

 

中世の神仏混淆で、本地垂迹説が広まると、

天照大神には、はじめ、観音菩薩(十一面観音菩薩)が当てられましたが、

やがて、大日如来と同一視されるようになりました。

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スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト。素戔男尊、建速須佐之男命等)

日本神話に登場する神です。

 

古事記によれば、

神産みにおいて、イザナギが黄泉の国から帰還し、

阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとされます。

 

スサノオは、夜の食国(よるのおすくに)または海原を治めるように言われました。

スサノオは、それを断り、母神イザナミのいる妣国根之堅州国(旧出雲国、現;島根県安来地方)に行きたいと願い、

イザナギの怒りを買って追放されてしまいます。

 

そこで、母の故地、出雲と伯耆の堺近辺にある根の国へ向う前に、

姉の天照大神に別れの挨拶をしようと高天原へ上りますが、

天照大神は弟が攻め入って来たと思い、武装して応対し、

二柱は疑いを究明するために、誓約(うけひ)を行います。

 

スサノオは、高天原に滞在することになりましたが、

粗暴を行い、天照大神は天の岩屋に隠れてしまいました。

 

そのため、スサノオは、高天原を追放されました(神逐)。

 

出雲の鳥髪山(現在の船通山)へ降ったスサノオは、

その地を荒らしていた、八岐大蛇(八俣遠呂智。ヤマタノオロチ)への生贄にされそうになっていた、

櫛名田比売(奇稲田姫・くしなだひめ)と出会いました。

 

スサノオは、クシナダヒメの姿形を、歯の多い櫛に変えて髪に挿し、ヤマタノオロチを退治しました。

 

ヤマタノオロチの尾から出てきた、草那芸之大刀(くさなぎのたち、紀・草薙剣)を天照大神に献上し、

それが、三種の神器の一つとなりました(現在は、愛知県の熱田神宮の御神体です)。

 

尚、八岐大蛇退治の英雄譚は、

優秀な産鉄民を平定した象徴とみる説があり、

草薙剣の取得は、その象徴との解釈もあります。

これらの地域は、古代より、たたら製鉄が盛んです。

 

その後、クシナダヒメを妻として、

出雲の根之堅洲国にある、須賀(すが)の地(島根県安来市)へ行き、そこに留まりました。

 

そこで、

八雲立つ  出雲八重垣   妻籠に   八重垣作る   その八重垣を

やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを

と詠みました。

これは、日本初の和歌とされます。

 

ここから、八雲は、出雲を象徴する言葉ともなりました。

 

その地で、大国主等をもうけました。

 

大国主の神話において、

根の国のスサノオの元にやってきた葦原色許男神(アシハラシコヲ、後の大国主命)は、

スサノオの娘である須世理比売(スセリヒメ)と互いに一目惚れしますが、

スサノオは、アシハラシコヲに様々な試練を与えます。

 

アシハラシコヲは、スセリヒメの助けを得ながらそれらを克服したので、

スサノオは、スセリヒメを妻とすることを認め、大国主という名を贈りました。

 

スサノオは、後に、仏教における祇園精舎の守護神である、牛頭天王と習合しました。

これは、どちらも荒神であるとする説がありますが、諸説あります。

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大国主(おおくにぬし)

日本神話の神です。

 

国津神の代表的な神ですが、

天孫降臨で、天津神に国土を献上したことから、国譲りの神とも呼ばれます。

 

出雲大社の祭神です。

 

日本書紀によると、スサノオの息子、

古事記等によると、スサノオの六世の孫、

また、日本書紀の別の一書には、七世の孫、等とされています。

 

スサノオの後に、スクナビコナと協力して天下を経営し、

禁厭(まじない)、医薬等の道を教え、葦原中国の国作りを完成させました。

 

しかし、高天原からの使者に国譲りを要請され、幽冥界の主、幽事の主催者となりました。

 

国譲りの際に、大きな宮殿(出雲大社)を建てて欲しいと条件を出したことに、

天津神が約束したことにより、杵築大神ともいいます。

 

大国主を扱った話として、

因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメへの妻問いの話が、古事記に、

国作り、国譲り等の神話が、古事記・日本書紀に記載されています。

 

大国主は、色々な女神との間に、多くの子供をもうけています。

 

別名の多さや、妻子の多さは、

大国主命が古代において広い地域で信仰されていた事を示し、

信仰の広がりと共に、各地域で信仰されていた土着の神と統合されたり、

妻や子供に位置づけられたりしたという説があります。

 

子供の数は、

古事記には、180柱、

日本書紀には、181柱、と書かれています。

 

記においては、6柱の妻神がいます。

スセリビメ : スサノオの娘。 最初の妻で正妻とされます。

ヤガミヒメ : 根の国からの帰還後では最初の妻とされます。間に、キノマタノカミが生まれました。

ヌナカワヒメ(ヌナガワヒメ) : 高志国における妻問いの相手です。

 間に、ミホススミ(出雲国風土記)またはタケミナカタ(先代旧事本紀)が生まれました。

タキリビメ : 間に、アヂスキタカヒコネシタテルヒメの二神が生まれました。

カムヤタテヒメ : 間に、コトシロヌシが生まれました。

トリトリ : ヤシマムジの娘。間に、トリナルミが生まれました。

 

大国主は、国造りの神、農業神、商業神、医療神、等として信仰されています。

 

縁結びの神、としても知られます。

 

出雲大社は、

「大国主神が幽世の神事の主催神となられ、人間関係の縁のみならず、この世のいっさいの縁を統率なさっている」として、

男女の縁のみならず、広く人と人との根本的な縁を結ぶ神であるとしています。

 

この他にも、中世には、武士や刀鍛冶等から、武神、軍神としても広く信仰されました。

 

江戸期には全国的な民間信仰の広まりにより、

大国は、ダイコクとも読めることから、同じ音である大黒天(大黒様)と習合していきました。

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