足元の豆には、可能性が溢れています親御様は、お子様にどう対応したらいいのか?と、ご相談にお越しになります。当然のことです。辛い気持としんどい体を抱えて、どうしようもなく困ってらっしゃいます。 ただ、早く何とかしたいと焦り、視野が飛び過ぎるのですね。まずご自分がどう感じるか、どういう守りの動きを、ご自身がするかを知ることから始めていただきたく思います。知るは、分かるではなく、感情が入らずに、ただ知るだけです。お子様と接して、色々な場面を経験しながら、自分の感情は?自分の行動は?と自分を知る。それを飛ばして、良い方法を教えてほしいと、真似をするだけでは、ご自身が納得せずに、無理が生じます。それらを無意識に抑え込んでいるので、ご自身がご自身に不満を抱くのですね。これは、摂食障害を抱えていらっしゃるご本人さんにも言えると思います。 知っているからこそ、傾聴もでき、放置もでき、堂々と生きることができます。大人は、わざと子供に負けてあげる。大人だからできること。知っているからこそ、知らないふりもできる。知らない人は、その知らないことを隠そうとするから、プライドと負けん気で、気遣いではなく気疲れをするのですね。 自分って面白生き物です。興味があると、知りたくなります。知識をもらい、それはどういうことかな?と考える。ここで留まる方は、言葉を知ろうとするので、難しいのです。すっーと抜ける方は、ご自身を知ろうとするので、次に進まれます。ご自身に視線を向けるのです。 ざわざわの看護に対する考え方「残存機能を活かし、自分でできることを知り、できないことを知り、できることを増やしていく工夫をする」。 これがざわざわの「ヘルプはしません。サポートは喜んで贈ります」に繋がっています。右手が使えない方に、左手で自分ができることを、知ってもらい、自分でできることを増やしていくのですね。できることを知るには、できないことも知る必要があります。ここで感情が入ると、諦めや焦りが生じます。過度のヘルプは、残存機能を活かす場を取り上げていることになります。左手が使えないという現実を認めて受け入れるのは、頭では無理だと思います。感情では難しいと思います。まず「知ること」。体で知ることなのですよね。感情を抱いていいのです。思考 も働いていいのです。 ヘルプは、今の自己満足。サポートは、将来への責任を視野に捉えた知識の提供。サポートをするという知識を贈りますので、それを知恵にするのは、自分自身の行動なのですね。出来ないことは出来ないのです。出来るように工夫するには、知識が必要です。 何事も、最初は、真似をするから始まりますが、知らないことを知るのが真似であり、そこへ工夫を入れると、自分のものになります。結果を真似するのではなく、経過の工夫を、自分で知っていくことが必要ですね。充実感や満足感というのは、結果ではなく、経過に生じる自己の感情なのです。気づくのは、後で冷酒のようにじわじわなのですね。 だからこそ、どんな感情も抱いていいのですよ。抱くと知るのですよ。知るから、放置が出来るのですよ。無視をするのではなく、抑えるのではなく、感情を放置することが出来るのです。まず知ること。感情はたっぷり抱いてくださいね。 人は、無意識に抑え込んでいる部分=自分の不足している部分を他者に投影させて、それを責めるという防衛反応をします。無意識に気になるのですが、なぜ?と考える方は、気づくものがあふれてきます。ご自分の気持ちを抑え込んでいる方は、自分が自分の傍にいなかったのですね。自分が自分に、いつも怒っていましたね。お辛い気持ちを一人で抱えて、ここまで頑張ってこられたのですもの。ご自分と、堂々と仲良くしてくださいね。お母さんの責任の一つに、ご自身が心身ともに、健康であること、それに近い状態を保つことがありますよ。 母親だから、子供を守るべきだ、親だから、私が何とか治してあげる。初期は、当然この気持ちを抱いていいのです。これがないと逆に、母性を見つめ直す機会でもあるでしょう。お子様と一緒に揺れて、悩んで苦しんで、本当に大変な時期なのです。それがあるからこそ次に繋がるとも言えます。ここで大事なのは、ご主人、お友達や親せきなど、本音が言える存在があるかどうか、母親を支えてくれる余裕のある方がいらっしゃるかどうかと、家族会の存在です。 次の段階に入る前に「ヘルプは、今の自己満足。サポートは、将来への責任を視野に捉えた知識の提供」を知っていただければ、長引くことを避けられると考えます。お子様の気持ちに、ぬるま湯から、自分で抜け出す力を残しておいてあげるのが、 本当の親の愛情であり、コツコツと躾けるのが、本当の責任だと考えます。どういう形であれ、社会生活に適応できる生き方を、コツコツとじわじわと教えていくことが非常に大事だと考えます。その力を子供さんは、お持ちですもの。 摂食障害の渦中の時の一番の願い、そして克服して今の一番の願いは、変わっていないことに、私は気づきました。母が母の納得できる健康を心身ともに保っていてほしい。言葉では伝えなくても、心で思うだけで伝わっているはず。それが母と娘の関係だと感じます。 親の意見と冷酒は後で効く克服とは?空想の世界から、現実の地に、舞い降りて、羽ではなく、自分の足で立っているという感覚で す。いつも頭の中に靄がかかっていて、視線の先に映るものは、思考というより妄想の世界の中 の物体という感覚がありました。地に足が着いていないというか、自分だけが透明の風船の中に 入って、ふわふわと浮いている感覚がありました。耳から入ってくる音も、ぼわんとしたエコー がかかったもので、言葉の裏が聴こえている感覚でした。妄想に近い理想を相手に反映して、相 手の視線を乗っ取って自分を映して、自分の都合のいいように、もしくは悲劇のヒロインである ようにして、自分を外から観察している感覚がありました。 自分に向かう称賛は、自分のものであり、都合の悪いものは、誰かのせいであり、シンデレラ 気分に近い、きっと素晴らしく有名な人物になるのだという頭の中のシナリオが完成していまし た。一日のほとんどが空想に浸っており、必ずすごいことが起きるのだという思考が大半の思考 であり、時々目の前にやってくる現実は、他人事のように視線に捉え、誰のこと?という感覚が ありました。その中で、美意識は非常に高く、それ以上に、努力せずに出来る人間である、しか し、護ってあげたいと周囲に思われる存在でいようと常に考えていました。自分は歳を取らない、 いつまでもこのままで、当然、親はずーっと生きているという気持ちがありました。職業柄、「死」 に対して、身近過ぎて、現実として捉えていませんでしたね。 都合のいいように、体調不良を起こし、嫌なことがあると、自分の傲慢なプライドが傷つき、 怒りと憎しみの感覚が急速に湧いてきました。そのまま放置が出来ないので、取り繕うとテンシ ョンが上がったり、逆に精神的に落ちるところまで落として、死にたいとの言葉で、同情をひい ていました。浮いた感覚が続き、一人では寂しくて仕方なく、誰かを求め続けていながらも、親 密になることを極端に恐れて、自分は皆とは異なる人間であり、レベルが違うからと、人を避け るように過ごすこともありました。 変化が怖く、特に人の心の変化に敏感であり、一度もらった良い評価を下げたくなく、あたか も気配り上手の頭のいい人を演じながら、嫌われないように、自分を守りに守ってきました。 今だから、知ったことばかりですが、現実をまったく見ていなかった自分が、妄想の中で飛ん でいる感覚なのです。自分の妄想が、自分の感情や行動を支配している感覚でしたね。いつも誰 かが何とかしてくれるという気持ちがありましたので、切羽詰まった現実を見ようとしませんで した。常にだれかを、自分の都合のいい方向に、操作していました。触れ合うという感覚は、心 ではなく、「物」のやり取りであり、借りを作りたくないので、プレゼントを押しつけがましくす ることが多かったですね。特別な人間だから、宇宙にも行くことができるんだという気持ちがあ りましたね。何も感じないように、都合の良い想像を膨らませて、空回りをし続けていました。 現実の厳しさと体の重さが、自分が自分なんだと教えてくれました。自分だけが自分なんだと知 りました。離れ離れに点在し続けた、「点の自分」が、がっちりと手をつなぎ、「線となり、面と なり、自分の形」が出来ました。 残存機能を活かす看護のやり方 看護師として、たくさんの経験を積みながら、それに対する考え方に「残存機能を活かし、自分でできることを知り、できないことを知り、できることを増やしていく工夫をする」がありま す。これがざわざわの「ヘルプはしません。サポートは喜んで贈ります」に繋がっています。右手が使えない方に、左手で自分ができることを、知ってもらい、自分でできることを増やしていくのですね。できることを知るには、できないことも知る必要があります。ここで感情が入ると、 諦めや焦りが生じます。過度のヘルプは、残存機能を活かす場を取り上げていることになります。 左手が使えないという現実を認めて受け入れるのは、頭では無理だと思います。感情では難しいと思います。まず「知ること」。体で知ることなのですよね。感情を抱いていいのです。思考も働 いていいのです。それらに振り回されない行動ができるかどうかなのですね。これらをベースに、 今、メール療法を行っています。「知る」ということから始めています。 現実を知っていく なぜ、その必要があるのか?自分の幼少期から克服ラインまでを冷静に見ると、基本は現実を 知るということに躓いているのがわかってきました。あるがままと同時進行で、あるべきようも 取り入れていく必要性を感じました。大人になるという抽象表現ですが、責任という言葉が怖くてたまらなかったのです。 克服ラインを超えると、現実をくっきり捉えることができるようになり、逃げたい自分やどう しようもないもやもやした気持ちを、どっしりと抱き始めました。怖くてたまりませんでした。 今まで見て見ぬふりをしていたものが、どんどん目の前に現れるのです。これが現実なのかと立ちすくみました。現実には、責任という自分で背負うものが付いてきました。自分が今まで逃げてきたのは、これだったんだなと掴んできました。自分の足が、確かに地に着き、頭の中の靄が晴れ、視界を包み込んでいたベールが取れました。自分だけが自分なんだと確信を得て、人生ってこういうものなのかと体得したのでした 親の意見と冷酒は後で効く 情報は他人の知識です。そのままを取り入れても、できないものはできないのです。その知識を知恵にするのは、自分の体を動かすことなのですね。気づきは後からやってきます。自分の中 に自分の答えはあるのですよ。岡本の言葉は、後でじわじわと効いてきます。今は?でいいのです。日常の生活の中で、納得する答えが、グレー色に染まって見つかります。 自分で知ることが大事なのですよ。その知る過程があるからこそ、自分が納得して、自分の知恵になるのです。真似ではなく、自分で掴む経過が必要なのですよ。 |