2004-04-16 Friday
泰山鳴動して鼠一匹
 
 これほど多くの衆目をあつめたわりにお粗末な幕引となった事件は近年稀である。
お粗末を端的に言い表していることばがこれである。「どうしても嫌いになれないんです」。
人質になった日本人三人のうち女性の言ったことばなのだが、だれが貴女にイラクの子供を嫌いになれと求めたろう、状況判断のできる人なら決して言わないせりふである。
 
 誤解を恐れずいうと、私は語るべきことばを見出しえないし、また、あえて語る値打ちのあることとも思わない。芝居でいうなら「評にかからず」である。語るに足るのは、寝る間も惜しんで人質解放のためにはたらいた関係者各位であり、犯行グループの声明文ではないだろうか。
 
 この騒動を契機に自己責任とか退避勧告の徹底とかが喧伝され、永田町のなかだけでなく、多くの場所でそういったテーマに関する議論のふえることを望むのみである。
かれらはあまりにも安直、安易すぎた。イラク入国時も解放後も自分の状況がまったくみえていなかったし、これからも、人から言われて、はたして把握できるだろうか。かれらの頭には迷惑ということばが完全に欠落している。
 
 閑話休題。
 
 三十年近い昔の、福田赳夫さんの選択をとやかく言う人の多いことは小生も承知している。あのとき福田さんの決断はいまも間違っていなかったと私は思っている。宰相の決断をみて諸外国は日本を侮ったなどというが、もしあのとき、犯人は日本人、人質も日本人、釈放される者も日本人という状況でなかったなら、福田さんの決断はことなったものとなっていたはずである。
 
 犯人側の要求をつっぱねたらどうなっていたかなどという前提に立って論議してもどうにもならず、福田さんは、加害者被害者双方が同じ日本人ゆえに悩みぬいたはずである。同胞が悲劇を分かち合うということだけはなにがなんでも避けたかったに相違ない。
 
 その思いが「断腸の思い」という福田さんのことばににじんでいる。「断腸の思い」はあのとき、福田さんにとって単なる形容詞でも記者会見用でもなく、まさに真情の吐露であった。諸外国の思惑など見えすぎるほど見えていたが、それは事件の核心の埒外であり、日本人同士が殺すことも、殺されることも許容できない、そういう天の声に福田さんはしたがったのだ。
 
 「人命は地球より重い」‥含蓄のあることばである。

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