NPO

◇NPO法人 心ざわざわ Top

摂食障害アドバイザーより贈り物・日刊メルマガ抜粋・岡本理香著
○「暑さ寒さも彼岸限り」と言われるように、暑さも峠を越え過ごし易い気候になっていきます。人の心も、夏の活動的な「ざわざわ」が、趣のある「ざわざわ」へ変化していく時節だと感じます。丁寧に意識して、季節に目を向けてみると、あっと気づくことがあると思いますよ。一日一夜を経るに八億四千万の思いあり。あれも、これも、全部私。どんな感情を抱いてもいいんですよ。感情を抱くことは恥ずかしくありません。喜ばしいことですよ。感情を抱く自分を楽しんでいいんですよ。あなたは、あなたという一人の人間なんですもの。
○「ざわざわ」って、どういう意味?私が私だと確信を得た時に、綴ったポエムから、生まれた言葉でした。これが、1999年発行、心ざわざわ処女本になりました。私は私であり、そしてあなたはあなたである表現を奏でています。 心ざわざわ。素晴らしいあなたとの出逢いに、心ときめいた、あれは、夏。 心ざわざわ。大切な人との時間と空間に、心涙した、あれは秋。 心ざわざわ。離れられない存在となったあなたが、心強く、今は冬。 やがて、春。心深く、大好きなあなたと歩き続けることを、夢見て。心ざわざわ。 岡本が大人へ成長をする一歩一歩を音で表現すると「ざわざわ」だったんですよ。

○過日に某集会でお話をさせていただく機会がありました。その時の内容を数回に分けて、皆様にもお届けします。どうぞお付き合いください。
テーマ「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私1」 大人になりたくない。岡本はずーっと、こう考えていました。ただ、行動は別でした。 自分の心と体が別々で、長い間、意思疎通ができていませんでしたね。フォアクロージャーという言葉がぴったりの状態でした。自分の目標は、親の目標をそのまま鵜呑みにして、親の価値観を、吟味することなく自分のものとして受け入れていました。自分が選択したものではなかったのですね。一見、自分が確定しているように思えますが、自分の価値観を揺さぶられるような時に、混乱して逃げました。無理をしていたことすら分からなかったのですね。融通のきかない性格でもありました。頑固というよりも、何かに固執して、視野がかなり狭かったのだと思います。お気づきでしょうが、岡本は、母親が絶対なんだと思っていたのですね。反抗するということを知りませんでした。いいえ、反抗という言葉すら知らなかったかもしれません。病気になったことや主治医の元へ通うことは、いけないことだと思っていたのでしょう。母親に告知できなかったのは、そのことが大きかったと、今は思います。
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私2」 主治医が「おかあちゃんにも来てもらおう」と言った時のことを鮮明に覚えています。岡本の口から出る言葉は、「自分を抹消する」ことばかりでしたし、綱渡りの毎日は、周囲の大人の目には、危険だと映っていたのでしょう。岡本は、とんでもないことになる、恐ろしいという感覚が溢れ、非常なくらいの抵抗を示しました。主治医は岡本の気持ちを受け入れてくれました。それ以後は、一切そのことには触れなくなりました。また、20歳代後半に勤務していた病院の婦長が、フラフラしながら勤めている岡本を心配して、直接主治医に電話をして下さったと婦長から聴いたのは、随分後のことでした。ちょうど、その頃、反抗期を迎えていた岡本は、主治医の診察をわざとサボることもあったんですね。本当は行きたかったのでしょうが、今思えばかわいい反抗期ですよ。主治医は「診察に来るのを信じて待っています」と言い、そのことは岡本にも言いませんでした。そして、数年後に母から聴いた話ですが、勤務先の婦長が心配して、母と直接逢って、いろいろ話をしてくださったようでした。子供のまんまの岡本は何も知らなかったのですよ。すべて、後で聴いたことばかりでした。周囲の方々は、心配し、いろいろな形で、見守ってくれていたのですね。父親のようなぶれない主治医とひたすら娘を信じて見守ってくれていた母親。岡本は、周囲の大人に見守られながら、愛情をたっぷり全身に浴びながら、大人への階段をゆっくりと上がっていたのです。その時は、まったく気づかなかったのです。
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私3」 正義感と言うのか、真っ直ぐな性格だったのか、正しく子供だったのでしょう。大人の世界の裏表が理解できずに、戸惑う日々、混乱していました。混乱という言葉よりも、正確には、大人になるための葛藤ですね。ようやく自分とは何だ?と自分に問い始めたのです。自我を意識し始めたのです。誰もが葛藤し乗り越える時期の思春期・青年期を迎えたのですね。岡本の中に、何人もの自分が分裂し、それぞれがバラバラになっていました。それに気づき、社会生活で、仮面を被り続けていた自分が崩れ始めたのです。グレーの感覚は、未知の世界のもので、「裏切られた」「誤魔化された」に結び付けていました。真夜中に自転車で何時間も走り続けたり、電車に乗って知らない町に行ったり、夜の繁華街を彷徨ったり、薬を飲み過ぎて警察で保護されたり。エスカレーターに乗って上がっていた自分が、急に階段の踊り場に降り立ち、何だ?何だ?と騒いでいる感覚と表現しましょうか。自分の内部から湧き出るエネルギーが抑えられずに、感情も行動も落ち着かない状態でしたね。岡本は、母には諸々の相談をしたことがありませんでしたが、母は、それらすべてを察知してくれていたのでしょう。何も言わずに、忍耐強く、見守り続けてくれていました。どんな状態であれ、娘であることには間違いがないのですもの。そして、主治医の存在は、「安心できるもの、確かなもの、頼りになるもの」になっていました。
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私4」 大人になる葛藤は続きました。ある日、1本の線の上に立っている自分を知りました。右に寄れば、妄想の世界に逃げ込むことができる。左に寄れば、自分として歩き始める。1本の線の上で、体は、じーっとして、心は、葛藤して、自分と自分が闘っているのが分かってきました。岡本は、自分の意思で、左に足を踏み出しました。辛く苦しいと知っていながらも、左を選択したのでした。なぜ、左を選んだのか?右を選ぶべきでないことを知っていたからだと思います。右を手放したと表現しましょう。著書に記載しましたが、主治医との関係で、岡本は安全なアタッチメント(愛着)を掴むことができたのですね。
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私5」 今、考えると、岡本は、非常に環境に恵まれていたのですね。まず最初に、専門の病棟に勤務をしていたので、摂食障害への理解度が高かったことがあげられます。岡本は「わかってほしい」「摂食障害は本当はこうなんだ」「贅沢病、我慢すればいいとか、そういう問題でないんだ」と叫んだことはありません。初期の段階での周囲への説明に時間は要らなかったのですね。そして、専門のドクターの受診が、すぐ叶ったことや既に存じ上げていたドクターが主治医になったこともかなり大きかったと感じます。主治医の診察日を、目標にして、日々を過ごしていたこと。主治医とは、23歳の時に出逢い、30歳過ぎまでお世話になりましたね。看護師の仕事は、どういう状態であれ、継続していたこと。それに伴い、経済は自立が叶っていたこと。同時に、社会に繋がっていたこと。元々不規則な勤務でしたが、何日か家を空けても、生活の基本は、母と同居であったこと。別居している父の家を逃げ場所として使えたこと。そして、たった一人だけ、摂食障害や心の葛藤をそのまま話せる友人がいたこと。何よりも、一番大きかったのは、主治医も母も、1本の線の左を選択した岡本の背中を、それぞれの時期に、タイミング良く押してくれたことだと思います。確かに、突き放された感覚を持ちました。寂しくも感じました。いつまでも甘えていてはいけないという気持ちを抱き、人との距離感を知ったのが、この時でした。岡本を大人に育ててくれたのは、人、そして、その人との関わりだったことがよくわかります。スキンシップの大切さを教えてくれたのは、母ではなく、主治医だったのかもしれません。他者に戸惑い、他者との関わりに悩むのが、自己ですが、他者の存在があるからこそ、自己に気づき、自己を知り、自己を成長させるのです。
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私6」 自分自身が選びました。大人の道は、思っていた以上に苦しく辛いものでした。あの1本の線の上に戻ると楽になることを知っていました。しかし、苦悩の日々は、充実していました。自分が自分であると確信を得るものばかりでした。葛藤の後半は、主治医の元から飛び出し、母親から離れて、コントロールできないエネルギーが外へ外へと爆発しましたが、それも成長の歩みの過程です。いろいろな物を壊しましたが、その頃の自分も自分なのですから。著書にも書きましたが、心の中にいつも主治医の存在がありました。いつも見守ってくれる、お守りみたいに。そして、母の存在は、自分に負けないという気持ちを維持させてくれました。お気づきかもしれませんが、岡本にとっては、主治医は、母なるものであり、母は、父性の強さを教えてくれたのでした。
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私7」 今、辛く苦しい日々の方も、大人への階段を葛藤しながら、上がっていくこと、その経過が、答えを導いてくれます。誰もが、このアイデンティティの確立の時期に、大きく揺れて、悩み苦しむのです。青年期はモラトリアムの時期とも言われます。モラトリアムというのは「猶予」「待ってくれている」「失敗が許される」という意味ですね。岡本は、山のように失敗を重ねました。頭を下げて、足元を見てばかりの毎日でした。アイデンティティが確立したというはっきりしたラインは目には見えません。「自分は他者とは違う自身であり、一人しかいない」「過去、今、未来ずっと自分である」という感覚は、ふわっとしたものです。でも、確かに何かが違います。時間をかけて、ゆっくりですが、岡本は、堂々と自分を信じることができるようになったのは確かでした。日々感情が溢れ、責任という重さに苦悩し、心は揺れるのですが、根底にぶれない物が出来上がる感覚は掴みました。自分を知るという作業は、今も続いています。ここまでラインはありません。これは自分である生涯を最期まで問い続けていくものだと感じています。そして、今も、失敗を重ねています。毎日、小山ができています。足元のおシャレを意識しています。
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私8」 主治医が岡本に言ってくれた「死んだら、アカン」。母が岡本に言ってくれた「あんたは私より長く生きるんやから、これから長く一緒に生きる人を選びなさい」。答えは、自分が持っているんだよという尊い教えだと、今も心に刻んでいます。以前お伝えした私が私だと確信を得た時に、綴ったポエムと同じ「心ざわざわ」処女本にある奏では、それらの思いを詠いました。 ずーと前は 自分が何者かと悩んでいました 今 自分は 自分であると気が付きました 原点に戻って考えると そこに答えがありました いつも自分が生きていました 自分で生きていました 立派なもんです しっかりと 自分を認めて下さい その原点にいるのが 自分なんです その存在を誉めて下さい この素晴らしい自分で 次は何をしましょうか 今の自分に 一番大切なこと 必要なこと さあ 考えながら前進しましょう 自分の心に素直になって 自分で考えると ゆっくり見えてきます 輝く星が その輝きを手に取って下さい しっかりと磨いて下さい 心に入れて また次の輝きを探しましょう 自分という 永遠に輝く星に乗って
「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私9」 諦めなくてよかったと、今、素直に思います。自分が自分を諦めなくてよかったと。摂食障害に限らず、大人へ成長する過程で、誰もが、悩み涙し、葛藤します。自分自身を再構築する時期は、まさしく「危機」なのです。人により、歩み方も速さも異なります。元々の気質も環境も大きく違います。ちょうどサナギが蝶になる時のような大きな変化に伴う心的なエネルギーが大爆発し、自分が壊れてしまうのではないかと思うのです。それは自分が自分として生きようとする証であり、人が人として背負う責任や直視しなければならない現実を抱えるための準備体操のようだと思います。何度も何度もお伝えしていますが、キーワードは「素直」。最後に、これをお伝えして、「大人になりたくなかった私、大人になることを選んだ私」の話を終わらせていただきます。岡本だけでなく、ざわざわで回復過程を歩まれた方々が、自分色の美しい蝶のような羽を広げて、共通して発する言葉があります。これは、自分とは何だ?に対する、区切りである答えかもしれませんね。「あの時、一体、何だったんだろう」
○自分で、何か一つを選ぶとは、それ以外のものを捨てるということにも繋がる。捨てるとは、保留も放置もグレーも含まれる。今、一番、何が、問題か?今、一番、何が、望みか?時間軸を、今に、定める。これができるのが大人。アイデンティティを知ってくださいね。コツコツ、焦らずに、ゆっくりと。そのまんまのあなたで繋がっていてくださいね。
○回復は、大人への階段をコツコツ自分の足で歩くこと。克服は、大人になること、そして、自分で納得して、手放すこと。大人って、人のために生きているのではなく、自分のために悩むことができます。自分の苦悩を知っているからですね。他人の足元の豆は拾えないことを知っているんですね。そして、モヤモヤを抱えて歩くことが人生ですね。自分の視線で知ることを、まず体が知っていきますよ。何が大事かって。それは焦らないことですよ。新刊「宝物は心にあるからこそ、宝物を手放すことができる」。自身の作品は、自身の子供であり、日々成長し、そしてどんどん手放しています。自身の作品が宝物ではなく、その作品を愛する自身の気持ちが宝物なのですね。
○「木を見て、森を見ず」昔の岡本は、木も見ていなかった時期がありました。恐る恐る木を見始めても、なかなか森には気づかず、視野が狭く、妄想だけの思考が先走っていました。この妄想に、自分が振り回されていたことに、気づき始めると、恐がりのアカンたれの自分を「腫れ物」にしている自分にも気付きました。ここで知ることに徹しました。足元の豆を拾うことを知ったからですよ。自分の足元の豆しか拾えないことも知りました。
○「さぁ、背筋を伸ばしてみましょうよ」今、あなたにできる、自分への愛情表現だと、私は思いますよ。ただ、背筋を伸ばすだけでいいんですよ。いつもの癖ですね。その後は、考えないでいいんですよ。
○アイデンティティの確立。自分はどうだろう?と問いかけてくださいね。人との関係がうまくいかず、相手との距離が極端である。やるべきことができずに、今しなくてもいいことに集中する。社会生活が恐く、組織に属するのを避けようとする。時間感覚がマヒし、焦ったり、逆に呑気になる。周囲の意見に流され、自分で決められない。自分のやりたいことがわからない。幼少時から、体験が乏しい。時間をかけ、段階を経て、ゆっくりできあがります。焦らずに、ゆっくり悩むこと。モヤモヤすること。そして、自分を知ることですね。比較する癖があるから、焦るのでしたね。
○「一日一夜を経るに八億四千万の思いあり」あなたの感情は、あなたの宝物ですね。どんどん抱いていいんですよ。そして、感情は変わっていいんですよ。変わらないと面白くないかもしれませんね。よく考えてくださいね。感情は抱く。そして言葉に出すのは行動ですよ。感情と行動をくっつけている5歳児さん。感情ではなく、行動を整理してみましょう。この部分は、何度もお話していますね。
○母「○○ちゃん」と呼ぶ。そして、娘「お母さん」と、ただ答える。それだけでいいのよ。親子で駆け引きは要らないのですよ。
○今は夏。体調管理は自己責任ですね。暑いのは暑い、喉が乾いたら、乾いたと知ってくださいね。暑いのも、喉が渇くのも、誰かのせいではありませんね。自然なんですよね。知ったら、自分で動き出しますよ。
○「忙しいは自慢にならない」岡本が大きく納得した言葉の一つでした。忙しいは、自分への言い訳であり、自分はいい加減だと公表しているのだなって。現実を直視できない自分を誤魔化す魔法の言葉でした。今は旬を逃さなくなりました。150センチの身長に合った視野を知りました。背伸びって疲れるんですよ。背が伸びると背伸びって、大きく異なりますね。
○テーブルの上の飴玉のお話。どんな自分があってもいいんですよね。これも私、と知る。 あれも私、と知る。私が私に嘘をつくのをやめて、私が私と手をつなぐ。一つずつでいいのですよ。まず一つだけでいいんですよ。欲張らないでいいんですよ。
○「理香さんの新しい本の自分が悪者になっておけばいいという言葉に驚愕した。それ以上に、誤解は、誤解している人の管轄であり、基準がこちらにあるから誤解と表現されるのでしょう。自分が自分を誤解していないから、誤解を解こうと焦らないですよ。ただ、自分と異なる意見だったら、聴く姿勢は持ちますよと言われて、真っ白になった。私って、分かってほしいと思う気持ちが強い。しかも正確にすべて分かってほしいと思っているので、毎日不満ばっかりなんだと思った」気持ちを分ってくれる人の存在。 愛されているんだと感じる存在。 素直さを目覚めさせてくれますね。 その存在、身近にありますね。自分自身ですね。
○ゆっくりと知るだけでいいんですよ。「火に入っても焼けず、水に入っても溺れず」きっかけは、何でもいい。その道を自分で歩む経過が重要。経過次第で、結果に実がなる。私は、看護師という仕事に誇りを持っています。知り得たもの。自分が苦悩して掴んだもの。だからこそ、今もコツコツです。フト、好きの反対は無関心。嫌いの反対は無関心。だが、好きと信頼が異なると知った。嫌いと信頼が異なると知った。知識が知恵になる。それは、知ることから。コツコツの歩みの中で、自覚という「認められた」思いが掴めます。視線の向きですよ。自分の視線の向きですね。
○今日も知るだけで十分ですよ。「無一物中無尽蔵」岡本の若い頃、欲が深く、不安になり、色々なことを、頑なに取り込み過ぎて、何も見えませんでした。抱え込んでいたものを失うことが恐く、それがまた不安になっていました。宝物は、手放すことで、その存在を確たるものにしていく。自分の視線を知ると、霧が晴れたように、視野を知りました。同時に、現実を直視する恐さと、責任を負う苦しさに、辛さが増していきました。進むのも、戻るのも、自分次第なんだと知り、しばらく辛さを知るだけに徹しました。知るだけでいいんですね。そして、逃げる辛さではなく、実のなる辛さを、自分が背負いました。すると、この身が軽くなるのを知りましたよ。辛さの味わいは、成る実の美味しさに比例していましたよ。人や物ではなく、私は私という感覚が宝物であり、私というその宝の存在を手放すことができる。失う不安があると、不自然な自分が前面に出てきますよ。
○焦らないコツは、知るだけですね。今のしんどさを、何か理由をつけて、楽になろうとするのが人かもしれませんね。今はそれでいいと思います。しんどいのは、しんどい。逃げてもいいんですよ。岡本も若い頃、摂食障害が逃げ道を与えてくれていました。ただ、今のしんどさと過去のしんどかったことを混同しないことですね。混同する癖がある方が多いですね。今のしんどさと過去のしんどかったことを、見極めるのが大人だと感じます。今、しんどいのは、体?心?頭?
○急がない焦らない慌てないでね。経験が豊富というのは、先が読めるということですね。 その前に、今を知っているということでもありますね。今の状況の判断が出来るってことですね。これは体で知っているから、自分が知っているからですね。身につけると表現してもいいでしょう。頭の中ではなく、体が知ると、実が成るんですね。ほら、失敗を積むというと、皆さんは嫌な表情をされます。成功の種を蒔くと同じだと考えてみたいですね。 汗をかいて、知るということが大切ですね。岡本も大汗をかきながら、コツコツでしたよ。
○夏休みを楽しめましたか?夏休みはないよとおっしゃる方も何もすることがなかったという方も、今はそれでいいのですよ。自分の今ですものね。比較の癖があることを知るだけで立派です。自分を認める。自分を全部好きになる。そんな難しいことは、未だに岡本はできませんよ。前向きにハツラツ生きる。これも難し過ぎますね。まだまだ未熟な岡本には、無理です。不自然です。今日も、今をコツコツ、それらを重ねていくだけで精一杯なのですよ。今は、それが自分にできることなのですね。今、必要なものだけを持って、赤い鞄の荷物を軽くして、暑いので、裸になって、コツコツの毎日ですよ。自分の年齢を直視するようになった時が克服のラインと重なりました。
○「君子は和して同ぜず」。岡本が、回復して、納得した言葉の一つでした。何か人と異なり、何か生き辛いと感じている自分を知ることを避け続けていた岡本の若い頃。自分と他者との違いがわからなかったのでしょうね。非現実的な夢を描いて、今思うと、間違った方向に努力し、違和感という言葉がぴったり合う毎日でした。幼少時は「協調性がない、笑わないし、感情を出さない子」と周囲の大人たちに言われていたようで、20歳頃からは、愛想がいいのに、親しくない関係ばかりだったと思います。自分の視線が、自分から外へ伸びずに、外から自分へ向いていたので、何もかもを演じて生きている感覚がありましたね。自分の視線が自分の内から外へ伸び始めた頃、縁が切れるという不安がない関係は、演じなくてもいいし、愛想は要らないと知りました。自分が自分を急かしたり、焦らせたりしなくなったので、視線が定まって、今を集中するようになったのだと感じます。視線の先に他者から見える自分が映っていたり、視線の先に、自分の脳裏の波が荒々しく映っていたり、一体何を見ていたのかしら?あの頃の自分。自分が知った自分の弱さを出すことが、愛想がなくても、親しい関係であり、嫌われるや捨てられるという不安がないから、信じることができるのですね。
○「相手のために自分がいるのではないのです」一人で我慢して生きてきた人は、他人との間の距離感を知らず、信頼という感覚が上手く掴めないのですね。身を任せることができないのは、どんな感情を出してもいいという経験をしていないからなんですね。人は、感情を出せないと心が寂しさを覚えます。自分が自分の感情を知ってあげることも非常に大事なんですよね。「先生、私、寂しい」と、岡本は、まず自分が寂しいんだと知ったことから、始まりましたよ。「死んだら、アカン」〜回復への歩みの中で〜どんなことがあっても、自分の傍にいつも居てくれるのが自分です。自分が自分を知ってあげることを、置き去りにしないことが、自分への贈り物ですよ。
○「若い頃の岡本は、楽しいという感覚がありませんでした。ママが笑顔で嬉しいや先生が褒めてくれたから喜ぶというものばかりでした」嬉しいや喜びの感覚はあるのですが、楽しいという感覚が分からない方が多いのは、心理的な触れ合いを知らないからなんですね。どんな自分でもいいんですよね。その自分が、今の自分なんですよね。自分を知るには、他者の存在が必要ですね。他者は自分ではないのですよね。距離感を知るベースには、礼儀があり、そして対個人との信頼関係ですよね。自分がいて、そして相手がいる。これを知ってください。相手のために自分がいるのではないのですよね。自分が楽しいんだと、何の条件もなしに掴みますよ。
○「だんだん心に入ってきました。岡本さんの言葉。知るということ。毎日のメルマガは、分からないことだらけですが、読む習慣が自分についてきたこと、これがコツコツだと知り、人のせいにするということも、嫌な感情だったと知るとか。知らない自分がいても、モヤモヤしてしまう自分がいても、知るだけでいいんだと、何かが入ったみたいです。視線の向きと言われて、初めは何のことだろうって思いましたが、<人のことを、あ〜だ、こ〜だ〜と言わなくなる>この岡本さんの言葉に気づきました」ざわざわでは、「認める」と「知る」を、まったく異なるものとして使っています。自分という感覚「自己同一性」を獲得するための社会的な義務や責任を猶予されている準備期間をモラトリアムと言います。ここで悩む方が多いのですね。そして、誰もが、ここを乗り越えていくのですね。岡本も、摂食障害に助けられて、乗り越えてきました。それまでに知ったいろいろな自分を整理し、何かを捨て、グレーの感覚を掴む時期でしたよ。
○「少欲知足」人の欲って、ゼロにはならないですが、減っていくものだと私は実感しています。今の自分に持てる量の欲が分かってくるのですね。瞬間の欲を一つに絞るのは、加齢に伴う技かなって思います。見えないものが増える。そして、物を手放す。だから、安心できる。足元の豆を拾う生活が、こんなに素晴らしいとは、若い頃には気づきませんでしたよ。
○「行動の繰り返しから、思考が発達する」過保護は、子供が望むことを、それ以上に手を貸し過ぎ。過干渉は、子供が望まないことまで、手を出し過ぎ。著書の中にも記しましたが、「最優秀過保護のお姫様」の岡本は、自分でスキーマを作ることも知りませんでした。そして、自分が自分に過干渉だった時期がありました。本来の自分の思考がストップしてしまい、感情を抱かなくなっていました。岡本は、主治医から学んだ信頼から、根底に母との絆があることを知り、自分で未知の世界へ裸で飛び出しました。行動の繰り返しが体験を積み、思考も感情も溢れ、自分のスキーマを作っていきました。スキーマに、良い悪いはないのですよ。自分で自分のそれを作ることが大事なんですよ。
○岡本が生まれて初めて、自己主張を通したのが、看護学校を卒業して、すぐに就職する病院でした。自分で決めた病院でしたが、母はその病院に勤めるのを反対していました。就職してから、自分がないことに気づき、母の護衛がない戸惑いを隠せずに、摂食障害を発症して、精神的にも体力的にもキツク、「患者さんか看護師かわからんな」と言われていました。ただ、自分で決めたから、自分の意地だけで、周囲の迷惑も考えずに、務め続けていました。今振り返ると、穴があったら入りたいほど恥ずかしい自分でしたが、あの頃は一生懸命だったんですね。頭隠して尻隠さずの5歳児の状態でした。周囲の方が、温かく見守ってくださっていたことを、自分が大人になって知り得ました。今思います。あの病院に就職して良かったな。摂食障害を発症して、自分を知る一歩を踏み出したのですもの。そして、何よりも主治医に出逢えたのですもの。そうです。自分で決めた勤務先ですものね。不安があるのは、生きている証拠。
○「賢人は起きているときと同じように眠っているときも心は安らかである」岡本は掴みました。体で掴みました。頭でもなく、心でもなく、体で知り得ました。言葉を読むだけでは、知ることはできませんでした。ただ、安らかですが、違う意味での苦悩は抱えています。渦中の時よりも重いものですが、実のなるものです。思い出してくださいね。症状が出た時点が回復のスタートであり、大人になることが克服ラインですね。そして、答えは自分の中にある。自分でラインを決めていいんですよね。岡本は、まだ答えを探して歩き続けています。答えを知りたいのではなく、歩く経過を知っていきたいのです。コツコツ継続、ゆっくり。
○「安心できるもの、確かなもの、頼りになるもの」思春期、青年期の葛藤の時期に、岡本も彷徨い続けました。自分に何が起こっているのかを直視できませんでした。母親の言うままに看護師になり、社会に出た時に、ようやく「何か」があることを、摂食障害で表現しました。感情表現が未熟というよりも、自分の感情を知らない、感情がない状態でしたので、摂食障害が代弁してくれたのですね。主治医に出逢った22歳頃は、まだ赤ん坊だったんだなと思います。その出逢いがあり、思春期・青年期となり、摂食障害に助けられて、主治医からたくさんのことを学びながら、社会で揉まれながら、少しずつ大人への階段を上りました。弱虫の恐がりでしたから、時間はかかりましたよ。
○転んでも、起き上がる時に、何かを必ず掴んでいるんですよ。岡本は、たくさんたくさん転びました。そして、必ず起き上がりました。いつも、誰かが見守ってくれていたんだと、後で気づきました。転ばないように、ではなく、起こしてくれる、ではなく、じっーと見守ってくれていたんだと。それは「信じてもらえていたから」なんですね。岡本のことを信じて待ってくれた人がいたのですね。答えは大人になること。
○経過を意識していく。経過を置き去りにしないことが、思い込みを少なくする練習だと思います。メール療法に取り組んでらっしゃる方は、お気づきだと思います。始まり、終わりではない。始まり、経過ですね。経過は、保留ができます。修正もできます。自分の人生、自分で経過を積み重ねて、自分のために生きていいんです。遠慮することはないのですよ。責任を背負うのは、かなりしんどいけれど、自分が活きているという感覚はがっちり掴めますよ。嬉しいや喜ばしいよりも、楽しいと感じますよ。自分という土台を自分のカラーで作ることですよ。
○失う不安がない。自分に嘘がない。幼少時、岡本は母親との関係で、リラックスができなかったのは、失う不安と自分に嘘をついているからだったと、大人になり知りました。失わないように、嘘を重ねる自分だったことも知りました。主治医との8年近くの関わりの中で、どんな自分であっても、失うものはないんだ、自分を素のまま出していいのだと気づきました。ただ、他者との境界線が混乱していましたので、最初は、誰に対しても、ストレートに絡みつきました。子供の岡本は、大人の世界の表裏を知らなかったのですね。たくさん頭をうちました。大人って恐くて汚くて強かなんだ、大人になりたくないと思った頃でしたね。主治医は、どんな自分を見せても、そのままを吸収してくれる存在であり、嘘をつく必要はないんだと知り、素のままでも失うことがないんだと知り、信頼という感覚を育てました。同時に他者との境界線を選択することを知っていきました。自分に嘘をつかない、社交辞令の意味を掴んだのですね。グレーの感覚ですよ。これらは、少しずつ、何となく、自分の中に作られて、そうだったんだと知るのは、大人になってからでしたよ。
○「不自然だから、不安定なんだ」母親と子供は感覚レベルで互いに作用し合い、その積み重ねにより絆が生まれます。これを愛着と言いますが、赤ちゃんは、まず一人の特定の人への愛着を形成する必要があり、乳児期に形成された愛着は一生続きます。それを土台にして対人能力は養われていくのですね。この人といれば安心という「安全基地」にはいつでも戻れるという安心感があってこそ、外の世界に行くことができるのですね。そして、他者との距離感は、まず母親との間で学ぶものだと言われていますが、自分が確立されていないと、距離感が安定しないんですよね。偽りの自己と呼ばれる自分が不自然なんですよね。あなたの「安全基地」。きっとありますよ。岡本も、ずーっとありました。ただ自分で気づかなかっただけでしたよ。荷物を下ろすと、気づきました。素直な視線が自分から伸びたのですね。自分を信じてくれているのは自分。
○「柳に雪折れなし」今、岡本の心の中は、いつも柳のような感覚ですよ。そして、自分を知ってもらうよりも、自分は何を知っているのかを、自分で知りたいとよく考えています。柳のように、のらりくらりとしながら、風が吹いたら、風が吹いたと知り、雪が降ったら、雪が降ったと知る。その瞬間に湧く感情にどっぷり浸り、自分の感情を知り、なるほどと言いながら、捨てるものは捨てる。不器用な自分だからこそ、生きる智恵を、自分流に掴みました。岡本の場合は、自分の過ちを自分で知り、謙虚に認めて、頭を下げるという強さを、柳から学びました。ずーっと、ここが一番の躓きだったんですね。


◇NPO法人 心ざわざわ Top

since 2003/5/1 Copyright (C) kokorozawazawa 2011 All Rights Reserved