学生時代に始めたのは旅先で絵はがきを送ることだった。知り合いにも送ったし、旅先で住所交換した人にも送った。そういう人たちのなかには、旅先から絵はがきやエアメール便を送ってくださる方もいた。
会わずに絵はがきで交流するはがき友だち。短期で途絶えることも、長期にわたって続くこともあり、長く続けられる人は小生と同じ筆まめ。
年賀状のほかに暑中見舞い、寒中見舞いなども書く。几帳面な人は夏でも冬でも返事を送ってきた。
数年間うんともすうとも反応がない者もいて、筆無精はそういうものかと思っていたが、筆無精ではなく怠慢。返事しなくても気づかない鈍感。いずれにしても彼らとの交流は途絶えた。
20代前半、別々の海外旅行で知り合った人のなかに絵手紙を送ってくださった方が2名いた。ひとりは鎌倉、もうひとりは川崎の方。ステキな絵手紙だった。
絵手紙のお礼を手紙に書いて送ると、川崎の方から文章に感動したと電話があり、絵の得意な人が六日町にいるので紹介しますとおっしゃった。
六日町の方にお便りを出したら絵手紙が届き、生活できるのではないかと思えるほど巧みな絵だった。
楽しみにしていると相手にも伝わるのか、「煮ても焼いても紫紺のナスビ」と書かれた絵手紙。濃口の醤油でナスビを煮ると変色するが、うすくち醤油を使えば紫紺はある程度保たれ、見ためもいい。
ナスビ大好きの小生は、下落合の賃貸マンションに住んでいたころ、フライパンでナスビを炒めて食べたことがある。醤油と味醂、砂糖で味付けした。
六日町(上越地方)の人でもうすくち醤油を使うのだ。ナスビの煮つけ試食したいですねと書き送ると、「見ためはおいしくても、味見したらがっかりしますよ」と返事に記されていた。謙遜とユーモア。
その方とは一度も会わず、年賀状や暑中見舞い、不定期の便りが続き、海外からもきれいな絵はがきが届いた。
川崎の方とは10年以上交流が続いて、そのあいだに調布に引っ越され、小生は西武新宿線の下落合から宝�怐Aまた宝�怩ヨと引っ越した。小生より7〜8歳年長で、ひとり暮らしが長く、出版社の編集部に勤め、アルバム交換会や同窓会で会ったとき、出版社の臨時社員だった元同僚が芥川賞を受賞、作家デビューしたと喜んでいた。
下落合から宝�怩ヨもどって数年間、年に何回か都内へ行った。あのとき、季節はおぼえていないけれど冬ではなかった。浜松町でモノレールを降りて山手線の電車に乗り、定宿のある品川駅で電車を降りた瞬間、お互い顔を見合わせた。
さしせまった用があるわけじゃなし、駅を出て喫茶店に入るほどの仲じゃなし、ホームのベンチに座った。盛り上がって1時間くらい話に花が咲いたと思うのだが、何を話したのかまったく思い出せない。
そのとき彼女がはいていたブルージーンズと、別れぎわに言ったことはおぼえている。「こんなことならお茶でも飲めばよかったね」。思い返せば、動作にキレがあり、スタイルもよかったのでジーンズが似合っていたのだ。
それが最後だった。絵手紙も年賀状も途絶え、長い時間が経過し、いつの間にか忘れてしまった。煮ても焼いても、炒めて酢を加えても、漬物にしてもナスビはうまい。彼女もナスビ好き。カレーにどっさりナスビを入れると言っていた。
最近になって突然思い出し、焼きたてのナスの皮を、あっちっちと声を上げてむいているすがたを想像する。彼女がナスビに言う、「あんた、さめると、むけなくなっちゃうからね」。こっちは70代になっても、むこうは30代のままである。
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