三曲の歴史について
三曲とは、何でしょうか。
”曲”は色々な意味を持っていますが、”直”に対する”曲”で、真っ直ぐでない、曲がった物、即ち、普通ではない、特殊で特別なものと言うような意味に使われているようです。
だから、普通の人にとっては、特殊な技術、あるいは芸術である琴や三味線、尺八(昔は胡弓が使われていた)による合奏を総称して、三曲と言っているようです。
三曲界では通常、琴を箏、三味線を三絃と書きます。
琴は弦楽器の総称で、箏は13弦の固有の琴を表しています。
「俗曲評釈」(佐々醒雪:博文館)の記述によれば、八橋検校が作った組歌(箏曲)は全13曲で、当初は組分けされてはいませんでしたが後、新しい組歌が加えられ、教授上の理由により段分とされたようです。時代によって含まれる曲の組み合わせが違っています。おおむねは八橋検校の作ったものを表組・裏組にわけ、さらに中許(組)・奥許(組)等に分けられましたが、この区分には三曲という区分も作られました。ここには秘曲とされる3曲がは入っていました。この曲は実際にはあまり謡(演奏)われなかったようです。この”三曲”と言う区分の名を語源とする説も有ります、ほかにも、八橋検校の組歌を表組7曲、裏組6曲に区分し、裏組を三曲ずつ区切りをしたので、これを三曲の語源にしたとする説もあります。元々、三という数字はよく使われる数字で、尺八音楽でも古伝曲と言うものがあります。特に明暗寺系には古伝三曲とよぶ、霧海じ(竹冠に虎と言う字です)、真虚霊、虚空と言う三曲が有ります。しかし、曲の数を指し示す意味と、音楽のジャンルを指す意味とでは随分かけ離れているようです。
現在は単に箏(琴)と三絃(三味線)、それに尺八の三つの楽器を通称「三曲」合奏と言うが、場合によっては、ほかに十七絃箏が加わった場合や、逆にいずれかの楽器が欠けている場合、洋楽器が加わっている場合にも”三曲”と言い、日本の伝統楽器によるアンサンブル形を広く三曲と称しているようです。
元々は尺八ではなく胡弓と箏、三絃の合奏を言いい、明治後期になって尺八が合奏に加わったと言う説もあります。
邦楽鑑賞入門(吉川英史:創元社)の義太夫と長唄の「三曲」という項目を読むと次のように述べられています。義太夫では「阿古屋の三曲」、長唄では「三曲糸の調べ」と言われるが、その「三曲」とは、もちろん曲を三つ合わせることではなく、琴、三味線胡弓の三つの楽器を奏する(別々に)ことを言う。
しかし明治以降は胡弓の代わりに尺八が加わって三つの楽器で合奏すること、つまり、琴と三味線と尺八の「三重奏」の意味に変わってきた
と記述されています。この本の中では他の部分でも幾度かこのような記述を繰り返されています。
しかし、古文書などには、一節切尺八と箏・三絃の合奏風景も見られますのでまだまだ、調べる余地があるようです。
撫箏雅譜集表紙(寛政12年=1801)
上巻の見開き
上巻の末葉、下巻の内容が記されているが残念ながら手元に有らず