ご縁に感謝します。

サポ  心

◇心ざわざわ Top

自分の観察を丁寧にすることが抜けがち。

丁寧とは時間の長さではなく動きの深さ。頭で考えていても、何も始まりません。頭で考えているので、過去も未来もごちゃごちゃにしてしまうのですね。考える癖があることを知っていますか?知る。これですね。行動する前に、頭で考えると、妄想になってしまいがちですよ。考えるのは、体が暇だからなんですよ。意識を体に集中させてみることですね。

体は現実、頭は妄想なのですね。メール療法では、体は、丁寧に意識して動き、視線の先と思考と動きを一致させます。皆さん、四苦八苦しながらも、継続と経過を大事に頑張ってくださっています。自分の無意識行動をチェックしてみる。ほとんどが無意識の動きであることを知ります。思い込みに左右されている自分を知る。現実、知る、湧くものを知る、それに浸る、捨てる、次の現実、知る、湧くものを知る、それに浸る、捨てる。日々、これの繰り返しが、生きるということなんですね。頭の中から一つ捨てると、体が何か一つを掴んでいるという感覚なんですよ。

「大人への階段を一つ上がると、一つ何かを失う」。自分で選択して、一つを手放すとも表現できますね。欲張って階段を駆け上がらずに、一段ずつゆっくり、上がりましょう。手放すのも一つずつですよ。一気に片付けようとしないことが、整理整頓のコツですね。欲張るから、焦るのですよ。欲張るから、長続きしないのですよ。まず一つだけ知ってくださいね。若い頃の岡本はガツガツしていました。得体の知れぬ不安から、貪欲になり、それが焦りになり、空回りしていたのです。今は、地べたを這うように、足元の豆を、一つずつ拾うのが人生だと思っています。一つずつしかできないんだと知ったんですよ。

岡本の若い頃、思考が作り出す感情に一喜一憂し、思考が行動する妄想に浸っていました。頑固で融通の利かない子供だったんですね。海外旅行へは一度も行ったことはありませんが、全身がいつも「時差ぼけ」状態だったんだろうなと感じます。「変わっている子」ではなく「特別な子」と思い込んでいましたね。周囲の方には、「困った子」と思われていたのかもしれません。おそらく寂しかったのでしょう。空想の世界で、楽しいことをしたかったのかしら?と、今は思います。空想の世界では、万能感だけで生きていけるのですもの。友達は少なく、皆と同じことをするのを極端に避けていました。皆の輪を、自分自身も入っているのですが、もう一人の自分が外からじーっと眺めている毎日でしたね。この辺りが、周囲の大人の目に、「協調性がない」と映るのでしょう。これらも、克服してから、知ったことばかりです。渦中の時は、知っているようで、何も知らなかったのですね。

人と人の間には、いくつかの境界線がありますね。どんなに親しくても、たとえ親子であっても、身も心も一体ではありません。相手の気持ちは分かり得ませんね。渦中の岡本は、境界線がまったくありませんでした。自分の感情と相手の感情の区別がまったくつかずに、相手の感情を取り込んだり、自分の感情を相手に押し付けたりしていました。最初は、主治医との1対1の関係から始まり、社会人としての立場を自覚して、たくさんの方々との関わりの中で、境界というものを作っていきました。失敗という経験の中で、自分で身につけていったのですね。今では、ここまでラインというものが、自分でもわかってきました。面談などで関わる方々は、岡本のそれを、違和感、恐怖感や何か戸惑うと表現される方が多いのですが、岡本は自然体で、皆様と接しているからなんですね。腫れ物や特別扱いはしないで、人間対人間のお付き合いをさせていただいているからなんですよ。焦ると、前進しない自分が自分との間にも壁を作ってしまいます。焦らずに、一つずつ、まず点から、点を繋げて、線へ、ゆっくりと自分の線を引いていけばいいんですよ。

メール療法のお話。ざわざわ独自の「自分と向き合う日々の意識生活」なんですよ。「目の前の物を取ろうとして、視線は右を見ながら、頭では、3日後のことを考えて、すぐに半年前の嫌なことを思い出して、左に手を伸ばしている状態」では、日常の生活に集中ができませんね。まずこの状態の自分を知ることから始まりますよ。それを日常の生活の中で、思考と行動と視線の先を一致させる練習なんですね。足元の豆は、日常の動きを指しますね。普段は、何気ない動きを、丁寧に意識して、例えば、トイレに行く動き、床に落ちている物を拾うや食器を洗うなどを、それに集中して、その経過を大切にするということです。人は、毎日90%以上が無意識の行動です。現実逃避の方は、もっと多いでしょう。それを意識するのですから、かなりしんどい作業になりますね。もっとも大事なことは、知るだけなので、感情を一切入れずに、淡々と動くということなんですよね。今、取り組んでらっしゃる方は、素晴らしい経験を積まれています。諦めない、焦らない、慌てないで、コツコツですね。

生きるって、行動なんですね。足元の豆を拾うことですよ。行動に伴い湧く多種多彩の気持ちは、感情なんですね。ワクワクやカリカリとたくさん湧きますね。あれやこれやと関連づける妄想は、思考なんですよね。考え過ぎと言われることですね。岡本がよく言います。生きるって、淡々と足元の豆を拾い、何気ない何もない今。ここまでラインですよ。そして、湧くもの、どんな感情かな?それとも妄想かな?これらは、後から湧くものです。行動に伴う、それらを期待しないってことですよ。どんな感情が湧くかは、動けば知りますものね。

岡本のプロフなどでもご存じの方が多いでしょうが、趣味は「整理整頓とジグソーパズル」。克服のラインを越えた頃には、自身の体、心、頭を区別して知るようになり、日々の自身の変化に目を向けることができるようになりました。ホルモンのバランスの変化による体調不良を直視するようになったのは、食欲の変化、体の重さとやたら整理整頓を始める自分の行動でした。棚の位置を変えたり、たんすや本棚の中を全部引っ張り出して掃除をしたり、自分でも笑ってしまうほどのパワーを発揮します。同時に、「しなければならない苦手な現実」があると、整理整頓を始める癖も知りました。私って現実逃避をしているのねって、自分で知っているので、それに徹することにしています。知っているからいいんですね。これは渦中の症状と同じなんですよね。現実逃避をしている自分を知っているかどうか。症状と同じで、自分を守ってくれている仲間が、今は整理整頓であり、それを趣味に位置付けしました。体調が悪いという現実を知るのが怖かった渦中とは違い、今はそれを知りながら、どう行動するかを自分で選択しています。選択の割合が、趣味よりも、休む寝る栄養を摂るへ大きくなりましたよ。

「宝物は心にあるからこそ、宝物を手放すことができる」より抜粋。建て替え後、父は初めての実家。大阪での生活は、30年ぶりかな?父は、まず母方の祖母、そして私の姉の位牌に手を合わせていました。「お前のねーちゃんや」父の口から初めて聴く言葉。そして「お前には苦労かけたな」十分ですよ。親父。その言葉だけで十分ですよ。今はね。今は。 「某ブログ」より抜粋。本人が親に求める一言。ほとんどの方が、同じ。「ごめん」という言葉が欲しい。一歩引いて、わざと負けてほしいとも言える。母親も守りに入る。娘も意地になる。 (兄弟間の心の葛藤、兄弟・姉妹間で抱く競争心や嫉妬心を指す、ユングが提唱した精神分析の概念をカイン・コンプレックスという) 自分と向き合うからこそ、他者の存在を知り得ます。愚本の中の父の言葉、私は過去をすべて清算して、今という時間を親子3人で共有しました。父の言葉が見せかけであると分かっていても、それでいいんですよ。自分の時間軸の整理をするのは、自分自身なんですよ。自分の時間軸ですもの。きっかけをもらって、これは自分でするんですよね。

「自分を一つ知ると、余裕が一つ生まれます」自分を確立って?アイディンティティの確立って?とっても難しい言葉ですね。自分を大きく捉えて、その中のいろいろな自分を丸ごと自分だと知る。それが自分で、他の人とは異なるんだなと知ることですね。自分の丸ごとの中身が、すべて自分の財産で、自分の味方なんですよ。この感覚は、時間が味方してくれて、どっしりと自分が根付くんです。母親とは関係のない、自分の根を自分で付けます。これが自分の確立となりますね。

「認める、分かろう、これらをしないことですよ。無理が生じますよ」心地良い季節。心ざわざわと何かを始めたくなりますね。思考が活発になり、それ以上に行動も活発になると、バランスがとれて、自分の心と身体が喧嘩をしなくなります。仲良くしています。自分達。ゆったりとした自分らしさの枠の中で、とっても仲良くしています。自分を知ることは、自分に関心を寄せることであり、自分を知ることなんですね。丸ごと知るんですね。

「幸せのヒント。健康と健忘でしたね」岡本は、自らの体験で、現実から目を背けると、精神的に成長ができないと実感しています。ピーターパンの世界でしょうか?シンデレラのような白雪姫のような感覚を、渦中のときは抱いていたのだと思います。これは克服した今だからこそ、堂々と言えるのですね。渦中の時は、何も知らなかったのですよ。知るから、回復が進むのですね。「何となく、わからない」モヤモヤしんどい気分が続く日々。岡本も同じでしたよ。知らないことだらけでした。知ろうとしなかった、モヤモヤを知りたくなかった若い頃でした。痩せるために食べないのではなく、痩せるために食べる。吐くために食べるのではなく、吐かないために食べる。食や体型に拘るのではなく、自分に拘る。まずは、モヤモヤしている自分を知ることから始まります。モヤモヤは、そのままでいいんですよ。モヤモヤのない人間はいません。誰もがモヤモヤしています。

「日々の生活は、淡々とこなしていく。家事には、感情は要らない」感情は抱いてもいいもの。抱かないとおかしいですね。感情の引き出し、行動の引き出し、思考の引き出し。これらを区別してみましょうか?感情と行動を切り離して、放置することを知っていくことですよ。モヤモヤを抱えて歩くことで、色々なことを掴めると思います。

「優しさに触れる機会がありました」岡本は、回復の歩みの中で、自分の歪んだ感覚を知り得ました。歪める癖を知りました。その歪みは、自分のものだと知り得た瞬間に、素直という言葉を掴みました。今、これが優しさだと、自分の体が感覚で掴んでいます。今、心から感謝し、穏やかな自分の心をうれしく感じています。自分に感謝することを知っている方は、他者に対しても、優しさを贈ることができると実感します。自分を守るために、相手に優しさを押し付けるのではなく、自分を知ろうという勇気と、相手を知ろうという努力を惜しまない強さが、本当の優しさだと思います。

岡本は、旬に浸る大切さも、掴んでいます。今の重たさは、今浸ります。時が来れば、別の重たさが来ます。その時に、それに浸ります。今は今の重たさを抱えます。一つに絞って浸るので、浸透も早いのだろうと感じます。集中するので、かなりの深さに浸ります。どっぷりとその重たさの正体を知ります。正体を知ると、気づきます。色々なことを知っていきますよ。連鎖反応のように。

ざわざわ仲間からメールをいただきました。「スキーマを知ることをグルグル考えていました。が、考えるのを止めたら、あっ!これだと気付きました。知ることを意識できる自分が生まれた感覚です。私はスリッパを履くときに右から履きました。スイッチを押す時に親指で押していました。カラオケのマイクを右手で持つ癖にも気付きました。これが知るか・・・」岡本が伝え続けている言葉です。自分を知ることから逃げると、何かに執着して、悩みを自分で作り出します。本当の悩みは、ここにあったんだと気付くと、知る大切さも見えてきます。大切なことを知っていきますよ。

皆様もご存じの「いろは歌」を今日は味わってみてくださいね。
いろはにほへと ちりぬるを(色は匂えど 散りぬるを)
良い香りで咲く花も、いつかは散ってしまう。
わかよたれそ つねならむ(我が世誰ぞ 常ならん)
この世では、誰ひとりとして死なないということはない。
うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日越えて)

なすことがたくさんあるこの世で、幾多の苦しみや悩みを取り除いて、人生の峰々を越えていけば、あさきゆめみし ゑひもせすん(浅き夢見じ 酔ひもせず)
浅い夢見心地のように、いろいろなことに翻弄されることもなく、お酒に酔ったような振る舞いをすることもなく、心静かに悟りの境地にいたることができる。

「イライラするわ」と、どういう場面でも、いつも同じ表現で誤魔化してしまいますね。いつものように、置き換えてみましょうよ。今の時間軸で、知ってみましょうよ。自分の感情、自分のものです。どっぷりと抱いていいんですよ。寂しいを置き換えると、「物事が思うようにならない」「注目されずにつまらない」「することが見つからない」「私だけモテナイ」「お小遣いがない」「誰も構ってくれない」「親が思うように動かない」「私のことを理解していない」。たくさんの言葉をいただきました。素直な表現が溢れていますよ。キーワードは「今の時間軸に乗って知ること」ですよ。 今、ざわざわの方々のメール療法で、自分の現実を知るために、自分の視線をそれらに目を向ける丁寧な行動を促しています。置き去りにしてきた、足元の豆をコツコツ拾うことが、いいえ、その足元の豆を、まず知ることが、回復を進め、自分というアイディンティティを確立するのですね。ポイントは、知るのは、動いてから知る。知るために、動かない。例えば、丁寧に歩く、右足を出そうではなく、右足を出したと知る。これなんですよ。


◇ 心ざわざわ Top

since 2003/5/1 Copyright (C) kokorozawazawa 2014 All Rights Reserved