摂食障害サポートNPO法人心ざわざわ
◇NPO法人 心ざわざわ Top

摂食障害
アイデンティティの確立の時期の葛藤、モヤモヤした感覚を抱くのが嫌で、成長に伴う何かを諦め、何かを切り捨て、自分の道を選ばなくてはならない過程を歩めない。子供のまんまの大人、夢見る夢子ちゃん。 発達障害がある場合が多く、口唇期(おっぱい)に不安を感じながら、生育環境に何らかの大人の事情が絡み、精神的な虐待も含めて、見捨てられ不安がある。養育者が共依存であると、過干渉も絡み、周囲の顔色を無意識に伺いながら、失敗しないように、自分の感情に蓋をしてしまう。感情を抱くことはいけない、人との境界線がわからないままで、発達障害の特徴でもある、コミュニケーション技術も未熟なまま人間関係で躓く。甘え方を知らない寂しさを抱えながら、愛情に飢えている。子供のままでいたいと自分の精神レベルと見た目の体型を一致させる無意識の行動をとる、脳、体、心の飢餓状態。 自我という自分の物差しがなく、自分で選択し、自分で責任を負い、何をやりたいのかがわからないので、他者の価値観での基準がブレるために、いつも不安なままで、恐がり、現実を知りたくない、自分を守るために、何かに執着し、他者をコントロールする。思い込みの激しさで認知の歪みが強い。 痩せや過食など症状が出た時点が回復であり、葛藤が始まる。その葛藤の重さに耐えきれず、身近な人に依存と攻撃を向け、家庭内暴力やひきこもり、自分に攻撃を向けると、リストカット、症状は、現実逃避の手段でもあり、転ばぬ先の杖として、成長過程には必要なものである。解離状態になることもあり万引きの問題もある。依存は、摂食だけでなく、いくつかの症状を併発(アルコール、煙草、買い物依存や人依存など)し、経済問題を抱えていることも多い。 大人になることが克服であり、回復が進むにつれて、苦悩することを知らなければならないが、モヤモヤして辛いのが人生だと感じたくなく、白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると思っている。愛着行動をしながら、生まれてから母子分離をするまでの期間を、もう一度確実に歩んで行く自分探しの過程が続く。症状があるので、社会生活ができないのではなく、社会生活に自信がないので、症状に逃げ込む。

「自分は他者とは違う自身であり、一人しかいない」「過去、今、未来ずっと自分である」。安心できるもの、確かなもの、頼りになるものが土台を作り、自分は自他から認められているものであり、時を超えて一定であるという感覚。アイデンティティ拡散とは、危機の有無に関わらず、積極的な関与ができない。自分の人生について責任をもった主体的な選択ができずに途方にくれている状態であり、自己嫌悪と無気力が特徴。「自分がない感覚」「自分が何者かわからなくなっている状態」。 発達障害は、脳の機能の特異性による、行動や思考のかたよりがあり、生活上に支障をきたすことを指す。生まれつきの脳の凸凹で、優れている部分と劣っている部分が混在しており、独特の偏りを生じる。社会生活に適応しにくく、トラブルが生じたり、ひきこもりがちになる。

1689年リチャード・モートン「神経性消耗病」1874年ウィリアム・ガル「思春期やせ症」1973年ヒルデ・ブルック「Eating Disorders」日本では(厚生省特定疾患)1960年頃から拒食症、1980年頃から、過食症。1998年、拒食症は10,000人、過食症は5,000人と推定(5年間で拒食症3倍、過食症5倍)。 DSM-IV(アメリカの精神障害診断統計マニュアル) ○神経性食欲不振症(Anorexia Nervosa)●制限型●無茶喰い・排出型 ○神経性過食症(Bulimia Nervosa)●排出型(自己誘発性嘔吐、下剤、利尿剤、浣腸あり)●非排出型(排出以外の不適切な代償行為) ○特定不能の摂食障害(Eating Disorder Not Otherwise Specified)●拒食症とも過食症とも決め難い(若年層に多い)●定期的に月経のある拒食症、過食なしの普通食嘔吐、チューイングのみ ○無茶喰い障害(Binge Eating Disorder)●無茶喰いエピソードを繰返すが神経性過食症に特徴的な代償行為の定期的使用をしない (一人の患者が病期によって、それぞれの診断に移行する。神経性食欲不振症は、期待される体重の85%以下、月経周期が連続で3回欠如、規則的な無茶喰い・排出行動)

感情コントロールがうまくできない。人からどう見られるかという自尊心の病理、人から見下されるか、見下すか、勝ち負けの2選択の世界、人の顔色を伺う、他人の目が自分を映す鏡。理想の自分以外は自分ではない(理想=母親が認める良い子)、0か100(99も65も1もない)、ミスは許されない、今すぐ結果を出さないといけない、他人の評価を過剰に意識、無力感、アレキシサイミア(自分の気持ちがわからない)、強迫性(こだわり)、不安・緊張、衝動性(自分で自分をコントロールできない)、攻撃性、対人関係の脆さ。倒錯(受け止めずに快楽で消したい=心の中の不安、悲しみ、苦悩、葛藤を行動や行為で、発散し排出する)と嗜癖(反復強迫=慢性化)。思春期の自己のアイデンティティの確立〜母親との心的分離ができない(母親も離さない)。自信がない、孤独感、無力な絶望感、体の変化(本能の欲動)と環境の変化に対応できない。無知にとどまる、知ろうとしない、真実を隠す偽りの知識でうめる。何でも人のせい、誰かが何とかしてくれるという気持ちが強い。自分を守るために嘘をつく(ドタキャンが多い)。
生誕  
|母親にべったり甘えずに、根付きがなく、立ちすくんだまま成長、大人は気にならなくても子供心に一大事と感じる、比較癖が生まれる
|不安が強く怖がり、一人で何もできない⇔経験が不足、自信がない=自分の感情を出さなくなる=自分の感情がわからない
症状出現(回復ラインスタート)
|自分はまだ精神的に幼い子供だと意識レベルにはないが、外見と自分の精神レベルを同じにしようと体重にこだわる
|食の我慢は無意識の抑制、抑えがきかなくなり過食症状へ移行
|拒食や食事の制限=脳の飢餓状態が常にある、血糖値との関係=体が過食を呼ぶ
|子供のままの大人は、甘えたい(依存)を、知恵(情報)が絡むので、攻撃を同じ対象に向ける、理屈っぽい、優位に立とうとする
|性格的に怖がりだが、幼少時の優越感(優等生)に執着し、負けん気が強く、プライドが高く、失敗をしたくないので、自分で動かない
|白か黒、100か0の性格、すぐに答えがほしい、グレーは許されない、自分に不利なことは、はじめからしない、うまくいかないと人のせいにする
|現実感を体で掴んでいないために、いつもフワフワした夢見る夢子ちゃん=理想の世界で生きる=空想家、表情が乏しく、実際のところ協調性がない
変化@  
|周囲の影響などで、感情を知り始める=現実が意識され始めると同時に、自分の感情のブレーキが外れて、感情が一気に出る
|不安で怖くて、現実逃避を図る(倒錯)=食への拘り、過食、嘔吐など、怒りの感情が常にある=心、体、脳が常に飢餓状態  
|達成感や満足感の体得がないために、何をしていても楽しくない=自分の瞳で世間を見ていない
変化A(摂食障害を治したくない、誰かが何とかしてくれる)  
|原因を母親のせいにし、自分が怖がりで自信がないことを、自分では見て見ぬフリ、また環境が自分に優位だと、いつまでもそこに留まろうとする  
|親は、自分と同じ体力があり、経済力があり、親が老いることや死ぬことを認めていない、親は金を出してくれて当たり前  
|頭を下げない、ありがとう、申し訳ない、お願いしますという言葉を言いたくない(特に身内)  
|経験が不足し、引き出しが少ないので、思い込みが激しく、予想のつかないことに対処できない 症状がひどくなる  
|現実感の割合が高くなると、経済面、体調面、社会面などで、治した方がいいと意識し始める  
|現実が怖く、逃避する手段として過食や攻撃、現実を知る、グレーを覚える、自分が何もできない子供だと気づく、体を動かして、経験を重ねていく 症状がなくなるが一番辛い時期
(回復ゴール、克服ライン)  
|渦中のときよりも、苦悩で、モヤモヤが常にあり、しんどくて仕方ない=再発が多い  
|症状がなくなり3〜4年を乗り越えると、大人の感覚が生まれて、自分なりの生き方ができる  
|加齢を知る、グレーを知る、高嶺の華を羨むよりも足元の豆を拾え、症状の有無ではなく、どこで「こんなもんかっ」と納得するかが克服 完治ライン  
|自分が生きている感覚がある いつも頭の中に靄がかかっていて、視線の先に映るものは、思考というより妄想の世界の中の物体という感覚。


地に足が着いていないというか、自分だけが透明の風船の中に入って、ふわふわと浮いている感覚。 耳から入ってくる音も、ぼわんとしたエコーがかかったもので、言葉の裏が聴こえている感覚。 妄想に近い理想を相手に反映して、相手の視線を乗っ取って自分を映して、自分の都合のいいように、もしくは悲劇のヒロインであるようにして、自分を外から観察している感覚。 自分に向かう称賛は、自分のものであり、都合の悪いものは、誰かのせいであり、シンデレラ気分に近い、きっと素晴らしく有名な人物になるのだという頭の中のシナリオが完成。 一日のほとんどが空想に浸っており、必ずすごいことが起きるのだという思考が大半であり、時々目の前にやってくる現実は、他人事のように視線に捉え、誰のこと?という感覚。 その中で、美意識は非常に高く、それ以上に、努力せずに出来る人間である、しかし、護ってあげたいと周囲に思われる存在でいようと常に考えていた。 自分は歳を取らない、いつまでもこのままで、当然、親はずーっと生きているという気持ち。 「死」に対して、現実として捉えていない。 都合のいいように、体調不良を起こし、嫌なことがあると、自分の傲慢なプライドが傷つき、怒りと憎しみの感覚が急速に湧く。感情をそのまま放置が出来ないので、取り繕うとテンションが上がったり、逆に精神的に落ちるところまで落として、死にたいとの言葉で、同情をひいていた。 浮いた感覚が続き、一人では寂しくて仕方なく、誰かを求め続けていながらも、親密になることを極端に恐れて、自分は皆とは異なる人間であり、レベルが違うからと、人を避けるように過ごす。 変化が怖く、特に人の心の変化に敏感であり、一度もらった良い評価を下げたくなく、あたかも気配り上手の頭のいい人を演じながら、嫌われないように、自分を守りに守ってきた。現実をまったく見ていなかった自分が、妄想の中で飛んでいる感覚。自分の妄想が、自分の感情や行動を支配している感覚。 いつも誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、切羽詰まった現実を見ようとしない。 常にだれかを、自分の都合のいい方向に、操作していた。 触れ合うという感覚は、心ではなく、「物」のやり取りであり、借りを作りたくないので、プレゼントを押しつけがましくすることが多かった。 特別な人間だから、宇宙にも行くことができるんだという気持ちがあり、普段は、何も感じないように、都合の良い想像を膨らませて、空回りをし続けていた。 克服とは、空想の世界から、現実の地に、舞い降りて、羽ではなく、自分の足で立っているという感覚。現実の厳しさと体の重さが、自分が自分なんだと教えてくれた。自分だけが自分なんだと知り、離れ離れに点在し続けた、「点の自分」が、がっちりと手をつなぎ、「線となり、面となり、自分の形」が出来た。 記憶もままならず、怪しい。断片的というか、繋がっていない。いやストーリーのない映画を自分が観ている感じ。 目の前の物を取ろうとして、視線は右を見ながら、頭では、3日後のことを考えて、左に手を伸ばしている状態だった。感情は一つしかない大きな引き出しに入っているので、開けると、全部が一気に出る。感情と行動がくっついているので、思考に組み込まれた計画以外の物事に対応が出来ない。それらは全部、自分を守るための反応だったと、今ならばわかる。そういえば、感情を感じるのは恥ずかしいことだと思っていたし、100%の正解以外は口に出してはいけないと思っていた。

世間体、父親や同胞の存在に関係なく、甘えさせてほしい、母親が甘えさせ方を知らない=子供も知らない=いつまでも執着する、抱きしめてほしい、言葉の交流をしたい、物やお金が愛情ではない、比較しないでほしい、母親にも一人の人間としての生き方を知ってほしい、母親自身に、自分と向き合ってほしい=幸せな生き方をしてほしい=現実逃避をしないでほしい。時期をみて、背中を押す(母子分離をする)必要がある、現実を知らせること(特に経済問題)。脳の飢餓状態=脳の栄養素はブドウ糖のみ、蓄積ができない、腹持ちがよく、カロリーの少ないお米を少しずつ食べることで回復する=体の飢餓状態改善。怖がり=自信をつけるには、傾聴と頭を下げることを覚える、まず感情を放置して、現実を知る、行動する、答えは大人になること。

1本来は、感情は事実に基づいて湧くもの。感情が事実を作りあげていませんか?
2自分を頑なに守ろうとしているあなた。何から守ろうとしているのかな?
3自分が背負うべき現実の荷物から逃げたいために、楽な生き方を選択すると、苦しむ。苦しむというものには、★自信という実がなる苦しみと、★現実から逃げ続ける苦しみの二通りがある。今、苦しむのは、今の大きさの苦しみ。これは等身大のもの。自分の背負える大きさの自分の苦しみ。自分で背負うべきもの。素晴らしい実がなる。
4「お母さんといるとイライラする」「母親が私を振り回す」「母さん、むかつくわ」。皆さん、素晴らしい。母親といるとイライラしている自分を知っている。回復が進んでいる。自分の感情を知っている。自分に問いかけてみましょう。★自分が、腹が立つ、イライラすると感じる相手の行動は、何だろう?★自分は、罪悪感なく、ノーが言えるかな?
5母と娘。鏡。この世に1枚しか存在しない美しい「あなたとお母様の鏡」。磨こうかな?割ろうかな?どうしようかな?
6焦らないコツは?★今の自分の位置を知る。★今の自分のレベルを知る。
7「今できることは一つ。今感じることは一つ。変化をするのが素晴らしい」感情を整理しようとするよりも、行動を整理してみること。
8感情は抱いていいのよ。行動には、くっつけないことがポイントね。
9動くと湧く感情。そのままを知る。そして、思い切り浸ることを忘れないこと。この浸る部分を無意識に避けるので、その感情を置き去りにしてしまって、過去の出来事への執着が、自分でも気付かないうちに、荷物になっている。特に、悔しい、恥ずかしいや腹が立つを含む自分が納得のいかない事実を、誤魔化して、隠してしまうと、自分が有利になるように事実を歪めていく。悲劇のヒロインになったり、いつか素晴らしいことが起こるんだという妄想の世界が膨らんでしまう。
10自分は望まれている、必要とされている存在と感じるために、自分をコントロールするよりも他人をコントロールしようとする自分がいる。自分を守るために身に付けた自分の外側にあるものに強迫的にのめりこむ関係を持つ行動が、サイズの合わない靴を履いているのと同じ。寂しさを埋めるために、自分の外側にあるものにしがみついて、誤魔化して生きている。
11知ると、抜けるという行動が素早い。知る少し前は、症状も酷くなり、イライラし続け、色々な物を壊し、人を傷つける。知ろうとすると、自分の中で爆発が起こる。その爆発があるからこそ、長年に渡って、抑えつけていた「素」の自分が息吹、感情を知ることができる。一つ知ると、また一つ知ろうと意識が働く。
12色々生じる出来ごとの説明が、自分で納得しやすいので、白黒の思考を持っている。
13「一日一夜を経るに八億四千万の思いあり」
14健康は自己責任の一番目。健忘は幸せの一歩引く。他人の足元よりも自分の足元の豆。

「苦」とは、ご都合通りにならないこと。「悩」は、自分を知らないこと。そして、それらの根底にあるものが「欲」である。欲張るから、今の時間軸に乗れない。今は、今の自分の責任で知ること。過去の寂しさや怒りを、今の時間軸で埋めない。未来の不安を、今の時間軸に重ねない。視線の位置、向き、価値観は誰のもの?今の自分の位置で、ここまでラインは自分でしっかり引くこと。共依存、境界線。ありがた迷惑な行為は、自分だけでなく相手も潰す。親子カプセル、親子バトルからの卒業。自分の人生は、自分で知ることから始まり、自分の意思で選択し、自分の価値観を作っていくもの、苦悩しモヤモヤし、頭を下げて、自分が責任を負うからこそ、自分色の実がなり花が咲く。私は私、これでいいんだと堂々と言える。そして、あなたも、あなたでいいのだと言える。どの飴も自分であり、どの飴も、そのままでいい。私OKと言えないと、あなたOKも言えない。 感情をどんどん抱いていい。頭で考えているのは感情ではなく妄想。現実、知る、湧くものを知る、それに浸る、捨てる、次の現実、知る、湧くものを知る、それに浸る、捨てる。これの繰り返し。「浸る」を忘れるから、同じことを繰り返す。行動は丁寧に意識してゆっくり、一つずつしかできない。動くから知る。動く前に知ることはできない。自分の行動の経過や結果で湧く感情を先走って考えない。期待しない。そのままどんな感情でも知ることができるのは、期待しないから。頑固なカチカチの思い込みが視野を狭く行動をぎこちなくする。 自立とは、自分で出来ることは自分でやり、自分が出来ないことは出来ないと伝えて、他人の助けを借りることが出来るということ。前向きというのは、現実を知って浸ってから、歩みだすもので、誤魔化しとは異なる。出来ないことは出来ない。


怒りについて
「然(しか)るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、そしてまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒る人は賞賛される」アリストテレス。
怒りとは、感情の一つで「危険にさらされた」という意識や認識に起因する感情的な反応であり、自己目標に到達するための行動が妨害されたときに生じる攻撃的な情動が怒りである。「危険にさらされた」というのは、物理的なものに限らず、自尊心や名誉などの無形のことも含まれる。この怒りは人の自然な感情であり「抑えつけてはいけない。しかし流されて もいけない」ものである。
感情には、左右の側頭葉内側部にある扁桃体(安全、有益か危険・有害かの判断を担う速やかな働き)と前頭前野(刺激に対する行動や良し悪しを評価し長期に行動を制御)が関係する。扁桃体は他者の怒り表情を無意識に検出する。また、一種の差別判断や社会的能力(相手の印象を読みとる)も担っている。扁桃体の活動により自律神経や内分泌の活動が協調して起動される。その扁桃体が暴走しないように前頭前野による抑制的制御が働くが、うつ病などの感情障害の患者は、前頭前野機能が低下しており、不安を強く感じたり、無害なものに恐怖を感じたりすると言われている。感情制御がうまくいかない人は、過剰に感情的になるが、それに伴う身体反応も過剰に起こり、心臓病、糖尿病や喘息などにかかるリスクが高いと指摘されている。

言語コミュニケーションを獲得する前の乳児期と養育者は、情動の表出と読みとりを行い、母親の苦しみを見ている子供が泣き出す「感情の感染的行動」は2歳以降にはさらに共感や同情を生み出す。出生時は興奮だけであるが、乳児期にはそれから快と不快が分化し、乳児期になると、快からは快のほかに愛情や喜びが分化し、不快からは不快のほかに怒りや恐れが分化してくる。5歳の幼児期になると、怒りから怒りのほかに羨望、嫉妬、失望などが生まれ、恐れからは恐れのほかに心配や羞恥が現れてくるという。
乳幼児期から児童期の怒り。運動不足、空腹、疲労、睡眠不足、身体的疾患。強い刺激に直面して興奮している、周囲の人たちが怒っているとき(模倣行動)、自由な身体運動が禁止されたり抑制されたりしている。怒りの表現としては、3歳ごろまでは泣きわめく、足をバタバタさせる、床や地面にひっくり返るといった「解決にならない解決への努力」とよばれる無方向性のものが多い。3歳以後は、自分の欲求達成を妨害した人や事物を攻撃するようになる(第一反抗期)。4歳を過ぎると言語、腕力でも攻撃するようになってくる。児童期は、年長者や友達からの干渉、自分の所有物が侵害される、身体的な圧迫、自尊心の損傷、などがある。

青年期。親や社会への物の見方や考え方に対する攻撃は、第二反抗期の特徴がある社会的不合理に対する怒り、失敗を鋭く批判する内側の自分と、言い訳をする外側の自分との戦いでもある自分の能力不足や失敗に対する怒りは、アイデンティティに関連する内的な怒りである。

怒りは、欲求が満たされない場合における行動の一つで、精神活動のうちでは比較的単純かつ低次なものである。精神の発達している人間では、様々な様式の複雑化がみられる。怒りと言われる意識が大脳辺縁を刺激すると、脳内で複数の経路で反応が起きる。カテコールアミンが放出され、攻撃もしくは逃避のどちらかの激しい行動が一回可能になるだけのエネルギーが体内で一時的に急増し、身体は指令に備え待機する状態となる。また、扁桃核から副腎皮質神経系を経由して全身的な緊張を作り出し、機嫌が悪い、一触即発の状態が、数時間、数日も継続する。また、あらゆる種類のストレスは副腎皮質に働きかけて人間を怒りっぽくする。ここで気をつけたいのは、怒りと憎しみを混同していないか?憎しみは、個々の負の感情であり、怒りは常に突発的で、純粋で深いものである。

怒りの処理
最初の何らかの刺激、それに対する評価、さらに評価検討が繰り返され増大していくものであるので、できるだけ早いうちに自分の気分を静めることができれば、怒りを回避すること も可能であるという。物の見方を変えることは、怒りを静めるのに有効であり、また憎悪の拡大にブレーキをかける必要があるので、対象となっている人物からとりあえず離れ、他の 行動をするのも有効である。一人で、ムカムカを考え続けるのは効果がなく、それを思い出すたびに怒りが少しずつ積み重なってしまう。気晴らし、例えば、楽しいテレビ番組、映画、楽しい内容の読書などは、怒りを中断してくれるというが、ショッピングや食べることではあまり効果がないという結果が出ている。相手に怒りをそのままぶつけた場合、不快な気分が長引く場合が多いといわれ、一旦自分の頭を冷やしてから、問題を解決すべき相手と話し合った方が効果的だという。


まず知ること
自分は、今、怒っているんだ、怒りの感情が溢れているんだと知る。怒りの感情は抱いていい。どんどん溢れていい。今の時間軸の怒りを、とことん知ること。不当な扱いを受ける、相手に求めているものがあっても、全然理解されない、与えられない時に怒りの感情がわく。諦めという感情の根底にも、それらがあることが多い。 幼少時、父親や母親がいつも怒鳴っていた、不機嫌だった場合、子供はいつも怒りという感情に恐怖を感じており、大人になってもその影響は何らかの形で現れる。怒りという感情は、人を傷つけたり、脅かしたりするものだと認識してしまい、怒りという感情を自分自身が感じることを極度に抑圧してしまう。怒りを表現する親を心のどこかで批判し、怒りを感じ ることはいけないこと、情けないことだと強く禁止してしまう。極端にその感情を嫌い、自分の中の自然な感情をすべて抑圧してしまう。怒りという感情だけではなく、すべての感情は自然なものであり、どんどんわいていい、あって当たり前。ただ問題になるのは、その感情があることではなく、感情の表現方法である。まずは、怒りの感情を知ること。「私は、今イライラしている」と知ることに徹してみる。気をつけるのは、感情は一瞬にわくものであり、次の瞬間には、次の別の感情がわく。それらを無視しないで、次々とわく感情を、瞬時に時間軸をずらさずに知っていくことである。知る、浸る、捨てる、その流れを思い出してほしい。
自分の感情(寂しさや悲しさなど)を、誤魔化すために怒りの感情を持っていることがある。我慢のエネルギー=怒りのエネルギーとも言える。自分では努力していても手に出来ないことが多く、愛されたい、わかってほしいと思っていても叶わない。寂しい、悲しい、苦しいなど。そのモヤモヤした気持ちを抱くのが、これまた苦痛、嫌だ。すっきりしたい子供感覚では、誤魔化すか、怒りで表出して八つ当たりするか。
この誤魔化しが、本当の問題点をずらし、取り組むべき現実から視線を反らしてしまう。これは、自分が本当に手に入れたい事柄からも遠ざけて、回復することも拒む。だからこそ、抑圧しているものを知り、それに浸り、捨てていく必要がある。捨てるとは、納得、解決、保留、離す、捨てる、断つなど多くの意味を含む。自分は怒っていると知ると、その的確な表出方法を自分で見つけることができる。素直な言葉で、伝えることが叶うのである。

貪りの心、怒りの心、愚痴の心
怒りは、仏教では三毒の一つであり、毒薬のような三つの煩悩。自分の気にいらない事に対しての反発心は、自分があって相手があるという対立の世界から生じる。これは、生きる上 で誰もが苦悩するものであり、自他の対立によって私たちはいつも苦しめられている。これを解決するには、本心にたち帰るしか道はないと言われる。怒りは誰にでも備わっている感 情であり、存在する価値と理由はある。人間だけでなく、生き物は、自分を守る本能から怒るのであり、生きるために必要な感情である。怒りを抑えつけると、常に生命の危機を脱しないということでもあり、怒りをため込むことは、大爆発をして、心身を破壊することもある。
まず、自分が怒っていることを知る。浸り、対策を練る。上手に付き合っていくことも必要であり、怒りを憎悪に成長させないことがポイントである。取り除く、発散、離れるなど。何か自分でしたくないことを強制されたら、はっきりと断るのが最良の方法。侮辱には、黙り込まず、穏やかに反論する方がよい。「あなたの言うことは分かるが、私はこう思う」。また怒りの多くは、自分は人から大切にされるべきだという無知からも生まれる。特別ではない、お姫様ではないことを知っている人は、足元の豆を拾うので、怒りは少ない。 冷静さがキーワードだろうが、これが難しい。それには、時間が味方になってくれることもある。深呼吸、場所を移動など。その怒りは、必要か?と問う余裕もほしい。必要な怒りを、皮肉、ごまかし、暴力や体の不調などのゆがんだ形で表現していないか?また、理不尽な過去の怒りや恨みを被せて、相手を追いつめていないか?
伝える時は、アイメッセージ。「あなた」ではなく「私は」を主語にして、「あなたがこんなことをした」ではなく、「あなたのした事を、私はこのように感じている」。また、罪と恥を思い出してほしい。相手の行動や言葉全体を否定せずに、その部分だけを捉える。「この部分だけこうして欲しい」など。視野を広げて、全体を捉えて(テーブルの飴)いる人は、その1個の飴だけを観ることもできる。ここを逆にしている方が多いのを常に感じる。

怒りはぶつけるものではなく、伝えるものである
「怨みに報いるに怨みをもってしたならば、怨みがやむことはない。怨みを捨ててこそ怨みはやむ。これは永遠の真理である」ブッダ
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたことと、しなかった事を見るなかれ。ただ自分のしたことと、しなかった事だけを見よ」ブッダ
「今を知らないから、今の躓きの原因を、人間関係に押し付け、環境に押し付け、親に押し付ける。今、問題にするべきことは何だ?何から逃げて何を探すのだ?」岡本理香

自分OKでないと、あなたOKにならない
1 時間軸
まず、今の行動、今の感情を処理するのが基本
それには、まず今の行動(あるべきよう)を知る、今の感情(あるがまま)を知る

2 感情と行動
わかない
わく→抑える・知らずに、知って
わく→知る・知りたくない
知る→淡々と感情入れず・感情が入ると知ろうとしない
浸る→知るとできる、淡々と納得するまで
捨てる→放置、離れる、断つ、捨てることができるのは、知って浸ったから
行動→動くから感情がわく・捨てるから今の行動に集中できる

3 何が今の問題点
自分を守る気持ちが前面にでると、把握ができない→全身にかぶる
今の問題点やテーマを知っていると、それを捉える→手の平にのせる

4 自分OKでないと、あなたOKにならない
どんな点(飴)も、すべて自分。過去、今、そして未来へ繋がっている点、面で捉えてすべてOK
私OKと言ってもらうために、それを感じたいために、あなたOKと誤魔化す
境界線がないため、納得できずに、いつも自分に激怒している

5 アイデンティティ確立へ向けての道のり
アイデンティティ危機、拡散などの葛藤は、誰もがぶつかるもの
それを乗り越えるのは自分・万能感の処理は自分でするもの
他者が自分のそれを乗り越えてくれない、他者のそれを乗り越えてあげることはできない
6 岡本は、経験から、克服と渦中の違いを、こう考える
現実を知り、そして、逃げる技、捨てる技を修得している人を克服者、回復者と言う
現実を見ずに、そして、モヤモヤを人のせいにして自分から逃げる人を渦中と言う
逆に言うと、回復者は、現実を知って、モヤモヤを抱えながら、自分の責任を負いながら、淡々と足元の豆を拾う日々を過ごせる


◇NPO法人 心ざわざわ Top

since 2003/5/1 Copyright (C) kokorozawazawa 2010 All Rights Reserved