幼少時から克服までの感覚いつも頭の中に靄がかかっていて、視線の先に映るものは、思考というより妄想の世界の中の物体という感覚がありました。地に足が着いていないというか、自分だけが透明の風船の中に入って、ふわふわと浮いている感覚がありました。 耳から入ってくる音も、ぼわんとしたエコーがかかったもので、言葉の裏が聴こえている感覚でした。 妄想に近い理想を相手に反映して、相手の視線を乗っ取って自分を映して、自分の都合のいいように、もしくは悲劇のヒロインであるようにして、自分を外から観察している感覚がありました。 自分に向かう称賛は、自分のものであり、都合の悪いものは、誰かのせいであり、シンデレラ気分に近い、きっと素晴らしく有名な人物になるのだという頭の中のシナリオが完成していました。 一日のほとんどが空想に浸っており、必ずすごいことが起きるのだという思考が大半の思考であり、時々目の前にやってくる現実は、他人事のように視線に捉え、誰のこと?という感覚がありました。 その中で、美意識は非常に高く、それ以上に、努力せずに出来る人間である、しかし、護ってあげたいと周囲に思われる存在でいようと常に考えていました。 自分は歳を取らない、いつまでもこのままで、当然、親はずーっと生きているという気持ちがありました。 職業柄、「死」に対して、身近過ぎて、現実として捉えていませんでしたね。 都合のいいように、体調不良を起こし、嫌なことがあると、自分の傲慢なプライドが傷つき、怒りと憎しみの感覚が急速に湧いてきました。 そのまま放置が出来ないので、取り繕うとテンションが上がったり、逆に精神的に落ちるところまで落として、死にたいとの言葉で、同情をひいていました。 浮いた感覚が続き、一人では寂しくて仕方なく、誰かを求め続けていながらも、親密になることを極端に恐れて、自分は皆とは異なる人間であり、レベルが違うからと、人を避けるように過ごすこともありました。 変化が怖く、特に人の心の変化に敏感であり、一度もらった良い評価を下げたくなく、あたかも気配り上手の頭のいい人を演じながら、嫌われないように、自分を守りに守ってきました。 今だから、知ったことばかりですが、現実をまったく見ていなかった自分が、妄想の中で飛んでいる感覚なのです。 自分の妄想が、自分の感情や行動を支配している感覚でしたね。 いつも誰かが何とかしてくれるという気持ちがありましたので、切羽詰まった現実を見ようとしませんでした。 常にだれかを、自分の都合のいい方向に、操作していました。 触れ合うという感覚は、心ではなく、「物」のやり取りであり、借りを作りたくないので、プレゼントを押しつけがましくすることが多かったですね。 特別な人間だから、宇宙にも行くことができるんだという気持ちがありましたね。 何も感じないように、都合の良い想像を膨らませて、空回りをし続けていました。 克服とは、空想の世界から、現実の地に、舞い降りて、羽ではなく、自分の足で立っているという感覚です。 現実の厳しさと体の重さが、自分が自分なんだと教えてくれました。 自分だけが自分なんだと知りました。 離れ離れに点在し続けた、「点の自分」が、がっちりと手をつなぎ、「線となり、面となり、自分の形」が出来ました。 神戸に来て、丁度10年。この10年は、結構しっかりと記憶が残っている。 23歳ごろからの記憶もままならず、克服ラインの36歳前後まで怪しい。 断片的というか、繋がっていない。いやストーリーのない映画を自分が観ている感じかな? そう言えば、小学3年か4年の時に小説を書いていたんだ。あの頃から作家を目指していたらしい。私は。朗読が上手い、字が上手い、作文が上手いと言われていた。 私という人物、なかなか面白いかもしれない。じっくり観察してみよう。 目の前の物を取ろうとして、視線は右を見ながら、頭では、3日後のことを考えて、左に手を伸ばしている状態だった。 感情は一つしかない大きな引き出しに入っているので、開けると、全部が一気に出る。 感情と行動がくっついているので、思考に組み込まれた計画以外の物事に対応が出来ない。 それらは全部、自分を守るための反応だったと、今ならばわかる。 そういえば、感情を感じるのは恥ずかしいことだと思っていたし、100%の正解以外は口に出してはいけないと思っていた。 ご存じのように、岡本は、看護師たくさんの経験を積みながら、岡本の看護に対する考え方に「残存機能を活かし、自分でできることを知り、できないことを知り、できることを増やしていく工夫をする」があります。これがざわざわの「ヘルプはしません。サポートは喜んで贈ります」に繋がっています。 右手が使えない方に、左手で自分でできることを、知ってもらい、自分でできることを増やしていくのですね。 できることを知るには、できないことも知る必要があります。ここで感情が入ると、諦めや焦りが生じます。 過度のヘルプは、残存機能を活かす場を取り上げていることになります。 左手が使えないという現実を認めて受け入れるのは、頭では無理だと思います。 感情では難しいと思います。 まず「知ること」。体で知ることなんですよね。 感情を抱いていいのです。思考も働いていいのです。 それらに振り回されない行動ができるかどうかなのですね。 これらをベースに、今、メール療法を行っています。「知る」ということから始めています。 |