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「私は私だ」自己同一性(アイデンティティ)の確立、「エス」「自我」「超自我」のバランスが保たれて、自分らしさに自信が芽生えるのです。あなたのパーソナリティは素晴らしいのです。

◇NPO法人 心ざわざわ Top<あなたのパーソナリティは素晴らしい
自己同一性(アイデンティティ)の確立
あなた作りのお手伝い(アイデンティティ)
「私は私だ」自信を持って下さい。「あなたはあなたです」自分という存在に悩む方が多くいらっしゃいます。自己同一性(アイデンティティ)の確立は、時間をかけ、段階を経て、ゆっくりできあがりますので、まず焦らずに、ゆっくり悩んで下さいね。自分は自分であるという感覚がしっかり存在し、それは過去から現在の自分が、連続性を持って存在していることを認識して、そして、〜としての自分という感覚と、それがうまく統合されていることが、つまり、主観的な自分と社会的な自分、この二つの感覚が安定して結びついていることを、自己同一性(アイデンティティ)と言います。
この世に生を受け、口唇期に母親を通して、外界との信頼関係の基礎を築き、肛門期に自律を獲得しながら、疑問を抱くことを覚えて、次に性器期には、自発性を習得し、同時に罪の意識との葛藤も覚えます。潜在期には、好奇心や欲望も生まれ、数々の葛藤を経験します。ここまでの学齢期で、周囲の環境が大きく変わることに適応しながら、社会の中で「〜としての自分」(アイデンティティ)を獲得していきます。そう大人の自我を身に付ける準備段階ですね。思春期は、過去と未来の連続性を確立し、傷つきやすさと力強さが混合します。青年期には、自己(アイデンティティ)を確立するも、役割が拡散してしまう猶予期間でもあります。人は、何十年もかけて、自分というものを獲得していくのですね。
自分として生まれ、ここまで歩いて来たあなた。立派ですよ。とても素晴らしいことだと思います。自分という存在に悩んでいる方は、今、自分探しではなくて、今、自分作りを始めませんか?まず自分で自分のすべてを、真っ直ぐに見つめて、すべてを自分で受け入れて下さい。これも私、あれも私、そうすべて自分なのです。次に、その自分で自分の素晴らしさを見つけて、自分らしさを作りましょう。そこで周囲に目を向けて下さい。色々なものが見えてきます。今のご時世、環境問題が大きく取り扱われています。だからこそ、自分をしっかり見据えて、自分として存在(アイデンティティ)を獲得していきたいですね。
感情の揺れは誰にでもある
思春期に、誰もが自我同一性の確立に向かって、危機と呼ばれる時期を体験します。思春期は、まず身体的に、子供の身体から第二次性徴(女らしい、男らしい)の変化がみられますね。それを受け入れながら、精神的にも親から自立していく時期ですね。この身体的変化やそれに伴う激しい感情を自分なりに受け入れることが大切です。同時に友人関係にも変化がみられ、親に秘密を持ったり、同姓の仲間との親密なグループを作ります。ここで大切なのは、親の役割です。今までのように子ども扱いをして保護してあげるという感覚ではなく、親は親、子供は子供という存在を認めながら、新しい関係を築き上げるのです。この親も中年期の変化の時期にあると言え、自分が乗り越えてきた思春期の危機が大きく影響してきます。
つまり思春期は、大人へ大きく変化しようとする心身を、いかに自分で受け入れ、その周囲の方々も同じように受け入れていくかが、とても大事になりますね。母子分離や依存の気持ちなど、感情の揺れに伴う不安は、誰もがあって当然なのです。「心ざわざわ」がよく奏でます「自分の足で歩く」という表現は、この時期を指しています。他人の評価より、もっと大事なことに気が付くと、自然に自分の足で歩き始めるでしょう。不自然な生き方を、自然に戻すことの喜びを感じる自分が生まれてきます。
自己を獲得していく
人間は 本能が完全に壊れた状態で生まれるといわれます。人間は生まれると、まず感覚のレベルでの意識で成長を始めます。自分が無条件で愛されているか否かを察知する感覚を、誰もが秘めているのです。心身ともに、「誰かに」かかわりを持ってもらっていると安心を得て、人間としての最初の基本的信頼を覚えます。
しかし、この時期に身体的な接触が少ないと、自我が芽生えず、また、逆に過度のかかわりは、自我が未熟のままで留まってしまいます。
時間というものは、人間の成長には関心を示しません。未熟なままでも、それは人間の内部すなわち心の成長の過程であり、外見はどんどん大人になっていくのです。自我が芽生えると、今度は母親の持ち物でない自分というものが生まれます。そこで、その自我の芽生えが別離や拒絶ではないことに気が付くはずです。いや気が付くように環境を整えるのは、母親を始め、かかわり持つ人間の重要な役割です。その時期に、もう既に、青年期のアイデンティティ確立への準備が、始まっているのです。
自我が未熟のまま、感覚的レベルの大人に外見だけ成長すると、自分の内面の虚しさを満たすために、いつも感覚や体験を求めて彷徨うことになるでしょう。自分として生きていますか?経験するために生きているのですか?自分を失わず相手と出会うことができますか?
感覚的レベルの大人の自由とは、身体的な自由を意味し、愛は誰かと結合することであり、死は苦痛からの解放なのです。
アイデンティティ確立には、葛藤すなわち危機があって当然です。「自分とはなんだろうか?」「どれが本当の自分なのか?」ここで自分で自分を作る心の動きが始まります。相当なエネルギーが必要でしょう。今まで他人を同一化してきた動きが、自分で自分を作るプロセス「自己決定」「自己責任」へと自己を獲得していくのです。
もろもろの葛藤と一つずつ向き合う
「い〜んじゃ〜んでほいっ!」 グリコ、チヨコレイト、パイナツプルといいながら、階段を上がる遊びを思い出しました。誰に教えられたわけでもなく、自然に覚えましたね。相手の姿が見えなくなっても、声は届いてきます。階段の上にご褒美があるわけではなく、ただ一段一段を声をだして踏んで上がることが楽しめた遊びでした。相手より先に上に辿り着くと、ちょぴりうれしかったものです。晴れた日も雨の日も遊びました。周囲の大人たちも、子供たちの遊びを温かく見守ってくれていました。ただ一つ、一人ではできない遊びだったことは確かでしたね。2人でそれ以上で、同じ階段で楽しく遊び、笑顔を溢れさせましたね。とても懐かしく感じます。
「われわれは一生をかけてわれわれ自身となる」
一段一段、踏みしめて上がる階段は、人生そのものだと感じることがあります。自分の考えたことを、自分の考えた行動にして、しっかり上がる、その周囲には、人生の先輩の優しい視線がありますね。階段を上がりながら、それぞれの人格を育てて、それぞれのペースで成長していきます。ウイーンの医師、ジグムント・フロイトが、人間の精神を分析する方法を発見したのは有名ですね。そのフロイトが、1923年から1人の人間の人格を「エス」「自我」「超自我」と区別しています。人格って人それぞれのユニークな構造をしていますね。私はこのそれぞれが大好きなんですよ。それは、自分の心や周囲の環境に適応しようとするときの行動です。また人格は、青年期の終わりに完成して統合されるといわれていますが、葛藤は生涯続くものであり、人生は、自分という存在を作り上げる素晴らしい過程だと思います。
人格が形成されます
日々の生活の中で、何気なく行動していることが、かなり多くあります。これを「エス」と呼び、人それぞれの生きる力の貯蔵庫となり、それぞれの意志の源泉ともいえるでしょう。この「エス」は、非現実的な世界で満足を得る天真爛漫な存在ですが、人は上手に抑圧し、昇華し精神的活動に利用しているのですね。個性が発揮される「自我」は、知覚や言語活動の形で表現されます。前述の「エス」が現実とぶつかり妥協するところで生じるのがこれですね。人格を環境に順応させるいわゆる「エス」の舵取りのような役割りを「自我」がしています。自制心がゆっくり確立すると、「エス」のエネルギーを昇華させていきますね。この昇華は、人格の統一性には欠かせないエネルギーとなり、自我は、内的要求と外的要求を調整する機関ともいえます。そして、いろいろな経験を重ね、身近な両親との関係で、「超自我」が生じます。簡単にいいますと、教育やしつけを結晶化したものであり、調和のとれた、理解に富んだ教育は、意志の評価により、コントロールされて人格が形成されますね。 素晴らしいですね。人間って素晴らしいと感じます。ゆっくり形成された自分の人格を、ゆっくり大切に思い、ゆっくりまた成長させていくことができる人間。素晴らしい階段を、素晴らしいあなたが上がっていく姿は、何よりも美しく、何よりも誇らしく感じます。大事にしたいですね。この階段と幼き日の遊び。
また、素晴らしい人間の心は、繊細にできています。幼きころの説明がされない抑圧は、不当と感じ、罪悪感が生じるも攻撃性も高まってしまいます。繊細な心の中で、このもろもろの攻撃性も抑圧しようと葛藤が生じますね。退行現象もその表われです。心の中で抑圧された意識されない感情を、コンプレックスといいますが、 意識すると不安を感じるために、自分で遠ざけようとします。もちろん、これは人間の正常な現象ですが、いつまでも無意識な逃避態度を続けていると、人生の階段を正視できなくなります。ゆっくりと、自分の中の自然さと社会や道徳との葛藤を理解し認めると、すべてが克服されます。ほら、笑顔で遊んだ日を思い出してくださいね。ゆっくりもろもろの葛藤と一つずつ向き合って、一緒に階段を上がってみることですね。ここで、自分を憎むより、自分を知ることの大切さが重要であること学んでいくのですね。遠ざけるより、一緒に行動をしてみることで、新しい発見があります。一つずつ説明をすると、納得できる大人の自分がいます。自分が自分であることに喜びが生じ、「エス」「自我」「超自我」のバランスが保たれて、自分らしさに自信が芽生えるのですよ。
先ず自分で自分を褒めて下さい
悟りという言葉は、宗教的な意味合いが含まれると思いがちですが、自分の心が感じるままを、自分が受け入れる状態だと思います。事実をそのまま見つめて、それから逃げることなく、すべてを認めることですね。今、苦しいこと、自分にもできないところがある、今、辛いこと、自分はこれがしたいんだ、諸々、その気持ちを誤魔化さないで、そのまま認めてみましょう。先ずはそれから始めましょう。あるがままの状態になると、自分の心が、自分の心を癒す方へ向きます。すべてを受け入れて、認めること。そうすれば、自分の心の中で変化が生じます。自分から逃げないこと。これが一番難しいのですが、しかし、これが一番大切なのですね。誰かに認めてもらいたい、自分の存在を他者の評価で認識する、とても辛いことですね。自分の評価は、自分でするのがいいですね。人それぞれなんです。力もスピードも価値観も、人それぞれなんですよ。
自分はどこにいったのか?
この人に見捨てられないように、だから頑張る。この人に認めてもらうために、だから頑張る。これでは、自分はどこにいったのかと悩みますね。他人のために頑張るのは、まだまだ先のことです。先ずは自分のために頑張るのですよね。人それぞれです。頑張ったのに、認めてもらえないと、悲しんでも、怒っても、人それぞれです。自分なりに一生懸命頑張ったのならば、先ず自分で自分を褒めて下さい。そして、自分で自分の評価をして下さい。その時に、他人の言葉と視線は、参考書程度に考えてくださいね。そこで修正すればいいんですよ。
目は心の鏡。目は、その人の心の内部を映し出す、鏡ですね。瞳が輝いて、活き活きしているのは、アドレナリンの関係で、瞳孔が散大しているからですが、自分の目標に向かって、前進していますと、自然にアドレナリンも上昇します。そして瞳の輝きは、他者が感じるものです。そう、あなたが前向きに頑張っている姿は、美しくもあり、大勢の方が好感を抱きますね。先ずは、自分を信じて下さい。そして、心に目標を掲げて、そう何でも構いませんよ。小さな日常のことでも、大きく世界のことでも、自分で掲げて下さいね。とても大事なことですね。
躓いたら休憩
人生の中で 休憩は 大事な時間ヨ
人生の中で 自分を見つめる 大事な時間ヨ

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